誰かと比べない人生がはじまった 堀井美香
ことなるわたしたち
アーティスト山瀬まゆみがモデレーターを務める「ことなるわたしたち」。今回は、フリーアナウンサーの堀井美香さんと「コンパッション」をテーマに語り合います。コンパッションとは、相手の苦しみを深く感じ、軽くしてあげたいと思う前向きな感情や態度のこと。この前編では、仕事や子育てをしながら感じた人の優しさについて聞きました。
堀井美香さんは、27年間、アナウンサーとしてTBSに勤務。2022年、50歳という人生の節目に退社してフリーに。ドラマの制作現場で働き、多忙を極める夫との間に2人の子どもを授かるも、今ほどサポートがある時代ではなく、両立はたやすいことではなかった。
「フリーになって、人と比べなくなりました」
__テレビ局という大きな組織から離れると決めてから、不安はありませんでしたか。
堀井_ありましたね。アナウンサーはチームからも視聴者からも何かしら反応をもらえる仕事で、言ってみれば、ずっと承認や評価をされてきた人生だったんです。それが、担当していた仕事がなくなるという、持っていたものがゼロになっていく状況でしたから、周りに忘れられていくのでは、という不安はありました。ただ一方では、退社して時間ができたら、毎日図書館に行って本を読もう、地方でゆっくり暮らそうかなとか思ってもいたんです。それが、独立して1年経った今、ありがたいことに「こんなはずじゃなかった…」というくらい働いています(笑)。
__フリーになって、何が一番変わりましたか。
堀井_持っているものがゼロになっていく状況を、退社するまでは不安に感じていたのに、いざ独立したら「ゼロになっても大丈夫」という覚悟が生まれて、潔いくらい、人と比べることがなくなりましたね。フリーになって、行くところ行くところ新しい現場で、初めての方々にお会いするじゃないですか。みなさんがそれぞれのステージで自由に、それぞれの軸で歩いていらっしゃる。そういう方々と比べて焦ることが皆無なんです。
__逆に言えば、アナウンサーという華やかに見える世界にいたTBS時代に、人と比べてきたということですよね。
堀井_そうですね。誰がどの番組のレギュラーについただとか、管理職になったらなったで、うまくやって成果を上げたいだとか、“評価されたい”という、今思えばいらなかった虚栄心やプライドは確実にありました。どこかで、負けられないという気持ちもありましたし。母親としても、うちの子はどこの学校に入れたいとか、考えちゃうじゃないですか。でも、それは仕方がなかったと思います。競争の中で他人と比べることは人の常。みんな同じ条件のもとで、同じようなバックグランドで、同じカードを切ってくるわけですから。
「押し付けではない、引いた優しさに助けられてきた」
__入社2年目で結婚して、翌年には長女を、その3年後には長男を出産なさいました。仕事と子育てのバランスはどう保ってきたんですか。
堀井_子どもが成長するに従って、仕事と子育てにかける割合は変わっていきましたけど、子ども達が小さい頃は気持ち的には10:0で子ども優先でした。保育園のお迎えで10秒でも早く着けるルートを探し、美容院に行っても「セットは大丈夫なんで」って、髪が生乾きでも、子どものいる家に帰って。仕事でいつも一緒にいられないから、仕事以外の時間はすべて子供に費やしたかったんです。子供たちにしたら、相当重かったと思いますけどね(笑)。
__子どもを育てながら働くことへの罪悪感みたいなものはあったんでしょうか?
堀井_同僚や知り合いには、シッターさんに任せてフルで頑張る人もいましたし、きっと自分の時間を大事にしながらゆっくり子育てしたい方もいるでしょう。いろんなお母さんがいていいと思うんです。その中で、私は仕事をセーブして、子どものことをしっかりやりたかったんですね。
でも、その選択肢を取ったことで、仕事に影響することが多発して…。「月曜から金曜までの夕方のニュースを読まないか」「終わって家に帰ったら8時半。ということは、子供と夕ごはんを食べられなくなるので、やりません」「土日のラジオは?」「土曜日にリトルリーグがあるから無理です」みたいな。そうなると、会社としても困るじゃないですか。当時は、今みたいに働く母親に寛容ではなかったので、「おいおい、なんだよ…」という空気になってしまったんですね。そんなときに私を救ってくれたのが、ある女性の上司の言葉でした。「今は、誰に何を言われても耳を塞いで、子どものことだけをやりなさい。でも、あなたは会社員なんだから、子育てが落ち着いたら戻ってきて、フルで仕事をする時間を作りなさい。最終的に帳尻が合えばいいんだから」と言ってくれたんです。その言葉を聞きなら、ボロボロ泣きました。
__堀井さんの置かれている状況を理解し、「今は子育てに全力を注ぎたい」という想いに寄り添ってくださる上司だったんですね。そうしたコンパッションを感じた経験は、他にもあると思うのですが。
堀井_私は、更年期に何もやりたくないし、何も見ても悲しくなっていたんです。そんなときに、家族の誰も「ママ、大丈夫?」とは言わなかったんですよね。何も言わず、それぞれが洗濯や掃除をしてくれて、すごく助けられたんです。思えば、子育てのさなか、近所の方や会社の先輩が、私の気づかないように、こっそりと陰で、私がやりやすいように場をきれいにならしてくれていて。本当に苦しくて、にっちもさっちもいかなくなった時に、そうした引いた優しさが身に沁みました。
「母や妻という役割から解放された」
__お子さんが独立した今の心境は?
堀井_ありがたいことに子どもたちが巣立ったことで、“母であること”“妻であること”といった、今まで持っていた役割というか、いわゆる型にはまっていたものから、どんどん解放されてきていますね。「私の時間を犠牲にして、この子たちのために」と前のめりになるのではなく、家族それぞれが自由な場所にいて、「緊急事態の時は戻ってくるよね」くらいのチーム感覚でいられています。
__今後のお仕事の展望について聞かせてください。
堀井_すでに始めていますが、朗読会を続けていきたいです。この前は、800人規模の朗読会をやったんですが、一人でチケットを手配し、ポスターをプレイガイドに持っていき、会場では来てくださった方々にお饅頭を配り、すべてが新鮮で楽しかったです。少人数の場所でやるのも、また違う楽しみがあります。地方の小さな図書館でやった時は、防災無線で「このあと~、堀井美香さんが~」って町中に響き渡るんです。私が誰かも知らない人たちが「なんだなんだ」と集まってくださって。最近は、お声掛けいただくことが増えたんですが、ホームページのお問い合わせフォームからメールを送り、行かせていただくこともあります。ゆくゆくは全国各地を朗読会で巡り、寅さんのような生活も楽しそうですよね。
Profile
堀井美香 Mika Horii [Right]
1972年、秋田県出身。法政大学法学部を卒業後、1995年にTBS入社。アナウンサーとしてTBSに27年間勤めた後、2022年3月に退社し、フリーアナウンサーとして活動する。現在は、バラエティ番組をはじめ、さまざまなCMでもナレーションを担当するほか、「yomibasho PROJECT」として自身が主催する朗読会は、チケットが即完売するほど注目を集める。ジェーン・スーさんとパーソナリティを務める『OVER THE SUN』は、毎週金曜日17時よりエピソード配信中。著書に『音読教室 現役アナウンサーが教える教科書を読んで言葉を楽しむテクニック』(カンゼン)、『一旦、退社。50歳からの独立日記』(大和書房)がある。
山瀬まゆみ Mayumi Yamase [Left]
1986年東京都生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、高校卒業と同時に渡英。ロンドン芸術大学、チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ&デザインにてファインアート学科を専攻。現在は東京を拠点に活動する。抽象的なペインティングとソフトスカルプチャーを主に、相対するリアリティ (肉体)と目に見えないファンタジーや想像をコンセプトに制作する。これまでに、東京、ロンドン、シンガポールでの展示、またコム・デ・ギャルソンのアート制作、NIKEとコラボレーション靴を発表するなど、さまざまな企業との取り組みも行っている。