立ち止まって、景色を見る勇気をもってみませんか?|家族編 #06|紫原明子 後編
&Human Nature
「いい家族ってなに?」「幸せな家族とは?」──。コントリビューターの佐々木康裕のエディターズレター「小さな社会的物語が語ること」をきっかけに、「& Human Nature」編集チームが社会を取り巻く状況や価値観の多様化によって急激に変化する、もっとも小さな“社会”としての「家族」について考えるシリーズ第6回。状況によって変わりゆく人間関係。そのときどのような思考が求められているのか。 エッセイストの紫原明子さんにお話しをうかがう最終回です。
佐々木_先ほどのお話はすごいおもしろいなと思いました。(中編で)依存先の最適な数についての話をしましたが、そのとき自分の考えが及んでいなかったのが、それぞれの点の関係のなかでの関係性の変化があることを思い直しました。
新しくできた友人と過ごす時間もすごく心地いいんだけど、「ぼくたち親友だよね」と確認し合うのは、ちょっと違う気もするんですよね。お互いの状況の変化によって、その関係も重たく感じてしまうかもしれない。重たくなったら、その関係を一旦解いて、お互いが健全な状態でい続けることもあり得るだろうなと思いました。関係性の変化を、時間軸で考えるのはすごく大事だと感じます。
紫原_関係性って、どうして短期でしか考えさせてくれないのでしょうね。長期で考えたいですよね。
贈与と交換の話で考えると、何かを受け取ってそれで終わりだと思えば、たしかに贈与。でも、関係性って続いていくものだから、先々なにかを返せるかもしれない。交換になり得るかもしれない。長い時間軸で生きてたら、いま返さなくてもいいやと、受け取れるんですよね。だけど、短期的な視野しかもてていないと瞬時に借りを返していかなければと焦ってしまう。本当はすぐに返さなければいけないものをたくさん抱えていると感じると、それ以上は受け取れなくなってしまうんですよね。
夫婦関係でも恋人関係でも、いいときもあれば、悪いときもある。この人はいま、自分にイラついているのではなくて、調子が悪いんだなと思って待ってあげられるかどうかも大事なんだと思います。
──長期的な思考で言えば、子どもとの関係もそうかもしれませんね。幼いころはこちらが与えてる側だとずっと思い込んでいるけど、あるとき子どもが大人びた答えを返してきたときに、ハッとしますよね
紫原_ありますよね。自分がケアされていることに、ハッと気付く。そこに気付いていなかったことへの罪悪感を、すごい感じるときがあります。なんて元気な明るい子なんだろうと思っていたけど、わたしのことをケアしてくれていたんだと思うときがやっぱりあります。でも、子どももそうやって大人になっているんだと思います。
子どもとの関係も本当に変わってくるんですよね。それはスイッチを押したように「はい、今日から」とかではなく、グラデーションで変わっていくから気づかない。でも、それがおもしろさでもあります。
これほどまでに逃れられない人間関係は、ほかにないです。子どもはかかわり続けないと死んでしまうから、なにも続けられないわたしでさえ、なんとか子育てができたというのは半強制力があるからで、子育てにかかわる大変さもあるけど、よさもあるなと思いますね。
「もぐら会」男性版、誕生⁉︎
佐々木_さっきからちょっとモヤモヤした感情があって。家族の関係を解くのもあり得るんだよねとか、依存性を増やすのもありだよねみたいな話が、ある種の特権的な人しかそういうことができないのではないかということです。もちろんそうではない部分もたくさんあると思いますが。
『桃山商事の恋愛よももやまばなし』というポッドキャストをご存じですか。この前、DV夫がトピックに挙がっていて、話を聞けば聞くほどに「別れたらいいのに」とかしか思わないのですが、そこには経済的依存のようなものが密接に絡み合っているから、逃れることはできないということがありますよね。
紫原_そうなんですよ。少子化が深刻化するなかで、決して十分ではないけれど、大学生には返済不要の奨学金が増えたり、東京では私立高校の授業料の実質無償化が進んだりと、行政から子育てに出るお金もある面では増えていて、福祉も少しずつ充実しています。よくなっているところも確かにあるんですが、夫婦関係や子育てで疲弊してるなかで、自分の問題を正確に把握して、頼れるサポートにたどり着くまでが本当に大変なんです。
調べる能力、申請できる能力、そしてそれができる余力をもつことがとても難しい。わたしたちの日常では、お金を払ってサービスを受けることで、それ以外の煩雑さを回避することがあまりにも手軽にできてしまうので。だから、お金だけに頼らず、依存先を複数もって生きていこうとすると、時間と手間とその情報を処理する頭のよさがいるんですよね。
── 確かにそうですね。編集チームでも、いまの家族のスタイルに対して、なんとなく違和感があるという話を延々としているのですが、なんでそういうのがもやもやするのかなといったところで、モヤモヤするならやめたらいいのに、と。だけど、やめられない経済システムみたいなところもありますよね。
そのループから抜け出す方法は、いろいろあるとは思いますが、紫原さんや佐々木さんみたいな人が発信してくれて、その話を聞けた人は次の瞬間からビジョンがふわっと広がるけど、多くの人にはその機会がないことを痛感しました。
紫原_わたしは、もぐら会みたいなお話会に、もっとたくさんの男性が入ってくれるとうれしいのですが、いまはまだ4対1ぐらいの割合で女性が多いんですよね。男性で入ってくる人は、ほぼ休職経験がある人。精神を病んで退職してしまった人とか、休職をして復職した人。あと、発達障害をもつ人やその親御さんも入ってきます。きっと、わたしが男性に届く言葉をもってないんでしょうね。
── なるほど。
紫原_こういうものがどう作用するとか、必要だということを伝える男性語が、多分あると思うんですよ。きっと。それをもっていないんですよ。
佐々木_わかります。一方で紫原さんがもしその言葉を身につけて発したとしても、届かない可能性もありそうですよね。これは男性が受容体をもっていないだけかもしれませんが、「誰が言うか問題」みたいなのがすごく大きいですよね。
この前、パートナーにきつく言われたことを思い出しました。元々ベンチャーキャピタリストだったある方が、いまは出家して僧侶になっているんですよ。世の中のためとか自分の心に向き合うということをやっていて、それを経済メディアがすごい取り上げているのですが、「(回り道をせずに)最初からそれをやっている人はたくさんいるよ」って。
紫原_確かに。本当ですよ。
佐々木_そうなんですけど、男性がよく読む経済メディアは、そういうのに飛びつくんですよね。もぐら会にはお仕事をちょっと離れられて戻ったみたいな人がたくさんいるというのは分かるけど、いわゆる40〜50代の男性たちがロールモデルとしている人が、そういうふうになった経験を語ると響くんだと思います。
フレンドシップ元年
紫原_わたしのパートナーは本がたくさんある書庫のような家に住んでいる人で、あまりにも本に生活スペースが圧迫されているので、さすがに処分しなければとよく言っているんです。「そうだよ、物を捨てると毎日気持ちがよくなるよ」みたいなこと返したら、「よし」と言って、買ってきたのが男性が書いた断捨離系の本だったんですよ。
生活の話や断捨離系の本を書いてるのは、女性のほうが圧倒的に多いはずじゃないですか。こんまりさん(近藤麻理恵さん)然り、お片付け本、捨ててすっきりみたいなもの然り。大抵は女性なのに、そのなかであえて男性の本を選ぶんだな、というところに、考えさせられました。生活のなかで見い出した知恵を女性が語っても男性には響かないのかもなあと。
佐々木_いまのパートナーさんの話とは違うかもしれないけど、自分が変わらなきゃみたいな局面においても、ある種、サル山的なヒエラルキーを維持しようとしたのは、社会的に上の人とか、成功した人とかが言うことを、この人が言うならみたいな感じになっていますよね。
紫原_そうですよね。
── 克服した人が言うことみたいな感じにもなってますよね。
佐々木_そうなんです。だから最近、有害な男性性とか、男性の孤独みたいなのをすごく考えています。
紫原_本当にそうですよ。
佐々木_昨年、ある人と対談があったのですが、「2023年は佐々木さんにとって、◯◯元年です」というのを考えてきてくださいと言われていて、恐らく「生成AI元年」とかを期待されていたのかもしれないのですが…….。
── 確かに。
佐々木_そこに「フレンドシップ元年」をぶつけてみました。友情みたいなことが、ぼくらのような40代くらいの人たちにこそ、本当に必要な気がしています。
紫原_すごくいいですね! 休職したり、なにかしらの挫折を体験した男性は、結構いやが応にもそのサル山から降りられてしまうんですよね。すごく楽しそうですよ。フレンドシップって、ヒエラルキーの外にでないともち得ないですからね。
── 立ち止まって景色を見る勇気を知ってしまったところがありますよね。マラソンとかも走り続けないといけないじゃないですか。だけど、あれ、 制限時間内だったら休んでもよくない? みたいなところってあると思うんです。そこの勇気って、すごく大事ですよね。
紫原_ね。だから、大体がフリーランスになったりとかするんですよね。安定的な収入からはちょっと遠ざかってしまってお金の心配だけは残るけど。ただ、ジャズを始めてみたり、カメラを始めてみたり、こういうコミュニティに来たりしていますよね。もたない者同士は、贈与が生まれやすくなるというか、カメラが趣味の人は、無料で撮ってあげて、画像を送ってあげるとか。そういうことをし始めるんですよね。肩の荷が降りてる感じがしますよね。本当に。
── もぐら会のような取り組みは広がってほしいけど、もぐらであり続けるために、メジャーになっていいのかという問題もあって、難しいですよね。
紫原_本当にそうなんです。でも、もぐら会的なものを、佐々木さんが呼びかけて始めたらいいじゃないですか。男性もきっと耳を貸すし。踏み出すきっかけさえあればいいんですよ。一緒にやりません?
佐々木_確かに。裏で紫原さんが操りながら(笑)。
紫原_やりたい、やりたい。お手伝いしたい。このきれいな場所で。場所って重要だと思うんですよ。もぐらだからといって、地下でやると気持ちもそういうモードになります。
佐々木_それを地上でやる(笑)。
紫原_しかも、表参道とかだとプライドの高い人もプライドが高いまま来られるし。ひと工夫できたらいいですよね。
Profile
紫原明子|Akiko Shihara
エッセイスト。2人の子をもつシングルマザー。家族、福祉、恋愛、性愛、人間関係等をテーマに幅広く執筆する。「クロワッサンonline」「東洋経済オンライン」「弁護士ドットコム」「AM」などのウェブ媒体のほか、『VERY』『PHP special』『月刊PHP』などの紙媒体の連載に寄稿している。著書に『大人だって、泣いたらいいよ 紫原さんのお悩み相談室』『家族無計画』〈ともに朝日出版社〉、『りこんのこども』〈マガジンハウス〉などがある。執筆の傍ら、“話して・聞いて・書いて自分を掘り出すコミュニティ もぐら会”を主宰。2017年より、エキサイト株式会社と共同で「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」泣いてもいいよステッカーの配布を開始。公共の場で泣いている赤ちゃんを温かく見守る眼差しを可視化するプロジェクトの普及に努めている。
佐々木康裕|Yasuhiro Sasaki
Takramディレクター / ビジネスデザイナー。カルチャーや生活者の価値観の変化に耳を澄まし、企業やブランドが未来に取るべきアプローチについて考察・発信を行っている。そうしたアプローチを元にした著書に『パーパス 「意義化」する経済とその先』(NewsPicksパブリッシング)、『D2C 「世界観」と「テクノロジー」で勝つブランド戦略 』(同)、『いくつもの月曜日』(Lobsterr Publishing)などがある。2019年からはカルチャーやビジネスの変化の兆しを世界中から集めて発信するスローメディア「Lobsterr」を運営。Takramでは、未来洞察や生活者理解のためのプロジェクトを数多く実施している。