2023.7.1

「お手伝いしましょうか」その一言が社会を動かすと知っていましたか?

PROJECT

SUSTAINABLE

 ORBIS

オルビスのサステナビリティ推進室では、多様性への理解を深めるために社員向けのイベントを行っています。オルビスとして様々な方に手を差し伸べたくとも、まずはその方々のことを知らない現状と向き合わねばならないと考えています。そして、このような取り組みを読者の皆様に共有することで、ともに学びや気づきに変えていけたらという想いで発信に至りました。

今回は、サステナビリティ推進室のアドバイザーを務める小松成美さんのご紹介で、認定NPO法人ココロのバリアフリー計画理事長・池田君江さんをお招きしました。

池田さんは、2007年に渋谷の温泉施設爆発事故に巻き込まれ、車いす生活を送っています。〝ココロのバリア〟を超えるには、困っている人に「お手伝いしましょうか」と声を掛けるからこと始まります。簡単なことのようでいて、では実際に街で車いすの方に声がけできた方がどれだけいるでしょうか。

その一言、その優しさが社会全体に広まっていくことで世界が動き出すというお話には、多くの気づきがありました。その気づきが自分事としてより感じられたのが、講演後の車いす体験でした。インターネットや書籍などからだけではなかなか感じられない〝リアル〟な実体験を通じて自分事として考え、なぜ、誰かからの「お手伝いしましょうか」の一言がそんなにも嬉しいのか、知ることができました。

このレポートで、みなさんと、その気づきをシェアできたらと思います。


事故で車いす生活になり、生きる意味を見失った。

池田さんが、車いす生活を余儀なくされたのは、渋谷にあったスパ施設で起きた爆発事故が原因でした。子育てがひと段落し、もともと美容が好きだったこともあって、その施設で働き始めて一週間で、事故に遭遇。たまたま休憩スペースのソファが埋まっており、地べたに座って昼食を取っていたおかげで助かったと言われたそうです。

「今、命があることは奇跡だと言われても、脊髄を損傷して一生寝たきり、よくて車いす生活と告げられた私には、生きる意味さえわかりませんでした。そんな中、脊髄損傷回復のスペシャリストである渡辺淳さんに出会いました。彼は、サンディエゴでトレーナーの資格を取ったんですが、『できないことは何もない、行けないところは何もない。階段があれば自分が担ぐし、壁があれば俺が壊しますよ』とサラッと言ってくれたんです。車いすで外に出るのが怖かった私、そして家族が、その言葉に救われ、前向きになれたんですね。背が低い人もいれば高い人もいる。目が悪い人がメガネを掛ける。私は脚が悪いから車いすに乗っているだけ。車いすは、個性だとも思えるようになりました」

街には、バリアが溢れている。

トレーニングを重ね、アメリカでイベントに参加したり、ジェットコースターに乗ったりできるまでに。

「アメリカの車いす事情に衝撃を受けました。ハード面でのバリアフリーがどうということではなく、遊園地にもレストランにも車いすの人がたくさんいて、受け入れる施設側も、街の人も扱いに慣れていたんです。『車いす用のトイレがあいたよ』って教えてくれたり、エレベーターに乗る際に子どもが『先にどうぞ』って声を掛けてくれるんです。一方、日本では、車いすの人を見る機会が少ないですよね。日本で車いすが必要な人は約900万人、東京23区とほぼ同じ数です。人口当たりでは、約70人に一人いると言われていて、これからは高齢者の利用者も増えていきます。でも、あまり会わないのは、私が車いす生活だと告げられた時に感じたように、外に出るのが怖くて出られないのではないかと。実際、街には、車いすになるまでは考えもしなかったことが〝バリア〟になっているんです」

たとえば、トイレに手すりがあっても、立てる人前提の高さについていて、車いすに座ったままでは届かない。スロープがあっても、短すぎて危険だったり、長すぎて一人で漕いでいくのはしんどかったり…。お店に行けば、買い物かごや商品が高く積まれていて取れない。東京オリンピック・パラリンピックのために増えたユニバーサルデザインのホテルでさえ、シャワーヘッドやバスタオルに届かず、フロントに連絡をしてお願いしないといけない。デパートのコスメコーナーはハイチェアーが多く、試したくても試せない。障害者用のパーキングスペースに、必要ではない人が止めないようにパイロンが置いてあって邪魔になる…。

車いすを使っていなければ気づけないバリアは、際限なく上がりそうです。

しかし、池田さんは、ハード面のバリアフリー以上に、ココロのバリアフリーの大切さを説き、広げる活動をしています。そのきっかけとなったのは、串カツ田中の1号店で店長兼オーナーだった貫啓二さん(現・会長)との出会いでした。大阪出身の池田さんは故郷の味を食べたいと思っていても、いつも混んでいて、狭そうで段差もある店の作りに入店を躊躇していました。最悪、外のドラム缶でもいいという気持ちで、家族で行ったところ、貫さんはこう言ってくれたそうです。

「これまで10年間、いろんな飲食店を経営してきたけど、車いすお客さんが来たのは初めて。車いすに触ったことがないから、どうしたらいいのか教えて」

そして、中から3人の学生バイトを連れて、4人で車いすごと持ち上げてくれ、お客さんも嫌な顔せず、テーブルを動かすなど協力してくれましたそう。そして、店を出る時に掛けられた一言が、池田さんの胸を打ちました。

「また来てね」。

健常者にとっては、なんてことのない言葉ですが、入店を断られることが多かった池田さんの心は大きく動きます。

「段差や狭いというハード面でのバリアがあっても、居心地がいいお店があるんだとびっくり。『車いすの人もトイレ行くことを考えたこともなかった。トイレが狭くなっても、一席でも多く作ることしか考えてなかった。知らんことだらけやわ』と、貫さんは話していたんですけど、2号店はスタッフルームを少し狭くして、車いす用トイレを作り、3号店の入口には段差があるけど、スタッフがお手伝いできるからみんなに教えてと、連絡をくださいました。そうしたウェルカムで優しいお店の情報があれば、車いすで行けるところはすごくあるんだと気づき、ココロのバリアフリー計画という活動を始めたんです」

「お手伝いしましょうか」は魔法の言葉

池田さんの考える〝優しいお店〟というのは、段差のあるなしにかかわらず、店の大きさにかかわらず、『いらっしゃいませ』『また来てくださいね』と言ってくれるお店です。

「ハード面のバリアというのは、情報がわかっていれば、予め担いでくれるお友達と一緒に行くとか、トイレに入れなさそうだから、駅で済ませておくとか、いろいろ判断や準備ができるんですね。とにかく、お店側には、ウェルカムでいてくれさえいたら」

認定NPO法人ココロのバリアフリー計画では、バリアフリーの設備かどうかにかかわらず、車いすに優しいお店に、ウェルカムシールを配っています。

「このステッカーがあることで、お店のスタッフの方から『何かお手伝いしましょうか』と声を掛けやすくなったと言ってくださいます。スーパーのアナウンスで、『ココロのバリアフリー応援店です。お手伝いが必要な方がいらっしゃったら、近くのスタッフまでお声がけください』というようになったら、店員さんに留まらず、お客さんも声を掛けるようになったそうです。『お手伝いしましょうか』 は魔法の言葉と私は呼んでいるんですが、一人ひとりがこの一言を障害者にかけるだけで、社会全体が優しくなれると思うんです」

池田さんは、「大事なのは、マニュアルではなく、人と人とのコミュニケーション」だとも話してくれました。

「ある航空会社では、車いすは後ろ向きに押すルールだったんですけど、乗り物に乗る前に後ろ向きで動くと、どうしても気分が悪くなってしまうんです。それを避けるために、私は前向きでも大丈夫だと、お手伝いしてくださる方に強く説明し、納得してもらいました。でも、上司でしょうか。違う係の人から『後ろから押さないとダメじゃない』と、柔軟に対応しようとしてくれた人が怒られてしまって…。一人ひとりの事情に耳を傾け、その人がどうしたら居心地がよくなるか考えていただき、みんなのためのマニュアルであってほしいなと思います」

車いす体験から考える、「業務に活かせること」とは?

講演の後は、車いす体験を行いました。この体験では、本社の近くにあるコンビニへ。平坦に見える道も実は坂になっていること、棚が高くて値段が見られないこと…、車いすで外出する難しさを知ったことで、サポートしてもらうことや声を掛けてもらう優しさが身に沁みました。お金を出すのに戸惑ったり、場所を取ってしまっているという申し訳なさをすごく感じたという参加者も。また、業務に活かせる具体的なアイデアも出ました。

●店舗の棚の配置を変えることはすぐには難しいかもしれないが、『お手伝いできますか』と声を掛ける意識を持つだけで、ココロのバリアフリーは実践できる。

●〝いつでも言ってください〟というマークをオルビスが作り、広げることができるのではないか。

●障害を持った方にとっては、ゴミを出すのも大変に違いない。その視点から、一番いい梱包の方法やデザインを考えていきたい。

●ショッピングセンター内の店舗では、お手洗いやエレベーターの場所をすぐに言えるようにすることが大事。また、そこに向かうまでの段差なども把握した上で、お手伝いしていこうという意識付けができると、だいぶ違うと思う。

●通販商品を受け取るのも大変。防犯のことを考えると難しい部分もあるが、家の中にまで荷物を届けられるサービスがあってもいいかもしれない。

前述したアイデアたちが全て実現できるわけではありません。それでも身を持って体験し考えるとても良いきっかけを得られました。そして働き方について、考えを巡らせた参加者たちもいました。もし、自分が今、車いす生活になったら、10時までに出社するために、ラッシュアワーの時間帯に出なければいけない。満員電車には乗れない。そうなると、今までのように働き続けられないのではないかと。

そして最後に、小松成美さんがこんなことを指摘くださいました。

「今日のために、池田さんには事前に社内を回っていただきましたが、どのトイレにも入ることができませんでした。今まで通りに働き、生活をしていたら、本社ビルのトイレに車いすのサイズによっては入れないという状況があるとは考えないですよね。でも、今日、みなさんは、考えるきっかけを得ました」

オルビスで働く者として、それ以前に、この社会で生きる人間として、みんなで共存し合うために、自分には具体的にどんなアクションが起こせるのか。考えるきっかけを、池田さんからいただけました。


Profile

池田君江(Kimie Ikeda)

2007年渋谷の温泉施設爆発事故に巻き込まれ車いす生活に。障がいのある方・高齢の方・ベビーカーを利用する方が、心地よく安心して外出でき、困った方がいたら声を掛け合える世の中を目指し、NPO法人ココロのバリアフリー計画を2013年1月に設立。2017年1月に、認定NPO法人に認定される。ウェブサイトではバリア / バリアフリー関係なく、できる限りのお手伝いをしてくれるウェルカムなお店・場所を”ココロのバリアフリー応援店”として紹介。登録店舗数は3000件を超える

https://www.heartbarrierfree.com/

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vol.2
2023.05.08

里山再生に10年。 人と自然の共生を目指す、オルビスの森づくりとは