働くことを考える 野村友里×山瀬まゆみ

ことなるわたしたち

料理人でありながら、映画「eatrip」の監督を務めたり、ミュージシャンと協働してレコードを出したり。多岐にわたる活動の根本に「食」がある野村友里さんと、アーティスト山瀬まゆみとの対談は「仕事」を一つのテーマとして始まった。連載「ことなるわたしたち」。社会の中で生きる意味や日々の変化について、野村さんが主宰する店〈eatrip soil〉で聞いた。

アーティストって、仕事?
山瀬まゆみ(以降 山瀬)_私は絵を描くことを仕事とは捉えていないんですね。好きだから描いていて、気がついたら今に至る、という感じなんです。でも、そもそも仕事って何だろうと考えたときに「労働」とか「嫌なもの」みたいな印象がどこかにある。だからこんな風に「仕事とは?」って話題になるのかなと思うんです。人生において、すごく時間を費やしているのは間違いないし、「仕事」をどうやって捉えるのかによって、人生そのものも変わるのかもしれない。
野村友里(以下、野村) : アーティストって、すごく定義が難しくて、曖昧なものですよね。直接的に求められるものではないから、それを世の中に差し込んでいくことで職業と言われている。極端に言えばなくてもいいものだけど、世の中に評価されているから金銭的な対価が得られるわけで、その辺りの心の置き所はどうしているのかなって気になりました。
山瀬 _私はまさに今もその問いの渦中にいる感じです。お金はなければ生きていけないけど、最初は絵を売ることにも抵抗があったんです。でも少しずつ、自分の中で整理ができるようになった気がしています。企業との仕事で描いている時にも「私は今、何をやっているんだろう?」と思うこともあるんです。けれど、結局は自分から生まれるものだから、嘘はないのかなって。嘘をつかないことが、自分にとっては重要なんだと思います。

野村_私の知人には半農業、半アーティストという生き方の人も多くて、畑にいると目に見えない美しさを次第に感じられるようになる。自然と繋がる媒介者としてならば、嘘が介在しないのかもしれない。もちろん心の奥のドロドロしたものが表現されているからこそ安心するようなアートもあるから、一概には言えないけれど。山瀬さんは嘘をつかないために、気をつけていることはありますか?
山瀬_ 私は自然との繋がりよりも、自分の体を動かして頭をすっきりさせることが一番合っている気がしています。社会の中で絵は、確かに食べ物ほど生活に直結しているものではないから、存在価値みたいなものに対しては、ずっと悩んでいるんですよね。

思いに共感してくれる人がいれば
野村_今、読んでいる食の文化史を紐解く本によると、高度成長期はサラリーマンの奥さんになることがみんなの憧れだったらしい。主婦に生きがいを見つけて、きちんとやろうと思ったら誰よりも働かなくちゃいけないでしょう? 家族のご飯を作って、洗い物をして、洗濯して、お布団パンパン叩いて、おやつまで作っちゃう。でも、お金はもらえない。仕事の先は「家族みんなが気持ちよく過ごせるように」っていうことだったんだろうなと。「仕事って何だろう?」と考えた時に、わからなくなってしまうこともあるけれど、私は循環の一部になりたい。その上で、社会の中の居場所づくりの末端をやりたいなと思っている気がします。思いに共感してくれる人がいたら、成立するんですよ。以前、開いていた〈restaurant eatrip〉は家庭のようなレストランで、〈eatrip soil〉は井戸端会議ができる店。声を届けづらい生産者さんと、食べる人との架け橋になるような場所になるといいなって。でも、さらに大きくしようとすると、途端に「ビジネス」っていうジャンルになってしまう。それは私にとっては全くの不得意分野(笑)。

山瀬_大きくしようとすると、途端にお金が優先されてしまうから。
野村_そう。私も何だかよくわからないけど、アーティストって言われることがあるんですね。メールの返信が遅いからかしら(笑)。効率が悪いことばかりしているからかもしれない。私も嘘をつかないことが一番のモットーなんだけど、料理は始める前にはいっぱい疑問があるんですね。「美味しいってなんだろう?」とか「この人参はどこから来ているんだろう?」とか、そういう疑問を解決していく過程で、映画を撮ったり、レコードを作らせてもらったりしてきたんだと思います。
その映画『eatrip』を観ていただいた頃から、ピアニストの高木正勝さんが、古い茅葺屋根の大きな家で暮らすようになったんですね。窓を開け放つと山が見え、裏には川が流れているところ。そこで自然の音や子どもの声も一緒に録音した、「マージナリア・シリーズ」を作っている。完成される前の曲っていう意味なんです。世に出されるものは完成形が多いけれど、捨ててしまう曲がいっぱいある。でも、そこにはヒントがいっぱいあって、過程こそが美しいんじゃないか? というもの。私はそのシリーズがすごく好きなんです。あの山の中の、その時の一瞬の風景がそのまま音楽になっているような気がするから。雨が降った後には、森の木が地面から水を吸い上げている音が聞こえるし、木が水柱に見えるんだって。

山瀬_ その光景が、目に浮かぶような言葉。
野村_そうなの。森が水柱になる。そういう言葉に、すごく感動するんです。私もかつてはキャッチーな料理を作っていたこともあるけれど、美しさの概念もどんどん変わっていって、どんどん土に近い方に、「芋っぽい」方に来ちゃった。でも、芋って美しいでしょう? 何が正解かなんて、きっと言う必要なんてないんですよね。常に過程で、変わっていくものだから。
東京で働いていた友人たちもどんどん地方に行って、彼らが帰ってくると、ずっといられる場所がないって言うんです。でも、ここ(eatrip soil)には日光浴するみたいに人が集まってきて、おしゃべりが始まったり、出会いがあったりする。だから、場を持つことが結構、大事。そこで混ざりあっていくから。私はただ、嫌だなと思う方向に流されたくないだけ。

山瀬_嫌だなって思うのは、どんなことですか?
野村_うーん、スッと繋がらないというか、共有できない感じかしら。みんなそれぞれ違う形で仕事をしているけれど、その先に、一緒の景色が見られる人たちが面白いなと思っています。

山瀬_ 「社会に向けて」と言われると、大きすぎてわからない。でも、近い人たちが共感してくれて、そこから何かを作っていくという考え方は、すごくしっくり来ます。そこから社会の居場所を作っていくというか。友里さんが話していた「家族みんなが気持ちよく過ごせるように」の家族の範囲がもう少し広がっていったようなイメージかもしれない。
私はどちらかと言えば、自分が絵を描きたいから描いていて、その出発地点は違うのかな。それでも、絵を見て、誰かが何かを感じてくれたら、それは社会の中で何がしかの役割を果たせているのかしら。役割があると言ってもらえると、なんとなく安心して嬉しい感じがしますね。

野村_ 絵が描けなくても、料理が得意じゃなくても、この場を作るっていうクリエイトはあると思っているんです。空気はみんなで醸成していくものだから。一人だけではやっぱりダメで、誰かが共感しないと物事は動いていかないんですよね。だから場を持つこと。それからもうひとつ、いろんな世代と一緒になることがすごく大事だと思っています。家族的なお節介って、正直好きではないけれど、介入したりされたり、ある程度、突っ込んだ関係性がないと見えて来ないものがあるから。それがいろんな世代に跨っていることも、循環だと思う。子どもたちは私たちが通った道だし、上の世代はいずれ行く道だから。それが輪になって続いているようなイメージかしら。その際に、建前だけで動いていたら、多分ちょっとずつ見ている景色がズレてしまう。なるべく原点に共有部分があって、そこから広がっていけばいい。そうすれば、どんなにズレて行ったとしても、また戻って来られる場所があるから。
――後編に続く
この記事への感想・コメントは、ぜひこちらからご記入ください。編集部一同、お待ちしています!

Profile
野村友里 Yuri Nomura
東京都生まれ。おもてなし教室を開いていた母の影響で料理の道へ。ドキュンメンタリー映画『eatrip』では、監督を務めた。2019年に表参道GYRE内にグロサリーショップ『eatrip soil』を、2024年には祐天寺に『babajiji house』をオープン。食物と植物をテーマとした展覧会『衣・食植・住』展では伝統的な暮らしから今を考えるなど、さまざまな活動を行なっている。著書に『とびきりおいしい おうちごはん』(小学館)など、多数。
山瀬まゆみ Mayumi Yamase
1986年東京都生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、高校卒業と同時に渡英。ロンドン芸術大学、チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ&デザインにてファインアート学科を専攻。現在は東京を拠点に活動する。抽象的なペインティングとソフトスカルプチャーを主に、相対するリアリティ (肉体)と目に見えないファンタジーや想像をコンセプトに制作する。これまでに、東京、ロンドン、シンガポールでの展示、またコム・デ・ギャルソンのアート制作、NIKEとコラボレーション靴を発表するなど、さまざまな企業との取り組みも行っている。