自分で選択した道は信じて貫く 大村佐和子
ことなるわたしたち
モデレーターを務める山瀬まゆみさんの育児休暇にともなって配信する番外編「ことなるわたしの物語」。いまを生きるひとりの女性の暮らしを垣間見ることで、人生の選択肢を増やすきっかけを届けられたら。
そんな番外編に登場する1人目は、出版社で編集者としてのキャリアを積み、2020年、コロナ禍をきっかけに人生について見つめ直すことになった大村佐和子さん。
その当時は27歳。会社を退職し、フリーランスライターになって山梨への移住を決めた。その頃に付き合っていた現在のパートナーと結婚を決めたのもこの年だ。仕事、住まい、結婚と、自身の環境が大きく変化したこの3年半の間に、妊娠をして、母になった。一つの決断から新たな人生が動き出した大村さん。30歳になった彼女が今思うキャリアや結婚、子育てへの価値観とは?
移住もフリー転身も、自分の居心地の良さを求めた結果
__会社員をやめて、フリーランスになる。東京からベースを山梨にしたのはなぜですか?
コロナが始まって、一人暮らしをしていた私はすごく孤独を感じていたんです。家で、とにかく一人、パソコンに向かって仕事をするというような日々が続いていて。仕事の向き合い方や人との繋がり方を必然的に見直すような時期だったと思います。 当時、ウェブマガジンの編集者をしていたので、パソコン1つで仕事がこれだけ進められるのであれば、場所は東京じゃなくてもいいのかもしれないと思うようになったんです。大学進学がきっかけで上京してきましたが、すぐに地元が恋しくなっていて(笑)。地元の山梨にはいつか必ず戻ってくる、大好きな家族と山がある場所で暮らす、ということは心の中にはずっとあったんです。コロナ禍がある意味その背中を押してくれました。 その決断をしたタイミングで、パートナーからもプロポーズを受けました。フリーランス、移住、結婚が同時進行で進み出した感じでしたね。
__移住をしてフリーランスとなり、環境はどのように変化しましたか?
少しずつ軌道に乗っていった感じはありました。移住仲間の友人と、ワークショップイベント『山とヨガのリトリート』を定期的に主催することもできるようになりました。ライター業では、自分の好きなブランドからの定期連載の仕事も受注することもあって嬉しかったですね。1年目、初めての確定申告で、前年度の年収を超えたときは思わずガッツポーズしてしまいました(笑)。自分の力を試したいって気持ちでフリーランスになったというところもあったので、仕事の内容も経済的にも、満足のいく1年だったと思います。
結婚を通して知れた親の本音。結婚=同棲ではなかった自分
私の父親は、夫に婿に入って欲しいという気持ちが非常に強い人でした。私たち3姉妹のうち、誰かには苗字を残して欲しいと思っていたんです。独身時代は婿入りしてくれる方とのお見合いも父親にセッティングされてたくらいなので(笑)。戸籍と苗字は紐づいているもの、という価値観の強い父親だったので、一緒にいるんだったら、籍を入れるのも当然で、私としても“結婚=籍を入れること”は前提にありました。その代わり、籍が入っている分には一緒に住んでようが、別々に住んでようが気にしていませんでしたね。なので、結婚が決まると、父親とは婿養子にするか、私が夫の籍に入るかでかなり揉めました。前から言われていたことだったけど、そこまでこだわっていたということにはこの時点で気づきました。結局は私が彼の籍に入ることで落ち着きました。
__どうやって納得されたんですか?
これから時代も変わっていくだろうし、10年先を考えた時にもしかしたら苗字別姓の選択肢ができているかもしれないというところで、一旦は納得した形です。
__苗字だけで考えれば、事実婚にすることも選択肢の一つになったのではないでしょうか?
私自身の結婚観として、籍を入れるということは両家の家族同士の親交が深まることと思っていて、私は家族間の親交を積極的に深めたかったんです。両親は私が小学校低学年の頃に離婚していて、年末年始に家族で集まるということが少なかったので、寂しかったということもありました。一方、彼の家族はすごく仲良しで。親御さんや妹さんと彼との関わり合いをみていると、“だからこういう人格(夫)が育ったんだな”と家族に触れることで改めて発見できたことが多くて。そういう家族との関係性にも憧れていたので、結婚して両方の家族を繋げたかったし、子どもが生まれたら、両家のそれぞれの価値観を、両方与えてあげたいって気持ちがありました。
__順風満帆に動き出したフリーランス、そして結婚生活。2年目で妊娠が発覚しましたがその時の心境はどうでしたか?
“妊娠しても仕事は続けたい”その反面で、思うように動かなかった体
妊娠中、自分の体調がジェットコースターのようにアップダウンするようになって。原稿を書いていても気持ち悪くて書けない、そもそもパソコンを見ることもできない、今までのように思う通りに自分の体をコントロールできなくなってしまったんです。自分の仕事の量をセーブしなければいけない、と考えざるを得ない状況になりました。その時に自分と向き合って決めたことは、仕事はまたできる、でもこの子と向き合うのは今しかないことだから、ちゃんと向き合う時間を作ろうと、仕事との両立を考えることはやめました。
出産は病気ではなく、日常の一部。自分で出産方法を決める
オープンシステムは、検診から出産、産後まで、1人の助産師さんと2人3脚で進めていくやり方です。出産自体はある医療機関の一角のスペースを借りて、 緊急時には医師や医療の力を借ります。でも基本的には母親と助産師の1対1でお産をするようなシステムです。妊娠がわかって、最初は病院に検診に行ったんですが、私は病院での検診が流れ作業のように感じてしまって。出産は病気ではなく、日常の一部だと思うんです。どういうところで、どんな体勢で産みたいか。会陰は切開するのか、予定日に生まれなかったとしても、待つのか、促進剤を打つのか。そもそもコロナ禍ということもあって、当時は立ち合いもできなかった。病院でなければ、出産にも選択肢は色々とあると思うのに、今の医療だと効率を優先するような方法になってしまいそうな気がしたんです。私は自分でどんなお産にするかを決めていきたいなと思い、このシステムにしました。
__具体的にはどんな出産になったんですか?
まず、分娩台の上で出産をしたくなかったので、日常に近い畳の部屋を借りました。本当は、電気に照らされたくなかったので、キャンドルに囲まれて出産したいという提案をしましたが、安全面でそれはダメでした(笑)。でもトイレでイキんでみたり、クッションの上でイキんでみたり。色々体勢を変えて、最終的には四つん這いの状態で産みました。病院と大きく違うのは、出産したら翌日に家に帰ること。助産師さんが1週間毎日家に来てくれて、産後のケアや相談にのってくれたので、病院じゃないと不安、ということもありませんでしたね。むしろ、妊娠中からずっと相談にのってくれた助産師さんと産後も色々と話せたし、子どもとずっといられるという意味では家の方がリラックスできました。精神的にもすごく支えられたんです。食事は夫がサポートしてくれましたし、助産師さんに薬膳ご飯を持ってきてもらったりしたので、それも病院とは違うところかな、と思いますね。
娘が3歳になるまでは、全力で子育てに向き合う
__お子さんが1歳半になり、現在はどんな生活をされているんですか?
脳の形成は3歳までで8割型決まるというのを聞いてから、3歳までの子育ては保育園には入れず、娘と親子関係を築いていくということを決めました。私はこの子に対して、こういう関わり方をしたい、遊び方をしたい、こういう言葉がけをしたい、という気持ちが強いので、3年間は1対1でやっていきたいなという思いがあります。もちろん保育園での集団生活は学べることも多いと思いますが、今は、私がこの子の個性とか、何が好きなのかをしっかり見極められるよう密に関わっていきたいですね。
__言葉がけというのはどういうところに気をつけているんですか?
たくさんありますが、ひとつ例えを出すなら、否定語をなるべく使わないようにしているころです。今、わざと物を落としたり、投げたりする年齢になっていて。その時に、投げちゃダメだよ、というのではなく、それを投げられると悲しいなって。相手を責めるのではなくて、こちらの感情を言うようにしています。これは子どもだけでなく、大人同士の会話であっても心がけるようにしていますね。
子どもができて変わった夫婦間。男女から父母の関係性へ
__夫婦間に変化はありましたか?
今までは男女の関係性で夫のことをみていたけど、この子ができて、やっぱり父親として どうあってほしいかみたいな気持ちが生まれてしまいました。子どもは自分たちと別の人間だから、個性はどう育っていってもいいけれど、方針は夫婦ですり合わせていく必要がある。どうしていきたいかとか、どういう価値観なのかみたいなことは、子どもが生まれる前以上にすり合わせることが増えました。なので、夫婦の関係性は変わりましたね。
仕事を辞めて子育てに専念して変化した、キャリアへの価値観
__仕事への復帰はどうイメージされてますか?
子どもを産む前、人のためにっていう意識があって働いてましたが、子育てをしてみると、あの頃は自分のために仕事していたのだと気づきました。娘が純粋に私がしたことに喜んでくれる姿をみて、自分の働くことへの意識の矢印の方向が変わったというか。私が仕事を復帰したとしても、もっと人のためを思った仕事の仕方になるような気がします。前までは、ガムシャラに自分のために、お金を稼ぐためにって考えていたと思うんです。東京で上を目指して切磋琢磨するのは楽しかったけど、その分プレッシャーもあったし、やっぱりしんどかったですね。
子育てしていて思ったことですが、頑張りすぎていいことって多分ないと思うんです。一度、ストレスを溜めすぎて娘に強く当たってしまったことがあって。それ以来、ここまでやると良くないな、と思う手前で人に頼ったり、相談するようになったりしました。
私にとって、会社員を辞めること、東京に住まないことは、居心地の良さを求めた結果ですが、言い換えればそれは“楽”になるってことで。それで今は、実家から近い山梨に住んで、月の半分は母親や姉の力を借りて子育てをしています。もちろん、東京での暮らしや仕事を手放すまでには葛藤があったけど、一度、手放したらどんどん人に頼ろうという精神になっていきました。時折、もっと私はガムシャラに生きなくていいのか!?と悩むこともあります。でも、今の私にとって、居心地のいい環境を選択しつつも人生ももっと楽しみたいという気持ちの方がやっぱり強いんです。だからこそお産の方法を選択したり、畑を借りて、軌道に乗るまでは手のかかる協生農法を試したり、今は子どもの発達についての学びを始めたりもしました。仕事を復帰するとなったら、きっと別の働き方になるんじゃないのかな、と予感しています。
Profile
大村佐和子
編集者。1993年生まれ。出版社で編集者のキャリアを積み、2020年にフリーランスになると同時に東京を離れ、故郷である山梨へ移住。編集者やライターの業務をする一方で、「山とヨガのリトリート」キャンプを主催。2022年に第一子を授かり、現在は休職中。