ラジオ体操で身体をほぐす朝 haru.×寺尾紗穂 【後編】
月曜、朝のさかだち
第5回目の『月曜、朝のさかだち』では、ゲストにシンガー・ソングライター、そしてエッセイストとしてご活躍されている寺尾紗穂さんをお迎えしています。記事の前編では、2人にとって共通するモチーフである「天使」についてや、制作活動をするうえで大切にしていることなどについてお話いただきました。後編では、寺尾さんの使命や言葉との関係性、子育てのかたちなどについて伺っていきます。
「子どもでいること」それは現状を変えていく力になる
haru._最近感じていることなんですけど、ここ数年で、いろんな企業含めて「多様性」という言葉を使うことがすごく増えていると思うんです。でも、そこには個人の気持ちが伴っていないことがあるなと思っていて。全てのトピックを1人でカバーするのは無理なことだと思うんですけど、みんなと接点を作っていきたいっていう思いがないと、結局言葉だけが上滑りしてしまう。自分のなかにも積もっていないし、みんなにもあまり届いていないみたいなことが、よく見受けられるようになりました。でも、寺尾さんがおっしゃっていたように、少しの接点を作るだけでも、勝手に広がっていったりするよなっていうのを最近は思っていて。全部を正しく綺麗にやるよりも、常に関わりを持ち続けることが必要なのかなって思いました。
寺尾紗穂(以下:寺尾)_そうですね。りんりんふぇすを始めたときも、最低10回はやりたいなと思っていて。そういうことって、続けないと変わっていかないだろうなと。続けてきたことで、地方のライブに呼んでもらったときに、主催の人から、「この地域にいるBIG ISSUEの販売者さんを呼んでもいいですか?」って言ってもらえたりするんです。そのおかげで地方の販売者さんとも知り合えたり、その人が歌うのが好きだったら一緒にセッションをしたりして。こっちがこうしてくださいって言わなくても、自然と紹介してくれたり、呼んでくれたりする。そういった自然な流れが生まれてきて嬉しいですね。
haru._寺尾さんの活動の広がり方が自然で、それはどうしてなんだろうって思ったときに、寺尾さん自身がその場にいる人とちゃんと向き合っていることで、勝手に人間の輪が広がっていくのかなって想像していました。
寺尾_山谷で会った坂本さんっていうおじさんが、出会って4、5年で亡くなったんです。事故にあって入院して、退院した日にずっと我慢していたお酒をおそらくたくさん飲んじゃって、そのまま死んじゃって。ドヤの人たちはそういう死に方も多いみたいなんです。そこから勝手にですけど、自分がなんで坂本さんと出会ったのかっていうのを考えるようになり、もしかしたら受け取ったものを手渡していく使命があるのかなって思ったんです。それが続ける力になっていました。
haru._残された側ってやっぱりすごく考えるじゃないですか。そこから何か自分を導いてくれるようなメッセージを感じ取ったり、想像したりしますよね。
寺尾_シュタイナー的にはそこに天使が介在しているのかもしれないですね。
haru._仲介的な存在だと言われていますよね。そう思うと、天使の存在って、自分が無意識に感じていたことなんですけど、急に具体を帯びたものとして今存在している感じがして、すごく面白いです。
寺尾_本当ですね。たぶんいろいろ守ってくれる存在っていうのは、天使だけじゃなくて、ご先祖様とかもいるかもしれないですしね。
haru._寺尾さんの本『天使日記』の最初の方にもそのお話が出てきますよね。
寺尾_そうそう。中高時代の同級生が霊能者になっていて、離婚しようと思ったときに、答え合わせじゃないですけど、見てもらったんですよ。そしたら、亡くなったばかりだった父方のおじいちゃんがすごい前に出てきて「遅すぎたくらいだ」って言っていたみたいで。そのときに、自分の使命についても教えてくれたんですけど、それが「子どもでいること」だったんです。最初はよく意味がわからなくて。自分がやっている芸術や音楽が自分の使命じゃないって、どういうことなんだろうって。でも、だんだんとなんとなくわかってきました。
haru._今ではどういう意味だったと捉えていますか?
寺尾_子どもって自分の感情とか、感じたことを誤魔化さずに表現する存在だと思っていて。大人になるっていうのは、周りに合わせたりするなかで、そういうことに蓋をしていく部分もある気がする。でもそれをしなくていいというか、しないことでより本質的なことをつたえたり、現状に疑問を投げかけられるのかなと思っています。
haru._うるさかったり、落ち着きがない人に対して「子どもっぽい」っていうじゃないですか。でも、私は「子ども」って、大人たちが言っていることを静かに疑って見てる存在みたいな感覚もあって。私自身も子どもの頃、「本当か?」とか「なんでこんなことで争ってるんだろう」とか、ぼーっと静かに思っていたんです。寺尾さんの子ども像っていうのは、そっちの、静かに見ながら「本当はこうじゃなくてもいいんじゃない?」って思っている姿なんじゃないかなって思います。
寺尾_私は割と第一印象だと「声をかけづらい」って言われるんです。見た目が真面目くさいのかわからないですけど。話していくとそんなことないってわかってもらえるんですけど、話しかけるまでにちょっと勇気がいるって言われたりすることが多いです。
haru._「この人は自分の奥の方まで見えているのかもしれない」と思ってしまうのかも。でも、公園でも犬を見てすごく笑っていて、「すごく笑ってる!」って思っていました(笑)。
寺尾_そうなんです(笑)。真面目そうな見た目とのギャップがあるっていう意味でも、「もっと自由でいいよ」というか、「そんな堅苦しくなくていいよ」っていうメッセージにもなるのかなって思います。
haru._私もこの間初めて占いをしてもらったんですけど、「結婚には向いていない」って言われました。留まることが向いていないからって。でも、子育てには向いてそうだから、結婚せずとも子どもを育ててみたらいいと思います」って言われたんです。
寺尾_私も3人未婚で産みました。
haru._私は事実婚みたいな感じでやっているので、法や契りを交わすことが大人になることみたいに思われがちですけど、そういうことではないんじゃないかなっていうのはずっとあって。かっこいい大人になりたいっていう気持ちはあるんですけど、それが大人っていう言葉で表現するのが合っているのかな?っていうのは寺尾さんを見ていてちょっと思いました。寺尾さんは「かっこいい子ども」っていう感じ。
寺尾_あはは、そうなんだ(笑)。本当に心は移ろいますし、そのときに結婚という契約が鎖になってきちゃうんですよね。見る目がないと言われればそれまでですけど、人と人の関係ってそう単純でもなくて、その時受け取っている、感じているものは確かにある。でも離婚は大変でした。
haru._そうですよね、大変なことですよね。昔、同級生のご両親が離婚したとき、家が大変だったので、きょうだいでうちによく来ていて、みんなでイチゴ狩りに行ったのを覚えています。
コミュニティで子どもを育てること
haru._寺尾さんの本の中で、「子守唄を歌っていたのは若い母親ではなく、年長者のおばあちゃんだった」っていう話がありますよね。子育てを1人で背負わず、年長者の力を借りてやっていくことがよかったっていう話をされていて、この考え方がもっと浸透したら、気持ちがちょっと楽になる人がいるんじゃないかなって思いました。
寺尾_本当ですよね。なぜか子守唄は母親が歌ってあげるものという決まった見方が、世間の常識みたいになっていますけど、実は全然違ったんです。基本は労働力から外れたおばあちゃんが歌ってあげるものだったし、沖縄では守姉といって、中学生くらいの女の子たちで集落の赤ちゃんをみんなでみる習慣があったようなんです。そういう感じだったから、割と子育てもわいわいと楽しかったんじゃないかな。だから沖縄の子守唄って、すごく優しい歌が多いんですけど、内地では貧しい家の子が小学校中学年くらいから親元を離れて、よその赤ちゃんのお世話をする子守奉公っていうのがあったので、「早く自分の家に帰りたい」「お母さんに会いたい」みたいな切ない歌が多いんです。今のお母さんも孤独で、ひどいとうつ病になって子どもを殺しちゃうみたいな事件もありますけど、そもそも孤独のなかで子どもを育てることに無理がありますよね。
haru._私ももうすぐ30歳で、子どもを育ててみたいなと思いつつ、今の自分のライフスタイルじゃ絶対に無理じゃんって思うんですけど、そうなったときに、コミュニティで育てたりすることを、やってみてもいいんじゃないかなって思っています。簡単じゃないかもしれないけど、分散させながらできたらいいなって。そうしたかたちなら、「自分が産んだ子どもじゃなくてもいいのでは?」って考えたりもします。
寺尾_私自身は友人に頼んだり、区のファミリーサポート*①を利用していました。1時間800円くらいの。ご実家は都内ですか?
haru._実家は埼玉なので、そんなに遠くもないです。
寺尾_女性が仕事を続けながら子育てをスムーズにできるかって、実家の手伝いがあるかどうかも結構大きいと思います。なので、何か活動をしながら子育てを両立していきたいっていうときに、地方出身で東京に出てきている場合だと、すごく大変だなって思うんです。そんななかで、自分で友人関係を広げてきた写真家の植本一子さんは、独自のネットワークで2人の女の子を育てられているのはすごいと思います。
haru._教育もこうあるべきって植え付けられているものが大きいと思うんですけど、そこに対しても「本当にそうなのかな?」と疑いながらできたらいいなって思います。
寺尾_もしお子さんができたら、シュタイナーに入れようって思いますか?
haru._私がシュタイナーとの適正がありすぎたみたいなところはあると思っていて。妹もシュタイナーに行っていたんですけど、それほどはまらなかったので、途中で学校を変えたんです。そのときに、誰にでも合うわけではないんだなって思いました。絵を描いたり、音楽だったり、身体を動かすオイリュトミー*②みたいな授業がすごく多かったので、もっと数学をやりたいっていう子とかには合っていないのかもって思います。でも、教科書もないので、一人ひとりのノートを作って、それがその子の勉強の手助けになったりして、個人の集団のような場所でした。
寺尾_今はフリースクールがそんな感じかもしれないですよね。自由な学びを受けられる。
haru._そうですね。この歳になって、学校で学ぶこと全部を学校でやる必要もないんだろうなって思います。
まとめるのではなく、丁寧に発信したい 2人に共通する言葉との関係
haru._最近新しい本『日本人が移民だったころ』が出版されましたね。こちらはどんな本ですか?
寺尾_旧南洋群島と呼ばれていた、サイパンやパラオとか、その辺のことが気になってこれまでに本を2冊出しています。そのあたりは、戦時中、日本が植民地にしていた場所で、日本語教育がされていたんです。日本語話者はもうだいぶ鬼籍に入られていますが、ぎりぎり日本語を話せる方たちに会えたので、かれらから話を聞き、まとめたのがその2冊。当時、農業移民として南洋や満州、朝鮮に行った日本人がたくさんいて、終戦後に一気に日本に引き揚げて人が溢れた時代があったんです。その人たちは、日本の開拓されていない山や遊水地と呼ばれるような、雨がたくさん降ったらすぐに溢れちゃう土地に入って、農業をしていました。でも当然厳しい土地なので、ここで生きていくのは無理だと思った人たちが、そこからさらに南米に移住したりしていたんです。今回の本は、前回出した『あのころのパラオをさがして』で取材したパラオに行った移民たちが、日本に帰ってきて、その後どこでどういう風に生きていたのかを追った本で、日本全国の開拓地で生きた人や、パラグアイに移住して生きてきた人のお話を取材して書いたものになっています。
haru._寺尾さんがルポルタージュ的な感じで皆さんの声をまとめているんですか?
寺尾_はい。お一人お一人の半生を紹介しています。
haru._私もよく自分のマガジンでその人の物語を残したいと思うんですけど、どうしても一生を残すことって、難しいなって思うんです。一つの出来事が、その人にとって人生を変えちゃうような大事な出来事だったりするじゃないですか。それを私の判断だけでカットして載せていいのかなって、取材するときにいつも難しいなって思うんですけど、寺尾さんは取材時や執筆時になにか意識されていますか?
寺尾_もちろん、「これを特に聞きたい」みたいなのはありますけど、基本的には生まれたときからのことをずっと話してもらって、それをICレコーダーに収めて文字起こしをする。そこから取捨選択していくんですけど、そんなに前半生をカットしたりとかはなるべくしないようにしています。たまにICレコーダーを使わないライターさんとかいるんですけど、結構まとめられちゃうことが多くて。「こういう言い方してないんだけど」って思うことも起こるので、聞いたことはなるべく言葉も変えずに、そのまま出すっていうことは大事にしています。
haru._人によって言葉の捉え方や、言葉のイメージが全然違うことってあるじゃないですか。そのうえで、本人が話した言葉ではなく、ライターさんの言葉でなんとなく伝わればそれでいいと思っているのかわからないですが、結果としてそう感じてしまう文章になっていることもありますよね。その人が語った単語や語尾とかでも、見えてくるものって結構ありますし。
寺尾_そうなんですよね。大学時代に新聞記者になりたいなって思っていたんですけど、取材される身になって、こんなこと言ってないんだけどなっていうまとめられ方をされたりして、今では新聞記者になるのは違ったなって思います。丁寧に発信するっていう意味では、やっぱりノンフィクションとか、ルポの形がいいなと改めて思います。
haru._いろんな方の話を聞かせてもらうようになってから、どうやったら今目の前にいるこの人の感じを伝えられるかなとすごく考えるようになりました。なので、寺尾さんの本を読むのが楽しみです。
瞬発的に出た言葉ではなく、選び抜いた言葉を使う
haru._ゲストの皆さんに毎回聞いているんですけど、凝り固まった心とか身体をどのようにほぐされていますか?
寺尾_割とほぐれているタイプですね。ライブ前に緊張する人も多いですけど、それもなくて。だけど、たまに人間関係で悩むことはあったりするので、しんどいときはひたすら寝るかな。そしたら少しは回復するので。
haru._そうなんですね。寺尾さんはエッセイで自分の人生や、近しい人との関係性とかをテキストに残していますが、自分の人生についてを外に出していくことで疲れたりしませんか?
寺尾_そんなにはないかな。haru.さんはありますか?
haru._私もそんなにないんですよ。自分の人生が全て仕事につながってきているので、自分の生き方と、仕事で発信することがなるべく乖離しないようにしたいと思っていて。なので外側からどう見られているかよりも、そこの乖離が生まれて自分が気持ち悪くならないようにっていうことに意識を向けているので、外から何か言われても疲れたりはしないかもしれないです。
寺尾_そうですね。私はSNSでそんなにプライベートなことを話さないようにしていて。本を読んでくれる人たちって、結構良識があるというか、一定の信頼が持てるので、込み入った話やプライベートの話は本でなら出していいなって思っています。ネットだとどこを切り貼りされたりするかわからないし、変に広められたりする可能性もあるので。
haru._特に旧Twitterとかでは、意味がわからない切り取り方をされたり、「こんな風に受け取る人がいるんだ」みたいな衝撃を結構受けるので、Twitterは早々と辞めました。でも寺尾さんにとっての本は、私はPodcastかもしれないです。クローズドな空間で、本当に聞きたい人だけが聞きに来てくれる場所。寺尾さんは普段、こういう喋るお仕事はされますか?
寺尾_トークで呼ばれることはあるんですけど、トークってちょっと難しいなって思っています。haru.さんとは考えや興味に共通する部分がありそうだからスムーズですけど、相手によっては終わってドッと疲れることもあります。瞬発的に質問を投げかけられてそれに返すことが得意ではないですね。だからトークのお仕事はいつも受けようか迷います。
haru._そうなんですね。でももし寺尾さんがPodcastを始めたら私はめっちゃ聞きたい(笑)。私もマガジンを作っていて思うんですけど、本ってタイムラグがあるじゃないですか。ものになるまでの時間があって、書いたときは自分の心と合っていたかもしれないけど、世に出るタイミングでは当時の心境とは少しズレていたりとか。それはそれで面白いんですけど、言葉の届け方も色々あるなって思います。
寺尾_そうですね。私は、自分がその場で話すことをあまり信用できないというか、瞬発的に出た言葉がずっと残ってアーカイブで聞かれるのが嫌だなって思うんですよ。そういう意味でも、私は本にしていくことが合っているなって感じます。きちんと選んだ言葉なので。
haru._確かに。私もトークイベントで5秒くらい固まっちゃったりするんですよ。でも、そんな自分を自分で許すようにしています。間を埋めるために何か喋り出しちゃうんじゃなく、間ができてもいいから、後悔しない言葉を選んでほしいって自分には思っています。
Profile
寺尾紗穂
シンガーソングライター、文筆家。1981年11月7日生まれ。東京出身。大学時代に結成したバンドThousands Birdies’ Legsでボーカル、作詞作曲を務める傍ら、弾き語りの活動を始める。2007年ピアノ弾き語りによるメジャーデビューアルバム「御身」が各方面で話題になり,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品「転校生 さよならあなた」、安藤桃子監督作品「0.5ミリ」(安藤サクラ主演)の主題歌を担当した他、 CM、エッセイの分野でも活躍中。2009年よりビッグイシューサポートライブ「りんりんふぇす」を主催。2019年まで10年続けることを目標に取り組んでいる。2020年3月に最新アルバム「北へ向かう」を発表。坂口恭平バンドやあだち麗三郎、伊賀航と組んだ3ピースバンド 冬にわかれて でも活動中。2021年「冬にわかれて」および自身の音楽レーベルとして「こほろぎ舎」を立ち上げる。著書に「評伝 川島芳子」(文春新書)「愛し、日々」(天然文庫)「原発労働者」(講談社現代文庫)「南洋と私」(リトルモア)「あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々」(集英社)「彗星の孤独」(スタンドブックス)「天使日記」(スタンドブックス)があり、新聞、ウェブ、雑誌などでの連載を多数持つ。近著は『日本人が移民だったころ』(河出書房新社)がある。
photography: miya(HUG) / text: kotetsu nakazato