家族の撤退、そして社会へ拡張する!?|家族編 #08|筒井淳也 後編
&Human Nature
ここまで「& Human Nature」編集チームは、社会を取り巻く状況や価値観の多様化によって急激に変化している、もっとも小さな“社会”である「家族」について考えてきました。家族のかたち、在りかたは、本当に変わってきているのか。引き続き、立命館大学教授の筒井淳也さんにお話をうかがいます。家父長制のころから続く“狭い家族”から撤退し、社会や地域ににじみ出すこと。それは、これからの新しい家族のかたちのひとつになるかもしれません。
家族からの撤退
筒井_ある程度、依存状態にある人を受け入れるか、あるいは受け入れる覚悟を期待されるほど、わたしたちは家族から逃げてしまうんですよね。そこをどうクリアしていくか。例えば、ヨーロッパの一部の国みたいに、「本当に大変なことは社会的に負担を減らす仕組みをつくるので、もっと気楽に家族をもちましょう」というのも一つの対応方法です。ただ、それをやればやるほど、実はシェアと家族は同質化していくんですよね。
編集部_それはどういうことでしょうか。
筒井_例えばシェアメイトが依存状態になったときに、その人の身体的ケアとか経済的なサポートは行政や国が担うから、いままで通り付き合えますよと言われたら、「そうですか、じゃあ、シェアを続けましょう」となると思うんですよ。
編集部_確かに。
筒井_つまり、国とか行政のサポート体制が本当に完璧なら、知り合いだろうが友人だろうが恋人だろうが家族関係だとか、みんな似たような感じになっていく……
編集部_……いわゆる家族の本質の外部化みたいなことですよね。
筒井_そう。外部化されると、“家族”は多分消えていきます。いまのところ、そうなっていないですが。
編集部_筒井さんが未婚率が高くなってることを、いわゆる「家族からの撤退」と表現をされる所以だったりするんでしょうか?
筒井_そうですね。東アジア全般がそうなのですが、厳しい条件をクリアして、そしてようやく結婚できるという状態ですよね。家族をもつってことは覚悟がいることだと、みんなが思い込んでるんです。保守的な人であれば、「苦労してこそ家族だろ」「家族とはそういうものだ」というハードルを課してくるわけです。そうすると、「そこには参加できませんよ」という人もでてくる。
沖縄に“家族の未来”の夢を見る⁉︎
編集部_このシリーズでの取材で、沖縄は離婚率が高いけど、子どもがいるケースが多いということが話題になったのですが、そういう状況は、家族の未来像の一つの兆しだったりもするのでしょうか?
筒井_沖縄は日本全体が沖縄だったら少子化対策をしなくていいくらいかなり出生率が高いのですが、その背景には地域ネットワークのようなものが比較的しっかりしていることもあるのだと思います。失敗してもそこに戻ればいいとか。例えば女性も実家がものすごく裕福であれば、離婚という選択へのハードルが下がりますよね。離婚しても実家に帰ったらもっと楽に生活できるし、親もそれを期待する可能性もあって。孫を連れて帰ってくるわけですよね。でも旦那はいらないな、みたいな(笑)。
それは基盤があるからできることですよね。だからその基盤が、地域ネットワークであっても実家であっても、帰れるところがある人は、「ちょっと結婚しようかなぁ」とか「子どもをつくろうかなぁ」と選択肢のハードルがどんどん下がっていくわけです。沖縄みたいな仕組みを日本全体でつくるのは難しいかもしれませんし、それがそのまま「未来」だと考えることはできないと思いますが、方向性としてはそうなるのかなという気がします。
編集部_社会学的に、南のほうがそういう未来のかたちであったり、兆しがあったりするんでしょうか?
筒井_未来のかたちになるかどうかはわかりませんが、“狭い家族”ですべての責任を負うのではない絆のかたちをつくらないと、ちょっと怖いというのはあるんですよね。国全体でそういうリスクを分散するとか、地域ネットワークを活かすのも、方向性としてはあるのかなと思います。
編集部_都市化した街が、実は家族というあり方にあまりマッチしないという現状もあるのでしょうか?
筒井_一概には言えませんが、都市部で近隣の繋がりが薄くなるのは間違いないですよね。仲よくなってもすぐ転居して、どこかへ行ってしまうみたいなこともあると思います。すると、地域を土台としたネットワークもなかなか作れなくなる。
よく知らない人たちが周囲にいる環境で、他の人を助けることは非常にリスクのあることだと感じられやすいです。下手をすると自分の人生に巻き込まれるかもしれない。その場合は、形式的に行政が大変なことはわれわれがやりますとリスクを分散することも重要です。そのぶん、ちょっと税金をいただきますけど、みたいなやり方になるのかもしれません。
地域ネットワークを活かしてもいいけど、本当に大変なことがあったら行政に相談してくださいね。だから安心して他の人と絆を作ったり、結婚や出産をしてくださいね、という流れのほうが実現可能性がまだあるのかなという気がしています。
編集部_家族、子どもを中心にするとキャリアが分断してしまうことを予期する人たちが、家族や子どもをもたない選択をするという状況が生まれているのではないかと思うのですが、その課題にどういうふうに向き合うといいのでしょうか?
筒井_本当にいろいろありますよね。少子化対策の話とかもあるし、男女雇用機会均等みたいな話もあるし、どうすれば……というところはありますが、全般的な方針としては、少子化の面で言えば本当に大変な負担は地域あるいは社会全体で分かち合って、結婚とか子どもをもつことが「人生にとって大きな決断ではない」という状態を目指すことですかね。いまは、子どもをつくることは、家を建てることより大きな決断になってしまっていますよね。
この場合、「気軽さ」ってすごく大事だと思うんです。「失敗してもいいじゃん」「失敗したらもう1回やればいいよ」とか、「本当に困ったときにはみんな助けてくれるから」という社会的な仕組みをどれだけつくることができるか。そうやって、結婚に踏み出す際のハードルをいかに下げるか。ただ、メディアとかの癖もあるし政治家の方の思考の癖もあって、少子化対策っていうと、なぜか結婚のハードルをすでにクリアしてしまった人たちを出発点にして、すぐに「子育て支援をやろう」「児童手当、保育、育児休業」っていうふうになってしまう。
少子化対策に対してメディアが取材するときも、大抵子連れの母親のところに行ったりするんですけど、もう子どもをつくっておられるんですよね。子どもつくろうと思ってもまだつくれないとか、結婚しようと思ってもまだできない人が、パッと視野から外れてしまうのでしょうね。
結婚して子どもをもってる人とか、もとうとしてるけど迷ってる夫婦にスタートラインを置いてしまうんです。人生は長く続くものなので、20歳前後とかをスタートラインにして、その人が将来結婚とか出産とか考えたときに、どういう状態だったらそうなりやすいのかを逆算して考えるべきなのに、子育てが大変そうだからその負担を減らそうっていうところから始めてしまうんですよね。もちろん、大変ではあると思うのですが、もうスタートラインに“立ってしまった人”、あるいは“立つことができた人”なんですよ。
その恵まれた人ばかりに焦点を当てて、その人にいかにお金を与えるかみたいな話になってしまっていがちです。専門家とそうではない方の違いがあるとしたら、視野をちょっと広げて見るので、バランスの悪さに目がいくことかもしれません。
家族の撤退から解体へ
編集部_「家族からの撤退」というキーワードがありましたが、日本人は家族が大好きですよね。だけど、過度に期待がありすぎて、皺寄せがきているように思うんです。筒井さんのご著書を拝読していると、そこをうまくほどいてあげて、「家族の解体」とまでは言わないまでも、解体みたいなことをしたほうが、逆に家族関係が健全になるし、それこそ少子化対策にもなるのではないかと受け取れました。日本人が感じる家族像への「幻想と期待」と、研究者の考えるそれの違いは、どういうところにあるのでしょうか?
筒井_「家族が大好き」という言葉がありましたが、そうとも言えるし、そうとも言えないところもあります。例えばヨーロッパやアメリカではキリスト教を信仰している人が多くて、キリスト教の政党があって、そういった人たちはやっぱり家族が大好きなんですよ。家族こそ人類の基盤だ、みたいにものすごく大事に考えている。ただ、日本とは違って、「家族が大好きで大事だからこそ、政府はそこにお金を使いましょう」となるわけです。
一方で、日本の保守派の家族基盤の考え方は、家族ってすごく大事だから、みんな自分でやるよね、政府はそんなに助けなくていいよね、となってしまう。
編集部_なるほど(笑)。
筒井_なぜそうなるのかはわかりませんが、その家族らしさみたいなものを日本の社会、家族観に照らし合わせると「苦労をともにしてこそ家族」となってしまうのかもしれません。お互い面倒を見合う覚悟があるから、政府はやることないですよね、みたいなほうに進んでいくというか。欧米は、家族はすごく大事だからみんなが楽に家族がつくれるように政府がお金を遣っていろいろサポートするとなる。これを専門的には「積極的家族主義」といいます。だから、日本の家族主義とは別モノという感じがしますね。
編集部_そのあたりもプロセスにおける苦労の存在を過度によしとするというか、部活とかで一緒に頑張ったよねみたいな感じと似ているのかもしれないですね。
筒井_苦労してこそ価値があるみたいな価値観はありますよね(笑)。だから、子どもを産むときも「お腹を痛めてこそ絆が生まれる」「苦労してこそ真の親思い、介護だ」みたいに。その考えを緩めないと、みんなが不幸になるような気がします。
編集部_編集部で家族について話したときも、ある種の家族の過度な期待のような、両親からの愛の重さの話をしていましたね。結びつきが強いみたいな風潮があると、親としても子を失敗させられないみたいな思いも強いだろうなと思いますし、自分たちの家族が“よい家族”であると周りから見られないといけないというところもあるのでしょうかね。
ヨーロッパの話でいえば、社会を含めて家族への思いは強いとのことでしたが、割と個別な感じがします。先ほどの積極的家族制度とは、また少し違う家族主義があるところの所以なのでしょうか?
筒井_あると思いますね。スウェーデンは福祉国家として有名ですけど、国民全体を家族的に考える思想の流れがあるんです。「狭い意味での家族」じゃなくても助け合いましょうみたいな考え方がどうもあるらしい。
たとえば「お墓」です。日本の場合は原則として家墓ですが、スウェーデンには匿名のお墓があるんです。広い野原があって、そこに散骨するんですが、どこに撒かれたか親族にはわからないようにして匿名化をするんですよ。その思想の背景には、「同じ国の仲間なんだから家族みたいなもんだよ」という考え方があるのではないかと言っている人もいます。
でも、日本もいまお墓をつくるときに、自分の埋葬に関してあんまり子孫に負担かけたくないという考え方にどんどんなってきています。そもそも、少子化によって家単位で代々存続させていくことは難しくなってきているので、そういう意味では、日本人も家族とか狭い家族の範囲で結びついてる場合ではないという考え方にはなってきているのかなと感じます。
Profile
筒井淳也|Junya Tsutsui
社会学者。1970年福岡県生まれ。一橋大学社会学部、同大学院社会学研究科、博士(社会学)。現在、立命館大学産業社会学部教授。専門は計量社会学、家族社会学。著書に『仕事と家族』〈中公新書〉、『結婚と家族のこれから』『数字のセンスを磨く』〈ともに光文社新書〉、『未婚と少子化』〈PHP新書〉などがある。内閣府第四次少子化社会対策大綱検討委員会・委員、京都市男女共同参画審議会・委員長などを歴任。