ラジオ体操で身体をほぐす朝 haru.×寺尾紗穂 【前編】
月曜、朝のさかだち
第5回目の『月曜、朝のさかだち』はゲストにシンガー・ソングライター、そしてエッセイストとしてご活躍される寺尾紗穂さんをお迎えし、朝の公園で「ラジオ体操」を行ってきました。日本語、ドイツ語、中国語の音源に合わせて身体を伸ばし、ポカポカとしてきたところで、寺尾さんの活動、2人の共通点となった“天使”についてお話いただきました。
ラジオ体操で旅する言語
haru._『月曜、朝のさかだち』、今回のゲストはシンガー・ソングライター、そしてエッセイストとして活動する寺尾紗穂さんにきていただきました。今日の朝は、寺尾さんと一緒に公園でラジオ体操をやってきました。寺尾さんからご提案いただいた朝活だったんですけど、どうしてラジオ体操だったんでしょうか?
寺尾紗穂(以下:寺尾)_夏に大阪の釜ヶ崎*①というところであったイベントに呼ばれて行ったんですけど、いつも釜ヶ崎に行くときには上田 假奈代さんという詩人の方がやっているココルームというカフェ兼ゲストハウスに泊まらせてもらっていて。そこは上田さんが釜ヶ崎芸術大学を立ち上げたことをきっかけに、詩人やカメラマン、ダンサーなどをいろいろ呼んで、おじさんたちと一緒に盛り上がろうという場所になっているんです。そこに泊まった翌朝にチェックアウトをして出ようとしたら、「ラジオ体操、今日も始めましょう!」って言われて。そこでは朝のルーティンとしてラジオ体操をしていたんです。そのときにたぶん30年ぶりくらいにやりました。
haru._30年(笑)。ラジオ体操ってやる機会ないですもんね。
寺尾_そうそう。それでやってみたら意外といいなって思ったんです。日頃、パソコンに向かってものを書く仕事だと、運動不足になるので、適度に身体を動かせるのはいいなって実感しました。
haru._そうですよね。私も日々、朝電車に乗ってオフィスへ行って、着いたらすぐにパソコンを立ち上げて、みたいな生活なので、運動する隙間が一切ないです。だから今日はその前に公園へ行って、寺尾さんと一緒に3ヶ国語でラジオ体操をして身体の芯まで温まる感じがしてすごく良かったです。多言語でラジオ体操ができるなんて全然知りませんでした。釜ヶ崎でやられたときは何語でやったんですか?
寺尾_ラジオ体操第一を中国語で、第二を広島弁バージョンでやりました。
haru._ラジオ体操が第三まであることすら知りませんでした。
寺尾_なかなか面白い世界が広がっていますよね。
haru._すごく慣れ親しんだ音楽じゃないですか。NHKの番組でも流れてるし、小学生の頃には夏休みに毎朝集合して、体操したらスタンプもらえて、新学期に学校に提出しなきゃいけなかったり。それが当時はすごく憂鬱でしたけど、大人になってから自発的にやるのはすごくいいなって思いました。それと、知ってるメロディーなのに、違う言語になると何を言われているかわからないことが、逆にすごくここちよかったです。海外へ行ったときに、みんなが何を言っているかわからない状態がここちいいと感じることってあったりするじゃないですか。それを体験できた気がします。寺尾さんは言葉を扱う方だから、外国語に対してどんな感覚があるのかなと気になっていました。
寺尾_私は中国語を少しだけ勉強しているのですが、中国に行ったときに、中国の人たちは結構早口なので、全部はわからない。だけどわからないなかでも会話しなくちゃいけないことがありました。
haru._そもそも中国語ってすごく難しい言語ですよね。
寺尾_音の上がり下がりで意味が変わりますからね。
haru._なんで中国語を勉強しようと思ったんですか?
寺尾_中学1年生のときに、川島 芳子という人の存在を知ったんです。日本名なんですけど、満州国の王族で、日本に養女に出された人で、日中戦争の時代なので日本軍に協力したと思われて最後死刑になるんです。その人を研究しようと中学時代に思って、中学3年生ごろからラジオ講座を聴きながら勉強していました。
haru._その人のことを中国語で学びたいと思われたんですか?
寺尾_研究するには中国へ行って、関係者に会ってインタビューしないといけないと思っていました。そこまでは上達しなかったんですけど。
haru._中国は今でも行かれるんですか?
寺尾_12月に初めて上海と杭州でライブをします。
haru._すごい!オーディエンスの反応とか気になります。
寺尾_結構アツいみたいです。やっぱり人口が多いからかわからないですけど、人も日本より集まるみたい。
2人が語る、天使との出会い
haru._私が寺尾さんを知ったのは、寺尾さんが執筆された本だったので、音楽は後から知りました。書き言葉のイメージがすごく大きかったのですが、音楽を聴いたら、本で書かれていることをまた違った役割で表現していて、目に見えないものや、普段はあまり気づけないことをいろんな方法で表現されている方なんだなって思っていました。
寺尾_そうですね。たぶん本の方がいろんなことを書けるので、そこで伝えたいことを補っているのかもしれないですね。
haru._活動としてはどちらが先だったんですか?
寺尾_どちらも小さい頃からずっとやってきたことなんです。
haru._そうだったんですね。私も子どもの頃から絵本を作っていました。子どもの頃に好きでやっていたことって、大人になって「自分に向いていることなんだ」って思ったりしますよね。じゃあ子どもの頃から歌も歌っていたんですね。
寺尾_そうですね。鼻歌とかは無意識にずっと歌ってたと思います。
haru._さっきラジオ体操の帰り道も寺尾さんは鼻歌を歌っていました。
寺尾_やっぱりそうなんだ。中学受験のために塾に通っていたんですけど、友達から「紗穂ちゃん授業中も鼻歌歌ってたよね」って言われてびっくりしました。だからなのか、すごく鳥に親近感があるんです。
haru._へー! 私は鳥に別の親近感があります。よく飛ぶ夢を見るんですけど、、前世は鳥だったんだろうなって思うことがすごくあります。飛んでいる夢があまりに自然なんですよ。だから朝起きると、飛べなくて「おかしいな?」って思っています。
寺尾_今でもよく見るんですか?
haru._今でも見ます。乗り物に乗っているときもあれば、身一つで崖から落ちて、地面すれすれで浮かび上がってまた夕日に向かって飛んでいったり。
寺尾_鳥ですね。
haru._私が初めて寺尾さんの本を読んだのが、『天使日記』という本なんですけど、そこでたくさん天使の話が出てくるじゃないですか。だから最初、本屋さんでタイトルを見たときに「あ、読まないと」と思って手に取りました。子どもの頃から天使のモチーフが好きで、寺尾さんも哲学者であり教育者のルドロフシュタイナーの言葉を引用されていると思うんですけど、私は子どもの頃と高校生の頃にシュタイナー学校に通っていたんです。シュタイナーの教えでも天使のモチーフがよく出てくることもあって、身近なモチーフでした。なので、寺尾さんと天使の関係性ってどういうものなんだろうって今日聞きたいと思っていました。
寺尾_私というよりも、長女を介しての体験だったんですけど、長女が小学4年生の頃、4月5日に公園から帰ってくるなり、「お母さんは信じてくれないかもしれないけど、公園で男か女かわからない人がいた」って教えてくれたんです。その日は曇りだったんですけど、「その人からものすごい光があふれていて、白い長い服を着ていた」って言っていて。「それ天使じゃないの?」って言ったら、そこから約3ヶ月、2、3日に1回くらい彼女はその天使に会っていたんです。そのうち妹も見えるようになったりして。
haru._家に遊びに来たりしたって書かれていましたね。じゃあ寺尾さん個人というよりかは、娘さんが天使を見たっていうところから興味を持たれたんですか?
寺尾_そう。全部貴重な体験だから、日記をつけておこうと思って、メモに残していたんです。娘が話してくれる、「どこどこに天使が迎えに来てくれて、一緒に帰ってきた」とか「今日はこんな話をした」とかを、全部書き留めていました。
haru._娘さんの話もそうですけど、シュタイナーの天使についてのテキストもかなり引用されている箇所が多くて、寺尾さん自身も天使というモチーフとかなり向き合われているのかなって思ってすごく興味深かったです。
寺尾_その出来事があってから、天使や悪魔ってなんなのか調べないとなって思ったんです。ただ、天使について書いている人ってそんなに多くなくて。そのなかでもユングやシュタイナーはかなりまとまった量を書き残しているんですよね。それもあって自然と引用も多くなったし、シュタイナーが天使の中に見ていたことも大事なことだなって思うようになりました。
haru._シュタイナー学校に通っている子どもとしては、あまり教育方針について意識しないでそこに通っているから、どんな教育なのかっていうのを一歩引いて見ることってなかったんですけど、『天使日記』を読んで初めて調べてみました。目に見えないものを信じていたり、子ども一人ひとりの役割や性質に着目してくれる教育方針って、側から見るとよくわからないから、怪しまれたりもするんですよ。私たちの学校の隣に公立の学校があったので、「シュタイナーとかよくわかんねえな」とか言いながら石を投げられたりもしました。実際に通っていた身としては、別にすごくスピリチュアルなわけではなかったので、今まで気にしたことがなかったんですけど、寺尾さんの天使に関する文章を読んで、自分が何で天使に惹かれていたのかがちょっとわかった気がします。
寺尾_そうですよね。
「夢を見ること」がアートに関わる人の仕事
haru._夢を見ることや理想を描いて追い求めたりすることが、現代はあまりされなくなっていたり、それをすることが苦しいと思う人もたぶんいっぱいいるかもしれない。だけど、私はそれだけをモチベーションにものづくりをしているんです。寺尾さんも以前取材で、夢を見ることは大事なことだとおっしゃっていましたが、その言葉がすごく励みになって、そういう気持ちで作っていいんだって思いました。
寺尾_ね。それがアートに関わる人の存在意義だなって私は思っています。夢を見ることって、会社勤めとかだとやっぱり妥協しなきゃいけないこともいっぱいあると思う。そこに縛られているとできないことってたくさんあると思うので、こういうフリーで動ける人間たちが少しでも夢を見ていかないといけない。それがアートに関わる人の仕事かなって思います。
haru._それは制作活動を始めたときから思っていたことなんですか?
寺尾_私自身は、福祉的なこともちょっと気になっていて。私は東京の西の方で育ったので全然馴染みはなかったんですけど、台東区にある山谷エリア*②に行ったときに東京都立大学を作ったっていうおじさんに出会ったんです。その人との出会いをきっかけに『BIG ISSUE』に興味を持って買うようになって。その流れで原発労働についても、知るようになったんです。山谷や釜ヶ崎から半ば騙されて連れてこられて働かされている人もいるという構造になっていることを知り、そもそも原発の仕事ってどういうものなのか知りたくてインタビューを始めました。そのなかで出会ったおじさんたちは、身寄りのない人や、兄妹は生きているけど連絡を絶たれている状況の人が多くて。だから取材させてもらったお一人が体調を崩して入院することになったら、ちょっと手伝いに行ったり、退院するときに付き添ったりしていたんです。でも当時彼が倒れたとき、彼はまだ65歳未満だったんです。65歳未満で特定の難病リストに載っている病気ではない場合、お金があればいくらでもサービスはあるけど、お金がない人を救いあげるシステムがないことに気づきました。家族がいる人たちは支えてもらえるかもしれないけど、そうじゃない人たちは着替えを持ってきてくれる人もいない。コインランドリーを使える状態であればいいけど、病院によっては全部クリーニングに出されるんです。
haru._私も今年おばあちゃんがずっと入院していて、着た服を洗うために持って帰っていたんですけど、それをしてくれる親族や誰かしらがいなかったらどうなるんだろうって思っていました。
寺尾_そうなんですよ。知り合いの別の方が入院したときも、その人は家族と縁が切れていたから、毎日クリーニングに出さなきゃいけない生活が3ヶ月続いてクリーニング代がものすごい額になっちゃったんです。結局退院した後からその支払いを始めなきゃいけなくて、食事を削るしかないかなり大変なことになっていて。そういう今の社会の状況があまり知られていない。ひとりぼっちの声って、誰かが代弁しないと本当に埋もれちゃうんですよ。そういうことが問題だなと感じて、ちょっとでも伝えないとなっていう思いで書いています。
haru._1人で生きていくにもたくさん闘って、もう自分の生活を保つのに精一杯じゃないですか。それをさらに誰かに伝えるってなったら、またものすごく負担がかかっちゃうから、そういった現状に気づいてもらうことも難しいですよね。
寺尾_そう。その人も体力が本当にない状態で病院から出されて、買い物に行く体力もあまりないからAmazonとかで頼むじゃないですか。するとダンボールが溜まっていくんだけど、それを片付けてゴミ出しに行く体力もなかったりする。本当はそういうちょっとしたことを地域で支え合わなきゃいけないんだけど、まだできていない。でもやっぱりそうしたシステムがあってほしいなって願う人が増えていかないと、社会は変わらないですよね。そんな意味で、イマジネーションを膨らませたり、夢を見たり、もっとこうであってほしいと願うことはすごく大切なことだなって思います。
haru._本当にどうしたらいいんだろうなってすごく思います。寺尾さんみたいに音楽で何かを伝えたりすることで、ものすごいパワーになっていると思います。さらに言葉で書き記して、1人の人生を伝えていくことをできる人がやるということは、表現活動をする身としてやっていくべきことだなっと、寺尾さんの活動を見ていると自然と感じます。
無関係じゃなくなること ちょっと繋がっていることが大事
寺尾_haru.さんの雑誌を作るっていうのもいろんな人の声を拾うことでもありますよね。
haru._それこそ『HIGH(er) magazine』でも『BIG ISSUE』の編集長や販売者さんにお話を聞いたりもしました。寺尾さんの『りんりんふぇす』の活動を見て、こんなこともされてるんだ!と思っていましたが、その活動も『BIG ISSUE』がきっかけでしたか?
寺尾_そうです。『BIG ISSUE』は個人的に面白いよって周りに広めていたんですけど、「買うのに勇気がいる」っていう意見が多かったり、「あれって宗教の雑誌じゃないの?」って勘違いしている人もいたりしたんです。一回読んだら、中身も濃いからみんな面白いってわかると思って、入場料に『BIG ISSUE』の購入費も含めて、音楽フェスに来た人みんなに配れるようにしました。
haru._『BIG ISSUE』は路上生活者のみなさんが手売りしている雑誌ですよね。今は450円。売った一部がその販売者さんに直接入って、生活費に充てられるというシステムなんですけど、表紙にハリウッドスターとか出てきたりするから、意外ととっつきやすいですよね。
寺尾_日本の俳優でも出る人が増えていますしね。
haru._HUG.に所属しているイシヅカユウさんも『BIG ISSUE』で取材していただいたりと、割と距離の近い人が出てたりするのもあって、最近より身近になってきた気がします。結構駅前で販売していることが多いので、気軽に声をかけてみてほしいですね。基本的にバックナンバーを持ち歩いている販売者さんもすごく多いので、気になる特集テーマで買ってみてもいいと思います。『りんりんふぇす』は定期的に開催されているんですか?
寺尾_はい。基本1年に1回やっていて、コロナもあって延期したりして何年かできなかったりしたんですけど、2023年の3月でやっと10回目ができました。今までは青山の梅窓院というお寺でやっていたんですけど、私がおじさんと出会った山谷の公園でやりたいなと思い、次は2024年の3月に三谷の玉姫公園で初めてやります。おじさんたちのカラオケコーナーも作ろうと思っています。おじさんたちはみんな歌うのが好きみたいで、歌いたいって言って喧嘩が始まりそう(笑)。
haru._行くの楽しみです。『りんりんふぇす』で初めて『BIG ISSUE』を知る人もいらっしゃるんですか?
寺尾_いると思います。でも『りんりんふぇす』のリピーターになってくれる方も多いので、買う人をじわじわ増やせているかな。
haru._参加されるミュージシャンも、企画意図に賛同する方々が集まっているんですか?
寺尾_そうです。出てくれたミュージシャンからも、「『BIG ISSUE』を見ると寺尾さんを思い出して買うようになりました」って言ってくれたりします。そういうさりげないことでいいんだよなって。無関係じゃなくなること、そのちょっと繋がってる感じが大事かなって思っています。
haru.さんと寺尾さんの対談は後編に続きます。後編では、言葉を紡ぐことの大切さや、続ける原動力、そして寺尾さんの使命だという「子どもでいること」の意味などについてたくさんお話いただきました。そちらも是非楽しみにしていてくださいね。
それでは今週も、いってらっしゃい。
Profile
寺尾紗穂
シンガーソングライター、文筆家。1981年11月7日生まれ。東京出身。大学時代に結成したバンドThousands Birdies’ Legsでボーカル、作詞作曲を務める傍ら、弾き語りの活動を始める。2007年ピアノ弾き語りによるメジャーデビューアルバム「御身」が各方面で話題になり,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品「転校生 さよならあなた」、安藤桃子監督作品「0.5ミリ」(安藤サクラ主演)の主題歌を担当した他、 CM、エッセイの分野でも活躍中。2009年よりビッグイシューサポートライブ「りんりんふぇす」を主催。2019年まで10年続けることを目標に取り組んでいる。2020年3月に最新アルバム「北へ向かう」を発表。坂口恭平バンドやあだち麗三郎、伊賀航と組んだ3ピースバンド 冬にわかれて でも活動中。2021年「冬にわかれて」および自身の音楽レーベルとして「こほろぎ舎」を立ち上げる。著書に「評伝 川島芳子」(文春新書)「愛し、日々」(天然文庫)「原発労働者」(講談社現代文庫)「南洋と私」(リトルモア)「あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々」(集英社)「彗星の孤独」(スタンドブックス)「天使日記」(スタンドブックス)があり、新聞、ウェブ、雑誌などでの連載を多数持つ。近著は『日本人が移民だったころ』(河出書房新社)がある。
photography: miya(HUG) / text: kotetsu nakazato