あきらめずに挑んで、すべてを好きになっていく 浅野美奈弥
ことなるわたしたち
連載「ことなるわたしたち」のモデレーターを務める山瀬まゆみさんの育児休暇にともない、スタートした番外編「ことなるわたしの物語」。
2人目として登場する女性は、モデルだけでなく起業家としても活躍する浅野美奈弥さん。彼女にとって大きなターニングポイントとなったのは、6年前に立ち上げたケータリングサービス会社『美菜屋』とランニングコミュニティ『GOGIRL』。そして、昨年は愛媛で農業を営むパートナーとの結婚を決め、農家としての新たな人生もスタートした。モデル、社長、代表、農家。それぞれ違う4つの顔を持ちながら、東京と愛媛の二拠点生活を送る浅野さんは現在33歳。選択肢を次々に広げていく彼女の生き方の本質にあるものとは?
人生における絶対的な味方を、パートナーに。
__「美菜屋」や「GOGIRL」など精力的に活動されているなか、最近ご結婚されました。ご自身の活動と、恋愛、結婚、パートナーについてどんな風に考えていらっしゃるんでしょうか。
いまのパートナーと出会ったのは、ちょうど私が茨城で農家とコラボしたレストランのディレクションを依頼されていた時でした。彼は、愛媛のみかん農家を継ぎながら、それをジュース販売にして卸したり、小売りしたりもしていて、私のケータリングビジネスと近い感じがあるんです。彼にはよく相談に乗ってもらっているので、彼氏、彼女というよりは、良き理解者という関係性で精神的な支えになっています。 私は自分のことを恋愛体質と言っていますが、それは恋愛に比重を置いているというわけではないんです。私にとって、恋愛は本当に遊びに近い感覚で、恋人は癒しとして存在していた感じがします。なので、たとえ恋人との別れがあったとしても、仕事に支障をきたすことはないですね。でも、一方で結婚相手にしたいのはもっと人生において絶対的な味方になる人、心の支えという感覚でした。
彼は、学生時代から観光業を学び、海外にも暮らしていたということもあって、観光の資源は都心だけでなく、愛媛にある実家のみかん農家にも可能性があるということに気づき家業を継ぐことにしていました。そのシステムが茨城のレストランの考え方と近いところがあって、話していくうちに共感することがすごく多かったんです。また、お互いの抱える問題点も似通っていました。
例えば、農業に若者がいないとか、そもそも地方に若者が住んでいないとか。茨城のレストランも、結局そういうことが原因でクローズしてしまいました。関東圏である茨城でも過疎化というのはある話なんです。生産者と食の業界が密に繋がっているにも関わらず、後継者がいない、働き手がいない。続けていくには若い人の力が必ず必要なのに、そこが埋められないという深刻な問題。若い人がもっとこの業界に興味を持ってくれるように発信して、広めていきたいという意識が彼と出会ったことで芽生えました。私は 『美菜屋』の経営者でもあるので、孤独を感じることもあります。こういう風に共感できたり、問題を相談できたりできるパートナーへの気持ちは、今までの恋愛の“好き”とは違う感覚でしたね。
結婚生活も、農業も、ケータリングもモデルも。全部、あきらめずにやってみる。
__浅野さんは東京、パートナーは愛媛。拠点が違う二人が別居婚に至った経緯を教えてください。
結婚して、私は愛媛に住民票を移しました。その時に初めて不安になったんです。このまま愛媛を拠点にしてしまったら『美菜屋』は自然消滅してしまうかもしれない、『GOGIRL』が続けられなくなるかもしれないと。それだけは絶対に嫌だという強い気持ちがあったので、1ヶ月間の半分を愛媛に、半分を東京に身を置くことにしようと、彼と話し合って決めました。もちろん経済的にも体力的にも負担は大きいけれど、できるところまでやってみようと。ダメだったらまた考えようっていう気持ちで二拠点生活を始めました。
__事実婚という選択肢はなかったんですか?
事実婚自体は私はいいと思っています。ただ私個人としては、結婚を選ぶ方が喜びは大きかったんです。というのも私の母がシングルマザーで、家族がそこまで多くなかったということもあって、結婚で家族が増えることを大事に考えていて。それに、私は結婚にデメリットを感じていません。たとえ離婚という形になったとしても、また誰かと結婚してもいいと思っています。結婚式も何度だって挙げてもいいじゃないかとも思っています。今のパートナーはバツイチですが、私は特に気にしていないし、彼と挙式を上げる予定(※取材当時)です。私はそもそも離婚することが悪いことだとは思っていないので。私たちの結婚生活には物理的な距離がありますが、だからと言ってベースを完全に愛媛にしなければいけないとも私は思っていません。それはただのわがままな選択なのかもしれませんが、自分が移動することで、どちらもできるのであればやりたいって思うんです。結婚生活も、農業も、ケータリングもモデルも。
悩む人を支えるために、流産の経験をもっと共有していきたい
__今後さらに家族が増えたとき、二拠点生活はどう考えていますか?
実は結婚が決まって、籍を入れるタイミングになった時に1度妊娠をしたんです。結婚する前から愛媛へ行き来はしていて、動けるうちは行動範囲もそのままにしていました。親しい友達も妊娠初期に結構動いていて大丈夫そうに見えたので。ゆくゆくは愛媛で産もうか、みたいな話はパートナーとしていたんですが、結局、安定期に入る前に、流産してしまったんです。その時は本当にショックで。もしかしたら自分が動きすぎてしまったせいでこうなったのか、元々持って生まれた自分の体のせいなのか。そうやって自分を責めてしまうこともあったし、パートナーもすごい落ち込んでしまって。ネットで色々と調べてもみたんですが、初期段階での流産は母体が原因ということはなさそうだったので、なんとか気を持ち直していきました。流産の経験をしても、誰もあまり言わないじゃないですか。でもあの時、誰かの経験談を知っていたら、もっと心が沈まずにいられたのかもしれないと思うと、こういう経験は、隠さず話していこうと思うようになりました。
妊娠して子どもができても、二拠点は続けていきたい
__今後、どんな未来を想像していますか?
流産の経験をしましたが、私はまた妊娠したいと思っています。その時、無事産まれたとしても、今の生活をできる限り続けていきたいとも思っています。農家の生活は会社員とは時間軸が違うので、生まれた子の健康状態にもよるけど、義理の父母とパートナーの支えがあれば、子どもは愛媛で育てながら、私は東京へ行き来する生活も続けられると思っていて。もちろん、私が東京にいない時期には『美菜屋』のビジネスがちゃんと回るように準備しておかなければならないと思っているし、それはやるべきことと思って前から進めているところでもあります。
経験したことで、人生を育んでいく
__限られた時間の中でどれもあきらめずに進めることは大変ではないですか?
私は経験を大事にしていて、体験したことを繋げていくことが好きだから、どれも何かには繋がっているんです。上京して、モデルとしてスタートしたけど、数年後にケータリングをやりたいって思い立ちました。それはモデルの撮影でケータリングのサービスがあるということを知ったからなんです。モデルだったから、ランニングの案件のお誘いもあった。それが『GOGIRL』のコミュニティを立ち上げるきっかけになりました。そしてケータリングがあったからパートナーと共感できたし、結婚して、農業に関われるように。今は愛媛の畑で作ったものを『美菜屋』のケータリングでも使うようになりました。
幹から、枝分かれしていくように、すべてが繋がっていて、育んでいっているような感じなので、大変という意識はほとんどないんです。
決めたことはあきらめずに、すべてひっくるめて好きになっていく
__好きだったことに嫌な部分を見つけたり、続けていくうちに苦しくなったりして、やめようと思ってしまうことはないですか?
私は、好きな人ができると、その人の嫌な部分が正直見えてこない方だと思います(笑)。外見や収入など、好きになる人にあまり条件も作っていないです。それはコトでも同じように当てはまることだと思っています。好きになるほどに、どんどんいいところの方が大きくなって、嫌なところもそれもいいんじゃないかって思うようになるんです。例えば、料理においても、私は食べることが好きだったけど、正直、作ることが好きだったわけではないんです。でもケータリングをやりたいって思い立って、独学で料理を勉強していたら、いつの間にか食べることも、作ることもすごく好きになっていて。農家の仕事も一緒なんですよね。私は本当に虫が苦手で、畑の土の中にも、木にも虫がいっぱいいるんですよ。でも、一回寝て、朝起きたら、やっぱり畝(畑の土台)作りたいって思うんです。今では土の中で虫の逃げ場を作っていたりしているし(笑)。結局、自分で選んだこと、そしてせっかく挑戦してみようって決めたことなのに、あきらめてしまうことの方が私にとっては辛い。自分で決めたことに後悔さえしなければ、どんなことであっても、いずれはすべてひっくるめて好きになってしまうと思うんです。
Profile
浅野 美奈弥
モデル/経営者。1991年生まれ。学生時代からモデル活動を始め、現在も広告やメディア、カタログなどを中心に幅広く活躍。6年前にケータリング、ロケ弁、レシピ開発などを行う「株式会社美菜屋」を起業。また、同年に女性限定のランニングコミュニティ「GOGIRL」 を立ち上げ主宰も務める。これまでにフルマラソンは11回完走した経験を持つ。