“当たり前”の枠にはめずに考えてみる とんだ林蘭
ことなるわたしたち
山瀬の妊娠と出産を機にお休みしていた「ことなるわたしたち」が再スタート。今回より、ファシリテーターである山瀬とゲストの対談形式にインタビューはリニューアル。山瀬やゲストにとって、想い入れの深い場所で思い出の一皿を食しながら語らう。今回は、山瀬が20代の頃によく通っていた中目黒のメキシカン料理店「BAJA」をロケーションに、クリエイターのとんだ林蘭さんを迎え、これまでのそれぞれの人生の歩みに思いを馳せた。
__お二人の出会いは?
とんだ林蘭(以降とんだ林)_今年、山瀬さんにお子さんが生まれたすぐの頃に初めてお仕事を通してお会いしました。小さいお子さんもいるのに、バリバリお仕事も続けていて、すごいなって思いました。
山瀬まゆみ(以降山瀬)_あの時は産後はじめて、子どもを連れて仕事に行ったんです。京都のイベントに招待いただいて、パートナーにも同行してもらい、夜はパートナーに子どもを預けてとんだ林さんたちとご飯に行きましたよね。そういう機会は出産してから初めてだったので、楽しかったです。同世代の女性が集まって、恋愛の話で盛り上がって(笑)。改めて聞きますが、とんだ林さんにとって、恋愛はどんな存在なんですか?
私にとって恋愛は気持ちを成長させてくれるもの。
とんだ林_ずっと小さい頃から恋愛をしてきたタイプで(笑)。振り返ると、 恋愛をしたおかげで今の自分があるというか、恋愛で財産を得ている気もするんです。この仕事を始めるきっかけをもらったのも恋愛だったし、今すごく仲のいい友達は、以前の元彼の友達だったりすることもあります。“別れ”は、振られたり、振ってしまったり、辛い経験が伴うものの、そこを含めて結構いいものが残っているなと思っていて。なので、恋愛はどんな時であってもしていたいと思っています。
山瀬_自分からアプローチして傷ついたことはあるんですか?
とんだ林_全然ありますよ。告白してもお付き合いに至らないこともありました。でもその経験も財産だと思っています。私は成長できるのって、恋愛で傷ついた時が1番大きい気がしていて。とくに“気持ち”の部分で。普段はポジティブなんですけど、傷ついた時にだけ、周りの人の気持ちがよりわかるといいますか。いろんな立場の人の気持ちがわかるようになる。いろんな立場でものを考えれる唯一の機会を与えられているように感じています。
山瀬_それから、とんだ林さんが結婚していたことに驚きました。今後、家族を作ること、考えているんですか?
とんだ林_結婚したことを隠すつもりはありませんでしたが、わざわざ発表することはしていませんでしたね。そして実はもう離婚しています。今は独り身として楽しく生活しています。
山瀬_とんだ林さんがそもそも結婚という選択をしたことが意外に感じたんですが、もともと興味はあったんですか?
とんだ林_これまで結婚したことがなかったので興味はありました。普通のお付き合いから、結婚することによって関係性がどう変化するんだろうって。山瀬さんは結婚に対してどう考えてました?
山瀬_結婚に対して私は正直そこまで興味がありませんでした。これまで、付き合う相手とは長い期間の関係だったということもあって、結婚することにあまり意味を持てなかったんですね。それでも今のパートナーと結婚に至ったのは、彼が外国人で、会社を辞めるタイミングでビザがなくなることが理由でした。ただ、結婚に興味はなかったけど、子どもを産むことはすごく昔から経験してみたいと思っていました。フィジカルなことなので、すごく興味があったんです。
とんだ林さんは、お子さんは欲しいと思っているんですか?
正直に言えば、今の生活が変わってしまうことが一番怖い。
とんだ林_ 20代前半ぐらいまでは、子どもは絶対に作るものって思っていたんですよ。興味というよりは、それが当たり前って思っちゃっていて。若いだけに、当時は思い込んでいるだけで実際に母親になるということとは結びついてはいなかったですね。ちょっと未来の話みたいな感じで。30歳になって、だんだんリアルな年齢に近づき、結婚もして、じゃあいざっていう年齢になった時、ふと考えたら、欲しい気持ちもなくはないんですけど、今じゃないっていう気持ちになって。それが今でもずっと続いている感じです。仕事を休まなければならないとか、結構、先のことを考えると怖くなったというか。産んだらおしまいではなく、ずっと、その生活は続くことじゃないですか。山瀬さんは気持ちで突き進んだ感じですか?
山瀬_私は“経験してみたい”っていう気持ちの方が強くて、その先は考えてもしょうがないかな、という感じでしたね。考えてみてもわからないことだったし。
とんだ林_お子さんのいる友人の話を聞いていて、子どものいる生活は大人といるだけでは得られない何か、というのがあるのはすごく想像がつくことだし、素敵だなとは思うんです。でも正直に言うと、私は妊娠と出産そのものも怖いと思ってしまってるんですよ。フィジカル的な痛みとか、変化する体が怖いとか。やっぱり想像できないことへの恐怖心が拭いきれない。でも、一番怖いのは、自分にとって子どものいる生活自体がハードルになってしまうんじゃないかという不安ですかね。考えすぎているのかな。今の生活をすごく気に入ってるので、 それをやめなきゃいけないんだっていうのが受け入れられないんです。
結局、大人になりきっていないんですよ。
山瀬_普段から、考えすぎてしまうタイプなんですか?
とんだ林_多分、根がすごい真面目なんです。
学生時代、私は優等生というわけではなかったけれど、ルールにとらわれている方だった。小さい時から、学校の先生に怒られることがもう、この世の終わりぐらいに思っていて。宿題も絶対に忘れたくないタイプ。親に未だに言われるのが、小学校の時の寝る前の準備のこと(笑)。次の日の用意を何度も確認するんです。ランドセルを閉めて寝ようとしても、また不安になって起きて確認するぐらい、本当に心配性だったんですね。ただ、今はそういう“こうじゃなきゃ”という思い込みにはそこまで囚われなくはなっていますね。
囚われていたのは、自分が作ったルールだった。
山瀬_きっかけはあったんですか?
とんだ林_最初の節目は、高校生の時の黒ギャル時代ですかね。高校は、いわゆる“進学校”だったので、中学まで、勉強はそれなりにやっていました。その頃もクラスの中でも輪を乱すようなことは絶対したくない、目立ちたくないって思っていました。もちろん、怒られたくなかったし。
山瀬_なぜそんなメンタルから突然、黒ギャルに?
とんだ林_雑誌の読者モデルのギャルをみて、友達と可愛いって盛り上がって、みんなで目指そうという話になったのがきっかけです。同じ高校にはそんなにギャルがいなかったんで、私は他校も混じった地元のギャルサークルに入ったんです。
山瀬_少数派ということは、目立つだろうし、近所の人の目とか、学校の先生の目とか、気にならなかったんですか?
とんだ林_思えば当時は特に気にしていなかったですね(笑)。自分がいいと思う世界観に突き進む情熱だけで行動していました。勉強もせず、他校のギャルと一緒に、パラパラの練習をして、可愛いと思う洋服を選んで、地元のクラブに満を持して行ってみたり(笑)。思えば、学校のルールに縛られていたのではなく、目立ちたくない、輪を乱したくないという自分が作ったルールから解放されたんだと思います。
服飾専門学校へ行って、就職をして。会社員というキャリアをリセットして。
山瀬_その後、高校卒業をして、文化服装学院の専門学校に進学したのも、その情熱の延長線だったんですか?
とんだ林_それは全く別でした。本当に高校時代は遊び呆けていたんで、1~2年生の時は勉強をしていなかったんです。3年生になって、大学に進学できない学力になってしまった私に、高校の先生が進路相談でファッションが好きだったらこういう専門学校もあるよ、って勧めてくれました。
山瀬_実際に入ってみて、どうでした?
とんだ林_すごい楽しかったです。でも、2年生の時、いざ就活を始めたら、4大卒じゃないと入れない会社がいっぱいあるんだってことに気づいたんです。学歴というハードルを感じたというか、今の自分だと職種の選択肢がだいぶ狭まるんだなっていうのを目の当たりにした記憶があります。 ただ、できることをやるしかないし、社会人になって生活もしなければいけないし、その時入社できた販売員の仕事を3~4年ぐらい続けました。24歳の頃に一旦、アパレルから離れようと思って事務職に転職したんです。
山瀬_なぜ突然、ファッションから離れてしまったんですか?
自分のため時間の隙間がなかったんですよね。
とんだ林_販売職もすごく楽しくやっていたと思います。ただ、続けていくうちに、未来が見えてきたというか。このままいけば、多分、ショップのマネージャーになって、そこから本社勤務になって…。その未来と自分に重なるイメージが湧かなかったんです。販売職の仕事は売り上げのことなど考えなきゃいけない時間がすごく多くて、販売以外の何か別のことをやってみたいけど、考える時間にゆとりが持てなかったので、思い切って勤務時間が短い事務職に転職をしました。
事務職は正社員から派遣に切り替えて、より自由にできるようにシフト制にして、でもお金は全然稼げなかったので、結局掛け持ちでバイトをする時期もありましたね。それでも、“自分の時間”をどう使うかを主体的に選択していたように思います。あの生活にして一番よかったのは、絵を描き始める時間を作ることができたこと。この頃に、“漫画家になりたい”っていう気持ちが芽生えて。初めて何かになりたいっていう志を見つけられたんです。大変だったけど、楽しく過ごせていたと思います。
25歳、初めてなりたいと思い描ける将来が浮かんだんです。
山瀬_現在も、会社員ではなく、フリーランスとしての道を歩み続けていると思います。自由との引き換えというわけではないかもしれませんが、会社員を辞めたことによって、不安や危機感もあったと思うのですが、その気持ちにはどう応えていったんでしょうか?
とんだ林_あの頃よりは今は自由に使えるお金がありますけど、相変わらず“安定”は全くないので、あの頃に限らず、ずっと危機感はあります。実際、やばいっていう時もありますし(笑)。なので、ハードルを乗り越えたという感覚は今でもないですね。ただ、振り返ると、会社員でも、派遣でも、フリーランスでも、仕事を一生懸命楽しんで、できるだけ楽しくやろうっていう感じで進んできてたんで。その繰り返しを今でも続けてきている感じです。
そう思うと、私は子どもを産んだ未来が不安で選ばなかったというより、イメージが浮かばない、ということが今の生活を選んでいる理由になっている気がします。山瀬さんがおっしゃっていたように、結局、起きてないことに悩んでもしょうがないということは、これまで、色々と経験してきて思うことではありますね。不安になることも全然あるので、少しは予測して何か準備をしておくとか、なるべく失敗がないようにと考えることは大事だと思いますが。絵を始めた時も、これが仕事になるのか?という不安よりも、“描きたい”気持ちがすごく強くて、それができている時点で今はもうすごい幸せなんです。
――後編に続く
今日の一皿
Profile
とんだ林蘭 Tondabayashi Ran
1987年生まれ。2012年より、イラストレーターとしてキャリアをスタート。あいみょんのCDジャケット制作を手がけることをきっかけにアートディレクターとしてのキャリアが始まる。現在は、多くのアーティストのジャケット制作や、百貨店などとのコラボレーション制作、広告などのクリエイターとして活躍。
山瀬まゆみ Mayumi Yamase
1986年東京都生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、高校卒業と同時に渡英。ロンドン芸術大学、チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ&デザインにてファインアート学科を専攻。現在は東京を拠点に活動する。抽象的なペインティングとソフトスカルプチャーを主に、相対するリアリティ (肉体)と目に見えないファンタジーや想像をコンセプトに制作する。これまでに、東京、ロンドン、シンガポールでの展示、またコム・デ・ギャルソンのアート制作、NIKEとコラボレーション靴を発表するなど、さまざまな企業との取り組みも行っている。