「パルクールで壁を超えていく朝」haru.×田中嵐洋【前編】
月曜、朝のさかだち
第6回目の『月曜、朝のさかだち』では、プロデューサー、クリエイティブディレクターの田中嵐洋さんをお迎えし、「パルクール」を行なってきました。アクティブな朝活を終えた2人は、田中さんのこれまでの活動や、雑誌制作という共通点から「何を伝えるのか」についてお話いただきました。
初めてのパルクールで感じた楽しさ
haru._『月曜、朝のさかだち』、今日のゲストはプロデューサーでクリエイティブディレクターの田中嵐洋さんをお招きしています。私たちが今朝体験してきた朝活はなんでしたか?
田中嵐洋(以下:田中)_今日はパルクールを体験しました。
haru._パルクールはもともとフランスが発祥なんですよね。どんなアクティビティなんでしょうか?
田中_もともとは、フランスに住んでいる若者たちが、ストリートにある柵を飛び越えたり、簡単な壁を駆け上がったり、走りまくるストリートカルチャー。そこから今はスポーツに進化したものだと思います。
haru._今日はパルクールを体験できるジムに行ったんですけど、私、足がプルプルしています(笑)。教えてもらったことは、ジャンプしたり、高いところから安全に降りたり、壁を乗り越えたり、駆け上がったり。
田中_あと手すりを歩いたりも。
haru._ポイントには加算されない基本中の基本の動きだ。やってみていかがでしたか?
田中_僕は純粋に楽しかったですね。
haru._嵐洋さんは普段からたくさんのスポーツをされているので、本当に運動神経がよかったです。先生が言ったことを、すぐにできちゃってました(笑)。
田中_センスですね。センスを持って生まれた男なんで。
haru._本当にすごかった。私は先生が一度見せてくれて、どういう仕組みになっているかを理解しないと、勢いだけじゃできないんですよ。
田中_でも理解できる人って珍しいし、理解しないとスポーツってほぼできないんで。
haru._じゃあ嵐洋さんはそれを瞬時に理解してるの?
田中_僕は理解してます。だから一回ちゃんと聞きますね。
haru._それをすぐ応用できるんだ…。
田中_センスですね。でもセンスは磨けるので。僕は正直、haru.ちゃんは運動神経があまりないと思っていたんですけど、思いのほかできるっていうのは驚きでした。
haru._そうですよね。私実はいいんですよ。でも皆さんに運動神経がいいっていう印象を与えないで、たまに俊敏な動きをして戸惑いを与えています。
田中_それ狙ってるんですか(笑)?
haru._狙ってはないですけど、そのほうが「意外と動けるんだ!」ってプラスな印象になるので(笑)。なので今日も頑張りました。でもすごく楽しかったです。『月曜、朝のさかだち』でゲストといろんな朝活をしたけど、今回初めてもう一回やってみたいって思った。前にフォトグラファーの阿部裕介さんとキックボクシングをしたけど、正直一回だけでいいかなって思ったんですよ。だけど今回は本当にもう一回行きたいなって思いました。
田中_その楽しさっていうのは何を感じたんですか?
haru._仕組みがわかれば、練習してできるようになる。それが活かせそうだなって思ったんです。体に負担がかからないように衝撃を吸収する降り方は使えそうだなって。
田中_どこで使うんですか?
haru._色々あるじゃないですか…日本は震災とかもあるし。
田中_なるほど。身を守るためにね。食い逃げのときとか(笑)?
haru._誰かを助けるときとかさ。
田中_超カッコいい人じゃん(笑)。
haru._でも火事とか起こっても、ちょっと高いくらいだったら窓から飛び降りたりできますよね。実際、嵐洋さんから事前に送ってもらったパルクールの参考動画もそういう系だったじゃん。ジムで練習してるやつじゃなくて。皆さんも是非パルクールで検索してみてください。すごい映像がいっぱい出てくるので。
田中_もともと『YAMAKASHI』っていうリュック・ベッソンが作った映画をきっかけにパルクールが世界に広がったんですよ。フランスの若者たちがストリートでしていたカルチャーが今ではスポーツ競技ですからね。
「スキー好きを増やしたい」の思いで生まれたマガジン
haru._私と嵐洋さんの出会いについて話すと、初めて会ったのはたぶん私が学生のとき。6、7年前で、嵐洋さんはその時まだTHE NORTH FACEでクリエイティブディレクターをされていましたね。そこからいろんなお仕事でいろんな場所に連れて行ってもらって。最初は野沢温泉に仲間たちを引き連れて、high(er) magazineの撮影をしました。
田中_暑い中、ダウンジャケットを着てね。
haru._五島列島にも行きましたね。私はそれが初めての五島列島だったんですけど、そのあとご縁で何度も行くようになりました。あと嵐洋さんは『SKI CLUB』というスキーにまつわる雑誌を作っているんですよね。それに私も一回出させていただいて、撮影で雪山に行ったり。とにかく私を知らない世界に連れて行ってくれる人っていう認識です。
田中_すごい役割になりましたね、僕は(笑)。
haru._知らない自分と出会うための嵐洋さん(笑)。なので今回も朝活に何をしたいか聞いたらきっとやばいものを出してくると思ったら、期待通りでした(笑)。私は普段週5でオフィスにいるので、こうやって外へ連れ出してくれる人を待っているのかもしれないです。
ここまでお話して、嵐洋さんがすごくアクティブな方っていうのは皆さんお気づきかと思うんですけど、そもそも嵐洋さんがスポーツを好きになったきっかけはなんだったんですか?
田中_父が山登りしたり、スキーをやっていたんで、その影響ですね。いつからスキーをしていたのか聞くと、3歳からやってたって言われたんで、ひたすら山には行っていました。
haru._山が近い場所出身ですか?
田中_アルプス山脈みたいな山ではないけど、家の目の前から綺麗な山が見えていました。その山にも登るし、遠くの山にも行っていたし。
haru._生活の中に山に登ったりすることが最初からあったってこと?
田中_趣味ですけどね。父も山で仕事をしているわけではないので。
haru._私の感覚だと、山に行くことって本当に特別なことなんですよ。だから生活の中にそういうアクティビティが組み込まれてること自体すごく不思議に思います。私にとっては一大行事なのに、嵐洋さんはなんでこんなにも山と都心をシームレスに行ったり来たりできるんだろうって思っていました。最初からそうだったのか、ある時からそうなったのか気になっていました。
田中_そういった意味では初めからでしょうね。スキーも嫌いになったことはないですし。
haru._今、手元に嵐洋さんが作っている『SKI CLUB』っていう雑誌があるんですけど、これはいつから作っているんですか?
田中_『SKI CLUB』はスキーのカルチャーフリーマガジンで、3年前から作り始めて、一年に一回出しています。今回の最新号で3号目です。基本的にはアパレルのお店や、スポーツショップ、ホテルで配布しています。でも、いわゆるスキー用品を売っているスキーショップには置いていないんです。
haru._それには何か理由があるんですか?
田中_スキーヤーを増やしたいからなんですよ。スキーをやっていない人たちに、スキーの面白さを伝えたいので、あえてスキーショップじゃない場所に置いてます。
haru._なるほど。スキーを好きになってくれる人を増やすのが目的。だから私みたいな人を雪山に連れて行ってくれたんですね。
田中_そうですね。楽しさを広めるために。
スキーはもっと自由でいいはず
田中_「スキーのカルチャーって何なのか」っていうのを見せたいなって考えたときに、まずは一体誰がスキーをやっているんだろうというところから探し始めて。例えば1号目だと岡本太郎さんを出したんですよ。彼もすごくスキーが好きで。そういうアーティストでスキーをやっている人誰かいないかなってずっと探していたら、たまたま『はじめ人間ギャートルズ』を描いた園山俊二さんが、山形の蔵王スキー場にずっと通ってたって聞いたんですよ。しかも、蔵王スキー場にあるロッジ イザワさんのお土産の包装紙に使われている絵を描いていて。その絵を最新号では掲載しています。
haru._これ包装紙の絵なんですか?
田中_はい。そのロッジに通っていた園山さんがチャラチャラっと絵を描いているのを見たロッジのオーナーが「この絵欲しいです」って言ってそこから包装紙として使われるようになったんです。
haru._チャラチャラって描ける絵じゃないよ(笑)。是非、絵を見てほしいんだけど、いろんなシチュエーションで人々がスキーをしていたり、お食事処で楽しんでいたり、いっぱい人が描かれている可愛らしい絵。『SKI CLUB』では、こうしたイラストが載っていたり、いろんな人に取材していたりすると思うんですけど、最新号の魅力はどこですか?
田中_園山さんの絵もそうですけど、僕が2022年、23年の冬の間にたまたま出会ったスキーカルチャーを最新号に入れていて。僕はずっとスキー業界にいますけど、知らなかった文化や人っていうのをどんどん発見する機会があったんです。それをいっぱい詰めました。表紙の写真も、たまたまフランスのシャモニーで見つけた写真で、初めて見たときに「なんだこれ!」って思ったんです。そのままこの写真を撮ったカメラマンに連絡して、インタビューさせてもらいました。
haru._すごい!普段の行動力が雑誌にも反映されていますね。私はスキーって、いろんなグッズやウェアを揃えないといけないと思って、ハードルが高いなと感じるけど、表紙に写っている全身真っ白の人の姿を見ると、案外自由なのかもって思ったりします。
田中_ルールなんてないのに、どんどんルールもイメージも凝り固まっていってるんでしょうね。もっと自由でいいはずだって思っています。
haru._ウェアも時代を象徴していたりするじゃないですか。昔のウェアはあるけど、今これ着ていいのかなとか思っちゃったりする。
田中_正直、ウェアもなんでもいいんですけどね。楽しめばいいだけなので。
メッセンジャーの役割を持つ
haru._嵐洋さんのお仕事って、みんながなかなか行けなかったりするスキーや山奥の情報を伝えることが多いですよね。自分が体験してすごく楽しいと感じたことを、そこに行ったことがなかったり、行けない人にも多面的に伝えるための工夫ってどういうことをされていますか?
田中_話を3倍に膨らまして言うとか(笑)。別に盛ってるわけじゃないですけど、自分が感じたことや面白さ、魅力をとにかく人に伝えたくなるんですよ。
haru._それは嵐洋さんからすごく感じますね。
田中_この前、どうしてもイスタンブールで絨毯を買いたくて、旅の最後に行ってきたんですけど、それがめちゃくちゃ面白くて。すごい数の絨毯が並んでいて、しかも一枚一枚にストーリーがあるんですよ。模様一点一点に意味があって、それを店主が説明してくれて。それを語れないと絨毯は売れないって彼らは言うわけですよ。アンティークの絨毯も、一つの家族から譲り受けて売っているから、その絨毯のストーリーをちゃんと聞いて売っている。何を聞いているかっていうと、絨毯を縫っている人がどんな思いを込めて作ったのかということ。そういったストーリーを伝えて、繋げていく「メッセンジャーの役割が自分なんだ」って店主は言っていて。絨毯を買った僕もまた他の人にそのストーリーを伝えていくから「君もメッセンジャーなんだ」ってすごく言われて、いろんなことが腑に落ちたんです。僕って何事もストーリーを伝えるのが好きだし、人の話をひたすら喋っていたりする。自分はメッセンジャーなんだなって思いましたね。肩書き、メッセンジャーに変えてもいいですか?
haru._大丈夫です。メッセンジャーの田中嵐洋さんにお越しいただいております(笑)。でもすごく腑に落ちますね。私もイスタンブールに家族で観光しに行ったときに、絨毯を買わないかってめっちゃ話しかけられて、見るだけと思ってお店について行ったんですけど、気づいたら絨毯買ってました(笑)。嵐洋さんは自分からお店に行ったんですよね?
田中_もちろん。修理も自分のところでやっている人のお店がいいみたいで、一番人の良さそうなところに行きましたね。やっぱり物語に責任を持つ、熱い気持ちがないと。
haru._嵐洋さんもそうだもんなあ。自分が体験してめっちゃいいと思ったりしたものじゃないと、やっぱり熱量をもって人に話せないじゃないですか。
田中_そうですね。だから今日から「パルクールよかったよ!」ってひたすら言うと思う。
haru._嵐洋さんが人に伝えるっていうことは、同じような体験をその人にしてほしいっていうことですか?
田中_スキーとかであれば体験をしてほしい。でも、面白い人を発見した場合、その人のストーリーをみんなに知ってもらいたいって思うんですよ。もっと面白い世界があるからみんな知っていけばいいのになっていう思いです。
haru._そういうときに嵐洋さんは結構紙媒体で伝えてるイメージです。映像もやっていますけど、やっぱり雑誌が伝えやすいなって思うんですか?
田中_雑誌と映像両方かな。それぞれ伝え方や伝わり方が違うので。
haru._園山さんの絵が入っていたりするのは雑誌ならではだなって思います。情報の軽さと重さがごちゃ混ぜになっていても、ここちよく摂取できるのは雑誌の魅力ですよね。
田中_そう。それに雑誌は、読む時間もそうだし、写真一枚見るにしても、時間をゆっくり過ごせると思う。その良さがあるなと思いますね。
haru._映像製作は普段どんなふうに作っていますか?
田中_基本的にはドキュメンタリー映像を作ろうと思っています。だから結局は人のストーリーをそこに入れ込んで伝えたいっていうのがある。今作っているのだと、女性トレイルランナーの映像を作っています。
haru._トレイルランニングってなんですか?
田中_補整された道路を走るのではなくて、山の中を走るスポーツ。フルマラソンって42.195kmだけど、トレイルランニングの世界になると、160kmとか300kmとかになるんですよ。その長い距離、長い時間でいろんな出来事が起こるし、そのハプニングが面白いんです。
haru._嵐洋さんは未来がわからないことに楽しみを感じるんだなって思いました。
田中_そうですね。たまに不安ですけどね。
haru._不安な素ぶりを全然見せないですよね。でも、それだけアクティブに過ごしていて、いろんな場所に出かけるのが喜びになっている嵐洋さんにとって、コロナ禍は大変だったんじゃないですか?
田中_家の近くをひたすら走ってましたよ(笑)。でも、コロナ禍の時間って僕にとってよかったなって思うんです。全てが止まったから、個人個人の差が薄まって、焦らなくていい時間になったなって思っていて。
haru._嵐洋さんでも周りと比較して落ち込んだりすることがあったんですか?
田中_比較して落ち込むことはないけど、誰かが面白いことをやっていると羨ましくも思うし、僕もそこに行きたいなとかは思う。焦りに近いものですね。でもあの時期はそういった焦りがなくなったなと思っています。
haru._嵐洋さんがそういうことを感じるっていうのが、すごく新鮮かもしれないです。
田中_でも、あれですよ。その人がすごい未踏の地の山に登って滑ってるとか、そういうレベルのことに対して、めちゃくちゃいいなって思ったりとかです(笑)。
haru._なるほど。あのときは誰もどこにも行けなかったですもんね。
田中_あと当時はzoomとかメッセンジャーを使って、海外の人ともやりとりが途絶えないようによく喋っていました。
haru._嵐洋さんはそういうケアもちゃんとしますよね。世界中に友達やコミュニティがいるのに、人とのコミュニケーションを絶やさないなって思います。
田中_寂しがり屋なんで(笑)。友達はどんどん増えていく。
haru._嵐洋さんとスキーしに行ったときに、その辺にいる人がみんな滑りながら「あー!嵐洋!」って手を振ってて、この人すごいなって思いました(笑)。でもそれってちゃんと周りをケアしているからだと思うし、私も学生時代に嵐洋さんと会って、こうして絶えずに会えているのって、嵐洋さんが定期的に誘ってくれるからだと思います。今回は私が久々に嵐洋さんに連絡したんですけど、人生の捉え方が自分と違いすぎて、すごく面白いです。
haru.さんと田中さんの対談は後編に続きます。後編では、旅や仕事で世界中を駆け巡る田中さんにとって安らげる空間とはどんな場所なのか、未来の自分のためにしていることなど、前編に引き続きたっぷりお話いただきました。ぜひ楽しみにしていてくださいね。 それでは今週も、いってらっしゃい。
Profile
田中嵐洋
1982年生まれ。Steller’s Jay クリエイティブディレクター。幼少期から登山とスキーを楽しみ、現在は趣味と仕事を両立させる。アウトドアブランドのブランディングを行い、映像からカタログまでアウトドアコンテンツを制作している。2019シーズンに公開した雪山映像「The Kingdom of Snow」がカナダで開催されたバンフマウンテンフィルムフェスティバルのファイナリストに残る。フリーマガジン「SKI CLUB」のクリエイティブ・ディレクターも務める。
photography: miya(HUG) / text: kotetsu nakazato