子育てとキャリアの壁。その先で抱いた子どもたちへの想い 田島淑江
ことなるわたしたち
モデレーターを務める山瀬まゆみさんの育児休暇にともなって配信する番外編「ことなるわたしの物語」。いまを生きるひとりの女性のリアルな暮らしを垣間見ることで、人生の選択肢を増やすきっかけを届けられたら。
5人目は、34歳で大手総合商社シンクタンクから外資系スポーツアスレチックウェアブランドへ転職した田島淑江さん。転職後、すぐに妊娠がわかり出産ギリギリまで働き、産後4カ月で復帰。やがて2人目の妊娠がわかり、目指していたポジションに自分ではない人がつくことに。その時の悔しい想いが、キャリア志向の芽生えに。一筋縄ではいかない、女性のキャリア形成と妊娠・出産、そして子育て。リアルな葛藤を話してくださいました。
充実していた職場環境。それでも次に進もうと思った理由
__新卒で入社した大手総合商社シンクタンク時代の話から聞かせてください
「私の場合、入ってすぐの20代はやりたいことはできないし、決して仕事がすごく早いわけでもなかったので、やらせてもらえたとしても上手くできなくて結構くすぶっていたんです。ですが、工場検品などの地道な作業も結構楽しめてしまうタイプだったことが功を奏して、20代後半になると、だんだんと任せてもらえることが増え、海外出張にも行けて、仕事が面白く感じるようになりました。上司からみるとそういう人は〝使いやすい人間〟でもあって、色々な仕事を任せてもらい結果的には充実してたんです。プライベートでは行けない国に行くために、仕事を作るみたいなこともしていました(笑)。」
__それでも、34歳で転職したのはなぜですか。
「ひとつには、当時はまだ社内に、女性は結婚したら家庭に入るという雰囲気が残っていて、総合職の女性で仕事と家庭をバリバリにこなしている人がほとんどいなかったんです。もうひとつには、仕事に慣れてきてしまったことがあります。なんとなく今年はこのくらいやっておけば予算達成できるなとか、先が見えてきてしまうんですよね。そんな風にすこしもやもやしていた頃に今の会社の社長に出会い『スタンスを変えてみたほうがいい』と言われて腑に落ちるところがあったんです。商社の仕事は面白いのですが、どこまでも〝間〟の商売なんですよ。
そこから、自分で責任を取りながらブランドを作り上げていく小売り側のスタンスに変わることで、視野が広がると。その話にすごく納得がいって、初めての転職は大変だろうから、するのであれば35歳までにはしようと考えて。その時点ですでに34歳だったので、転職を決断しました。」
ちょうどいいタイミングなんてない。35歳で突然訪れた転機
__結婚はどのタイミングで?
「転職して間もなくなのですが、まさかの妊娠していることが判明し、入籍をしました。私は20歳で子宮筋腫の手術を受けていて、それ以降も婦人科系のトラブルが多く、医師から『妊娠しにくいかもしれない』と言われていたので、そう簡単には妊娠しないと思っていましたし、子どもを持たない人生も想像していました。なので、本当に予想していなかった展開でした。」
__妊娠がわかった時の気持ちは?
「正直、戸惑いましたね。転職したばかりでここから気合いを入れて働こうと思っていたところだったので妊娠するにしても〝今じゃない〟という想いがありました。でも、後になって考えてみたら〝今じゃない〟は34歳までずっと続いていたし、多分あの時妊娠していなかったら〝今じゃない〟がずっと続いていたんだろうなと思います。」
__今の日本で働きながら妊娠のタイミングを〝今〟と主体的に決めるのは、キャリアプランを考えれば考えるほど、踏ん切りがつかないというか。
「そうなんですよね。キャリアのことを考えてしまうと〝今〟のタイミングを計画するのは難しかったかもしれません。転職先はスタートアップしたばかりのブランドだったこともあり、そこでPRマネージャーという役割についておきながら、入ってすぐに産休と育休で約1年間仕事から離れると、限られた人数の中で、誰かが私の分をカバーするために猛烈に働かなきゃならない。なので、結果的にはできるだけチームに迷惑をかけないように産むギリギリまで働き、産後4カ月で復帰するという形にしました。」
可能な限りの力を尽くした仕事と育児の両立。それでも守ることができなかったキャリア。
__仕事をしながらの子育ては、ひとりでも大変だと思うのですが、3年後には第2子を妊娠されてますよね。
「きょうだいを作ってあげたくて、2人目を産む選択をしました。産むのであれば、1人目と2人目の間があくほど年齢的に自分がしんどくなるので、子育て期間をギュッとまとめたほうがいいかなと。1人目を産んだことで、なんとなくどのくらいの大変さなのかわかったからということもあります。」
__そのあいだ、お仕事はどんな感じでされていたんですか
「仕事には影響がでないように、全力で仕事に向き合っていました。ご飯などの育児の時間はちゃんと取っていましたが、その後は夜も働いているという感じです。ただ、2人目の妊娠期間中に、私が目指していたポジションに人が入ることが決まってしまって……。どうにか育児とキャリアを両立させようと必死に頑張っていたので、その時は本当に悔しかったです。」
__それはつらいですね…。仕事と育児の両立で難しかったのはどんなところでしたか?
「子育てや家事の分担は夫婦間でできますけど、子どもには、どうしてもお母さんじゃないとダメなことがあるんですね。お父さんだとまったく泣き止まないとか寝付かないとか。そうすると、お母さんが仕事をセーブせざるを得なくなるじゃないですか。それまで100だったパフォーマンスが50くらいしか発揮できなくなってしまう。女性には、働きたくても働けない、自分のキャリアを少し後回しにしないといけない絶対的な期間が出産前後にあるという現実を突きつけられたというか…。あまりに悲しくて、一番信頼している上司の前で感情を露わにしてしまいました。1人目のお産で出血が止まらず、輸血が必要になったりして、産後の回復が体力的に大変だったんですけど、自分としては最善を尽くして最短で復帰したつもりだったんです。4カ月で復帰できたことは、2人目を出産しても大丈夫だという自信にもなっていた矢先だったのですけどね…。」
娘たちへの想いから固まった、一生働いていこうという決意
__感情をコントロールできないくらい悔しかった想いは、どう整理をつけたんですか。
「女性が子どもを育てながら、キャリアを築いていくことがこんなにも大変なんだと身に染みたことで、それまで一切なかったキャリア志向が出てきたんですよ。まだまだ女性に厳しいこの社会の中でも女性がちゃんと働いて、楽しみながら活躍し続ける道があるということを、私の姿を通してふたりの娘に見せていきたいというふうに気持ちが切り替わったんです。」
__てっきり、もともとキャリア志向が強かったのかと思っていました。
「全然そんなことないんですよ。就活の時も、どこか入って何年かしたら辞めて結婚とか留学すればいいかなくらいにしか考えていなかったですし、商社に入ってもキャッキャ楽しくやってて(笑)、キャリアについてちゃんと考えてはいませんでした。でもふたりの娘の未来を考えた時に、ひとつでも多くの可能性を見せて、幅広い選択肢から自分の未来を選択してほしいと願うようになって、そのためには母親の私自身にもっと経験値と視野の広さが必要だと思いました。私は働くことを通して、社会とつながり、日本以外の世界を知り、同時に自分の世界の狭さを知ったので、世の中のアップデートについていきながら自分も成長するために、私が決めたことは“一生働く”ということでした。
でも子どもといる時間は大切にしたいし、母親としてやるべきことは沢山あるし、その中で会社でパフォーマンスを発揮するのは本当に難しかったです。一生働くためにある程度の地位につき、社会的な信頼を得ていくことが必要だと思ったんです。うちの会社は外資ですけど、まだまだトップは男性ばかり。娘たちが大きくなった時もそれでいいのかなってすごく考えるんですよね。女性でも地位ある職に就けることを示せたら、うちの娘たちを含めて若い世代の女性の指針になれるんじゃないかと。
それで、キャリアチェンジをしようと思って、異動を志願しました。それまで担当していたブランドマーケティングは、やはりトレンドへの感度やセンスという感覚的な部分によるところも大きいんですね。若い世代の感覚のままではどうしてもいられないですし、若い頃は、体力でカバーできたこともどんどんできなくなる。じゃあこの先、20年、30年と働く上で、必要な能力として、ビジネス全体を見る力、次々と生み出される若い子たちの才能をサポート(マネージ)できる力、数字をみる力を学ばなければと思い、未経験の領域に足を踏み入れました。」
出産が与えてくれたことと、未来に託したいこと
__愚問でしょうが、あえて聞かせてください。妊娠・出産によって仕事面で悔しい想いをした田島さんですが、これまでの経験を振り返って、出産してよかったと感じますか。
「それはもちろん! 夜、自由な時間がなくて、社内外の人達との会食の場に行けず、新しい仕事が生まれる瞬間に立ち会えなくてしんどいなとか、いろいろありますけど、自分にとって何よりも大切な存在で、働き方へのマインドを変えてくれたのも、今こうして働き続けている原動力も娘たちですから。」
__そんな娘さんたちの未来について、想うことは?
「詰まるところ、好きなことをやってほしいという一心です。ただ、世界は広くて、さまざまなバックグラウンドを持った人がいるということを知った上で、自分の意思で選択できるようになるまで道を作るのは、親である私の責任だと思っています。日本にいるとどうしても教育の中で〝働くのは男性〟だとか〝女性は男性に守られている〟という感覚が自然と女性に植え付けられてしまっているように私個人は感じるんです。なので、海外で学ぶのも選択肢ですし、日本でお子さんを受験させた人たちと話すとそれもいいと思いますし、いろんな考えが頭の中でグルグルしちゃうんですけど、私が働くということだけは、もう揺るがないです。娘たちが〝男女がフラットに働くことが当たり前〟と思える未来にするためにも、楽しみながら働き続けたいと思います。」
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Profile
田島淑江
1983年生まれ。大学卒業後、大手商社シンクタンクに入社後、34歳でスポーツアスレチックウェアブランドにPRマネージャーとして転職。現在は、新店舗および新規事業部のマネージャーとして在籍。2019年に第1子、2022年に第2子を出産。2児の母。