人生の分岐点で「透明」になる。未知なる自分に出会うため 安藤桃子
ことなるわたしたち
自分とは、いろいろな面をもった「ことなるわたし」でできている。だれもが多面的で、表の顔はその人の一面でしかない。そして、そんな「ことなるわたし」が集まって、個性は生まれる。アーティスト山瀬まゆみがモデレーターを務める連載『ことなるわたしたち』。多方面で活躍する魅力的な女性を訪ね、その人を形成する「ことなるわたし」を掘り下げていくインタビューシリーズだ。
今回向かった先は、高知県。映画監督として脚光を浴びると同時に、高知に移住した映画監督の安藤桃子さんに会うためだ。ロンドンへの留学、生まれ育った家庭環境など、共通点の多いふたりは、プライベートでも遠からずの関係。
高知に移住後は映画監督の枠を越え、ミニシアター『キネマM』のリニューアルから、農・食・教育・芸術などの体験を子どもたちに提供する異業種チーム『わっしょい!』の立ち上げ、NPO法人『地球の子ども』への参画など、アクティブな活動には目を見張るものがある。そんな安藤さんの半生を振り返えるシリーズの前編をお届けする。
ここで少しだけ安藤桃子さんについて紹介したい。俳優であり映画監督である父と、エッセイストでありコメンテーターの母、そして妹は女優。生粋の芸能一家の長女として生まれ育った彼女は、5歳にして自分の家庭環境の特異性に気づいた。「私を誰も知らない場所に行ってみたい」そんな意識が芽生えたのもこの頃。当時、父親の奥田瑛二さんは「10歳までに自分が何者になるのかを決めて報告すること」と子どもたちに伝えていたという。10歳になって「将来は絵を描く」と安藤さんは決意する。義務教育を終えると、ロンドンのアートカレッジに留学。その後、父親の映画制作の現場に関わったことを機に映画監督を志すことに。絵を描く行為は、キャンバスから“1秒間 24コマ”というフレームに変わった。そうしてキャリアを重ね、自身の小説『0.5ミリ』を映画化し、監督・脚本を務めた2作目で、国内外の映画賞を数々受賞。映画監督として脚光を浴びると同時期に、結婚、出産と多くの分岐点を迎えることになる。そんな矢先、彼女は高知へ移住した。
__人生のターニングポイントはいつだった?「分岐点の選択に正解も、不正解もない」
私の人生の中で、わかりやすい転機というなら、アイデンティティを模索しに留学したこと、映画監督を志したこと、高知県へ移住したことですね。特に、高知県への移住を選択したときは、人生の波が一気に押し寄せていた時期。映画祭で自分の作品が受賞して、結婚して、妊娠して。映画監督としてのキャリアが「ここから」という時に「なんで東京からわざわざ離れるの?」「都落ちだ」とか当時は色々いう人もいて。だから、人生の選択みたいなことはいろいろと経験したかもしれない。でも私は、何事にも正解、不正解はないと思っています。
__答えを出した後で、後悔したり、落ち込んだりはしないの?
「どんな選択にも明暗はある。絶望と希望はペアだから」
人生は、選択の繰り返し。 結婚や離婚、人生の分岐点に立った時にどちらに進むか、どう乗り越えるか、いつも選択をしている、はっきりしているのは、そこに必ずスタートとゴールがあって、ゴールまでの道のりをどんなドラマにするかは自分次第だと思うんです。何かを肯定すると、反対側に否定も生じる。物事には明暗があって、絶望と希望はペア。だけど、絶望が悪いとか、善し悪しで測らないように、自然か不自然かで決めるように意識しています。自分にとってどちらが自然に感じるか?なので、こっちに行きたい!という方向を見つけた時は、自分を一回「透明化」して、全体の地図を一歩引いて見るように心がけていて。選択するときはまず自分を透明化してみることが大切だなと。
日常の話でいえば、仮にナチュラルな化粧品に変えたいと思ったなら、アンナチュラルな化粧品も検索する(笑)。どっちが良いか悪いかの判断ではなくて、それぞれが生まれた時代背景もあるし、社会における固定観念とか、無意識の中で入ってくる情報とか、自分の中で勝手に思い込んでしまっていることを一回、全部脱ぎ捨てて、透明になれるといいかなと思う。分岐点なので、その後に新しいそのものが入ってきたとき、未知なる自分の可能性みたいなものに出会いやすくなると思うんです。
__透明化って、これまでの自分をリセットすること。不安はない?
「不安そのものを理解できるように自分を無視しないこと」
不安に思うということは、行きたい方向とは裏腹に「そうなりたくない」という気持ちの現れなんだと思う。だから私は不安なときほど、自分の気持ちに優しく向き合うようにしています。もしかしたら、本当は嫌だって気持ちがあるのかな? 逆にそうじゃない方向に行くってどう感じる? そんな風に自分の感覚に問いかけて、自分の本音を無視しないようにしているんです。
「アラジンと魔法のランプ」ってあるじゃないですか。みんな、それぞれ自分の中に魔法のランプを持っているって話を聞いたことがあって。どうやらそのランプからでてくる魔法使いは自分の願いをすべて叶えてくれるんです。ここでいう願いというのは、心の声のことで。
でも、ネガティブな感情でいたら、魔法使いはそれを「願い」だと思ってダメな自分を作り続けてしまう。とにかくその魔法使いは従順だから、願いに良いも悪いもない。心のまま。そういう意味でも自分の本音を無視していると、魔法使いに前向きに動いてもらうことができないって。
だから、しっかり自分の本音に向き合って、どんな苦しいことがあっても明るいほうに向かっていくことをいつも心がけているんです。
__出産して母親になった。いま振り返えると、どう?
「出産と子育て、それはOSをアップデートするような感覚」
出産中に出てくる感覚や言葉って、必死な状況下で出てくるものだから、多分本物だと思うんです。私は娘の頭が半分出てきたとき、とっさに「ご先祖様」って思ったの。改めて、どういう脈絡で出てきた気持ちなのかなって思い返したときに、今までは自分が子孫として先頭に立っていて、出産することで、次の先頭が出てきた。この子の方が私たちより進化していて、これまでの経験もDNAに受け継がれているアップデートされた生命なんだって。急になんだか、この子は私よりも先輩なのかっていう感覚になったんです(笑)。情報だけで言ったら、この子は最新。OSが違う。子育てって新機種に触れることに似ている。だからときどき、触れていることで自然と自分の感覚もどんどんアップデートされているなって感じます。
__今の時代に生まれる子どもたちに何を思う?
「判断される時代の子どもたちのこれからを考えたい」
自分の娘が生きる時代は、もう私たちが生きた時代とは全然違うものになっていますよね。ほとんどの人がスマートフォンを持っていて、学校から家庭にタブレットが貸し出され、情報はインターネットから得られるものになった。
SNSがなかった時代に育った私は、それでも芸能人の娘というフィルターで、良いこと、悪いこと、自分の意思とは関係なく、社会に判断されることは多かったんです。ずっと何かと比べられ、評価されてきた。それがいまの時代は個人として判断されて、社会や誰かに評価される。そんな環境をもし子どもが苦しいと感じているのであれば、それも一つの意志。その苦しさは、ありのままを抱きしめてくれるような、優しい社会を望むという願いであり、次の時代に向かおうとする希望の現れなんじゃないかな?それなら大人は子どもたちが進んで行きたい方向を一緒に探っていくことが大事なんだと思うんです。
「苦しさに意識が向かないワクワクを見つけていくことが大切」
何の為に映画をやるのか。映画ができること、映画館ができることはずっと模索しています。例えば経済的な格差や、子どもたちの苦しさ、社会の様々な問題を見た時に、映画文化の向こう側というのかな、それなら映画に何ができるのか?苦しみにフォーカスするのではなく、そこを抱きしめる優しさや、辛さを忘れてしまうくらいワクワクする気持ち、生きてる!と感じられる感動を届けたいんです。子どもたちの中にある、感じる心を豊かに育めたら、その土壌に一人ひとりが持って生まれた種が芽吹き、花が咲いてゆく。大好きで夢中になれるもの、心を動かすようなものと子どもたちが出会える場所を作りたい。好き!に集中していいよ、その感覚を信じていいんだよと声をかけてあげることが大切だなと思うんです。
__そういう意味で今構想されているキネマミュージアムはどんな存在になっていく?
「心を動かす体験を生み出す場所になってくれたら」
同じ映画を観ても、一人ひとりの受け取り方、感動は当然違います。俳優の芝居を観る人、カメラワークを観る人、ストーリーで観る人。10人いたら、10人の人生経験とドラマがあって、そこが物語と共鳴して、それぞれの視点と感動があるんです。心に響く、その震えるハートこそが本体で、自然そのものなんだと思います。映画館は体験する場所。今年から映画祭もスタートしますし、地域活性化の場になっていけたら嬉しいです。きっと「自分の中にある自然」なんです。心地よさというんですかね。そういう体験を生み出す場所であり、地域の人たちとも繋がれる場所になっていけたらいいなと思っています。「従来の映画館の設計」の枠を飛び越えて作られていっているので、協力してくれるチームのみんなの専門知識と叡智が集結して、コツコツと丁寧にオープンに向けて積み上げているところなんです。
Profile
安藤桃子 Momoko Ando [Left]
1982年東京都生まれ。 高校からイギリスに留学し、ロンドン大学芸術学部を卒業。 その後、渡米し、ニューヨークで映画作りを学ぶ。2011年初の長編小説『0.5ミリ』を上梓、2014 年監督・脚本し映画化。同作で第39回報知映画賞作品賞、第69回毎日映画コンクール脚本賞、第18回上海国際映画祭最優秀監督賞などその他多数の賞を受賞。2014年、高知県へ移住。ミニシアター「キネマM」の代表や、ラジオ番組「ひらけチャクラ!」(FM高知)のパーソナリティも務めるほか、子どもたちが笑顔の未来を描く異業種チーム「わっしょい!」など映画監督の枠を超えて、活躍の場を広げている。
山瀬まゆみ Mayumi Yamase [Right]
1986年東京都生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、高校卒業と同時に渡英。ロンドン芸術大学、チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ&デザインにてファインアート学科を専攻。現在は東京を拠点に活動する。抽象的なペインティングとソフトスカルプチャーを主に、相対するリアリティ (肉体)と目に見えないファンタジーや想像をコンセプトに制作する。これまでに、東京、ロンドン、シンガポールでの展示、またコム・デ・ギャルソンのアート制作、NIKEとコラボレーション靴を発表するなど、さまざまな企業との取り組みも行っている。
Photo by Mai Kise / Text by Chie Arakawa / Edit by Ryo Muramatsu