2024.2.16

家族社会学からみる“家族のいま”|家族編 #07|筒井淳也 前編

PROJECT

&Human Nature

佐々木康裕 Yasuhiro Sasaki

ここまで「& Human Nature」編集チームは社会を取り巻く状況や価値観の多様化によって急激に変化している、もっとも小さな“社会”である「家族」について考えてきました。家族のかたち、家族の在りかたは、本当に変わってきているのか。変わっているのであれば、どう変わってきているのか。データを用いて、「家族社会学」という視点から家族や女性の労働力参加、親子関係などの見えざる真実を解き明かす、立命館大学教授の筒井淳也さんに“家族のいま”についてお話をうかがいました。

社会学からみる家族

編集部_さっそくですが、筒井さんが研究されている「家族社会学」とは、いつごろから体系化された学問なのでしょうか?

筒井_社会学の歴史自体は古いですが、家族社会学は当初から確立された分野ではありませんでした。専門分野として確立されたのは、ここ半世紀ぐらいなので、あまり古いわけではありません。社会学の特徴として、変化していく物事に対して、「なんでそんなふうになっているのだろうか」とか、「いま、われわれが暮らしている社会とか、あるいは知ってる家族というのが昔からそうだったのかな? 」とか、「これからどうなっていくのかな?」 といった疑問がいろいろ現れてくるたびに、それに対してアプローチしていくことで発展してきました。

編集部_そうしたなかで、“家族”がテーマとして浮かび上がった背景にはどのようなことがあるのでしょうか?

筒井_日本の家族社会学では出発点として、明治期から戦前まで、民法で「家父長制」のもとで家族が運営されてきた状態を置くことが多いです。明治民法下の家父長制では、世帯を単位として家族全員が属するのですが、その世帯のいちばん偉い人である家父長──あるいは民法では戸主(こしゅ)──がいろいろな権限をもっていました。

例えば、戸主の許可がないと結婚できないとか、どこに住むかは戸主の許可がいるとか、もっとすごいのは、割と裕福な人はよそにお妾さんをつくっていたんですけど、世帯の中に跡継ぎがいない場合に、お妾さんとの間にできた子どもを跡取りにすることも独断で決めることができるくらい強力な権限をもっていました。

「封建的」という表現もありますが、家父長制的、男性優位的な家族が戦後社会では廃止され、民主的になっていったのですが、それでもなんか家の中で偉そうにしてる人がいるなとか(笑)、あるいは古臭い非民主的な要素が家族に残っているんじゃないかという見方があって、家父長制的な家族が戦後もしばらく続いたんですね。

どうやったらその民主的な家族ができるのか、あるいは民主的な家族ができたとしてなにか問題はないのかとか、そういったことを最初はテーマに研究していました。

先ほどお話しした家父長制的な規範は、割と地域によって違ったりします。例えば、親と一緒に住んで大事にして扶養しなければという考え方は、東北地方と北陸地方では強いのですが、南日本や西日本ではそうでもないというような、地域差があることがわかってきて、どうなっているんだろうというところから研究が進みました。

高度成長期は専業主婦の時代になります。それから時代が変わると、今度は共働きになります。そうした時代の変化のなかで、保守的な家族が民主的になったときにどういう問題が生じるかとか、専業主婦が増えたらどんな問題が生じるかとか、共働きになったらどうだとか、時代が変わるごとに重点的な研究テーマが変わっていく。そういった特徴があると思います。例を挙げると、専業主婦が多かった時代には、子育てにおける孤立の問題がしばしば取り上げられました。共働きが増えてくると、夫婦間の家事分担や仕事と家庭の両立困難が研究テーマとして増えてきました。

データで読む家族

編集部_社会学は文化的背景とかを探りながら研究されているものが多い印象がありますが、筒井さんのご著書はいわゆるデータ分析を精緻にされていて、多くの人が感覚的にこうだと思い込んでるものに対しての裏側を描かれているのがとても印象的でした。いま、筒井さんの目に見えている景色と、世の中の感じているところの家族像のギャップのようなものは、どのようなところにありますか?

筒井_ギャップが結構強くて、一般の方が考えている家族や家族の変化と、われわれがデータを踏まえて捉えてる家族の変化にはだいぶズレがありますよね。

割と多いのは、メディアや行政の方から、「家族関係が希薄化していますよね」ということを前提に話をされることですね。昔は家族の絆が強かったのに、いまは薄くなってしまった、みたいな話ですね。

でもそれって、専門家からしたら思考停止してしまうほど、よくわからないことなんです(笑)。「なんでそうなるの?」となるんですよね。というのは、よく考えてみれば分かるのですが、昔は子どもの数も多かったし、寿命が短かったんですよね。

子どもの数が減ったことと、寿命が伸びたことが、以前と現在で異なる2つの人口学的な特性です。例えば、わたしの叔父や叔母はいちばん多いときで十数人いて、いとこの数も20人近くいました。そうすると、祖父母からしたら孫が10人以上いるということになります。いまの祖父母世代は、孫はそんなにいませんよね。いとこの数もみなさんはもっと少ないのではないですか? 多分数人とか?

編集部_4人とかそれぐらいですかね?

筒井_いまの学生だといとこが「0人」というケースも結構多いです。ということは、家族とか親族の構造が劇的に変わっているわけです。

祖父母の目線で考えてみたときに、一人ひとりの孫というのは、10人近くいる孫のなかの一人です。もしかすると名前もちゃんと思い出せないこともあったかもしれません。加えて、寿命も短かった。1950年代生まれぐらいでようやく平均寿命が60歳を超えるぐらいなので、高齢期がすごく短くて、極端な話として、孫の顔を見られず亡くなってしまう方もたくさんいて、ましてや孫の成人や結婚式を見届けるのはかつては珍しいことでした。

ものすごくたくさんの孫と、すごく短い期間しか接してないわけです。一方、いまはかなりの長期間、ごく少数の孫と緊密な関係を築く。これは親子関係でもある程度はそうなんですよね。

つまり、家族関係は明らかに「長期化かつ緊密化している」というのが“事実”なんです。われわれはそういう前提で話するんですけど、「最近、家族関係が関係薄くなりました?」とか言われてしまう(笑)。そのあたりのギャップはすごいなと思います。逆に、なぜこんなにも緊密化して長期化しているのに、希薄化していると思うのかということに興味があります。

われわれは「成人親子関係」と言いますが、成人になってからの親子関係もものすごく長期化してるんですよね。わたしは福岡生まれで18歳で親元を離れていますが、もう30年近く帰省する人生を送っています。これからもこの関係は、しばらく続いていきます。緊密とはいえないかもしれませんが、少数で長期的にはなっていますよね。

編集部_確かに。たとえ離れていたとしても、時間的に共有するものが明らかに長くなっている傾向にありますよね。

筒井_そうだと思います。人間って少数の人と長期間一緒にいるとこじれることがあるんですよね。なので、関係の悪化が目立ちやすくなったのだと思います。ものすごく縁遠い知り合いとかと若干トラブルがあったら、もうバイバイみたいになるわけですよね。ちょっと離れた親戚同士では「アイツはいまなにやってんのかわかんない」みたいなことがよくありました。確かに7人の中の1人くらい正月に帰ってこなくても目立たなかったけど、人数が減ったことで「関係の悪さ、薄さ」が目立つようになったのでしょうね。

長期化かつ緊密化する家族という体験

編集部_そこに輪をかけて、SNSなどでなんとなく動向がわかっている、ある種の緊密さがありますよね。

いまの状態は、日本に限って言えば初めての状況ということになりますよね。体験したことないことの違和感が強いんでしょうか。

筒井_そうなんですよ。まさに初めてのことなんです。こんなに親子関係が成人後もずっと続いていく、しかもごく少数の関係で。どの国もある程度その傾向がありますが、これは人類史上、初めてですよね。

編集部_家族とかのそういう繋がりとかに、やや幻滅する若者もいるとかそんな感じなのかなと想像してしまったのですが、そのあたりの研究などはあるのでしょうか?

筒井_最近、「親ガチャ」ってよく言いますよね。要するに子どもは親を選べないっていうものが根本的にある。生まれてくる前に親を選ぶ意思決定ができるならそうはならないんですけど、それは不可能なわけですよね。生まれてくる前に「ちょっと親を別の人にチェンジしてください」みたいなことは(笑)。

一般的に「親ガチャ」というときは、親の所得や学歴に加えて、暴力的であったりとか、性格に病的なところがあるとか、そういう要素も含まれるのですが、まさにその「ガチャ」の研究を、社会学はずっとやってきました。「世代間再生産」と言ったりしますが、親が高学歴だと子どもも高学歴になるのかとか、親が裕福だと子どもも裕福になるとか、そういう関係がどこまで強くなっているのか、あるいは実は弱くなっているのではないかとかという研究は本当にたくさんやっています。その研究の要にあるのが「家族」なんです。

ただ、最近、その研究がやりにくくなっているんです。なんでかというと、子どもをもたない人が増えてきたことで、世代間関係がどうなったかではなくて、世代間の関係が「ない」という状況になってきてしまっています。日本の場合、結婚と出産はとても強く結びついてるので、要するに結婚しない人が増えてきたっていうことです。この未婚化というのが、3つ目の大きな変化ですね。「寿命が延びる」ことと、「子どもの数が減る」こと、そして未婚化。この3つが、家族のかたちにかなり強く影響してると、わたしたち家族社会学者たちは理解しています。

家族になるという“覚悟”

編集部_確かに自分たちの周り見ても未婚の人は、かなり多いですね。いわゆる法的というより、一緒に暮らすとかも含めて、家族の概念が大きく変わってくる、潮目にあると捉える早計なんでしょうか。

筒井_実は、それが難しくて、「家族とはなんだろうみたい」なことは定義できないというのが、われわれの見方なのです。ただ、わたしたちは、家族っぽいとか家族っぽくなくない、家族であればこうやるべきとかいろんな考え方をもっていて、それはある程度共有されてるんですよね。

家族とよく比べられるのが「シェア」ですが、シェアメイトと家族はなにが違うのか。一緒に住んでいるという意味では一緒ですよね。これは思考実験的な話ですが、例えばシェアメイトが、交通事故かなにかに遭って、長期的なケアが必要になったとします。要するに同居人のサポートがないと暮らしていけなくなるとしたときに、恐らく現代のシェアであれば出ていってもらうか、あるいは自分が出ていくんですよね。

なぜかというと、非常に手のかかる同居人がいると、自分の人生に強く影響するからです。その人のサポートをするために仕事を辞めないといけないとか、あるいはものすごくお金を遣ってしまうとか、仕事に打ち込めなくなってしまうとか。普通は、そこまでして引き受けませんよね。

編集部_ということは、シェアは家族ではないということですね。

筒井_そうです。現在のシェアは経済的、身体的、精神的にある程度自立してないと参加できない仕組みなんです。われわれは「自立」と「依存」という言葉をよく使うのですが、シェアメイトのお金で暮らしているのはその意味ではもはや「シェア」ではありません。身体介護が必要な場合でもそれはやらないとか、自立を前提として成り立っているのがシェアですが、家族となると違います。ある程度、依存状態にある人を受け入れるか、あるいは受け入れることを期待されるのが家族です。

それぐらい家族をもつというのは“覚悟”がいることなんですよね。小さい家族の中にすごく手のかかる人が出てきた場合も、簡単には見捨てないという覚悟とか気合とかをもっているのが“家族”ということです。例えばシェアメイトにかなりの覚悟があって、「わたしはあの人の親友だから、わたしが一生、面倒を見る」と言ったときに、たぶん周りは「なんか家族みたい」と言うと思うんですよ。家族の定義ってそこに一つあるのかなと思います。

家族のかたちは変わっていますが、「家族ってなんだろう」といったときに、本当に困ってる家族は見捨てないとか、面倒見る覚悟がある、あるいは期待される。それを見捨てた場合には周りから非難される。そのあたりは大きく変わってないと思います。

編集部_家族のもつ本質的な意義は変わってないんですね。

筒井_変わってはいないのですが……かなり大変なことなので、みんな引き受けたがらないですよ。日本で未婚化が進む一つの要因は、そこの覚悟へのハードルが高いから、相手に求めるものも自ずと高くなってしまうというか……。

編集部_……失敗できないと考えてしまうんですね。

筒井_そう。なので、家族がそういう覚悟を期待されるほど、わたしたちは家族から逃げてしまうんですよね。

つづく

Profile

筒井淳也|Junya Tsutsui

社会学者。1970年福岡県生まれ。一橋大学社会学部、同大学院社会学研究科、博士(社会学)。現在、立命館大学産業社会学部教授。専門は計量社会学、家族社会学。著書に『仕事と家族』〈中公新書〉、『結婚と家族のこれから』『数字のセンスを磨く』〈ともに光文社新書〉、『未婚と少子化』〈PHP新書〉などがある。内閣府第四次少子化社会対策大綱検討委員会・委員、京都市男女共同参画審議会・委員長などを歴任。

Illustration by Shoko Kawai / Edit&Text by Takafumi Yano / Produce by Ryo Muramatsu

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