勇気をもって、「今」を生きていく 川上未映子
ことなるわたしたち
アーティスト山瀬まゆみがモデレーターを務める「ことなるわたしたち」。今回は作家の川上未映子さんと「女性と年齢」をテーマに語り合う。
2006年、30歳の頃に歌手から作家へと転身した川上さん。3年間にわたる自身のブログを書籍化したことを機に、作家としての道が切り開かれる。その翌年の2007年、処女作『わたくし率 イン歯-、または世界』で作家デビューをするやいなや、2008年『乳と卵』で芥川龍之介賞を受賞。その後、デビューからわずか3年で輝かしいキャリアを積み重ねる。
プライベートでは、35歳で妊娠し、36歳になる間際で出産。母となった。仕事と出産、子育てとキャリアなど、年を重ねる中で直面する働く女性ならではの悩みと川上さんはどのように向き合ってきたのか。
キャリアの始まりから、結婚と出産、そしてエイジングの考え方について、赤裸々に語る。
__キャリアスタートのきっかけは、目的もなくはじめたブログだったということですが、当時はどんな気持ちで書いていたんでしょうか?
「誰のためでもなく書きはじめたブログから、はじまった」
川上_音楽活動がうまくいかない日々に、日記とも詩ともつかない文章を書き始めたんです。当時は、自分が言葉の仕事をすることになるなんて思っていなかったんですが、26歳から29歳までの3年間ぐらいほとんど毎日書いていました。それまでの音楽の仕事は、基本的にいつも誰かに許可をもらわないといけなかったけど、ブログに書く文章は自由でした。誰もいない世界に向かって何かを書いて読まれるというのはこわかったけど、すごくどきどきしました。でも、この画面の向こうには、ひょっとしたら誰かいるのかもしれないなっていう希望もありました。あの頃の、崖っぷちにいるんだけど、無限に何かが広がっている感じをよく覚えています。結局は、その経験が文章を書くキャリアの始まりで、自分にとって一番おおきな契機だったと思います。
今になって、10歳も15歳も年下の若いクリエーターが昔読んでいましたって言ってくれることがあって、すごくびっくりするんです。夢中になって3年間を綴ったブログが『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』という書籍として形に残りました。
__そんな華々しいデビューから5年ほどで、妊娠して出産されていますよね。以前のように働けなくなってしまう不安はありませんでしたか?
「振り返った時に、その選択に妥当性があったのかどうかなんて証明できない。だからこそ大切なのは、今の自分の状態、今の気持ちなんです」
川上_妊娠と出産のタイミングってとても難しいですよね。基本的に相手がいることだし。仮に相手がいないにしても、一人ではできないこと。それでいて働く女性は、キャリアとの兼ね合いがあるので、偶然に授かるとかじゃない限り、自分でタイミングを決めるのって本当に難しいと思うんです。
わたしの場合は、子どもを持ちたいと思ったのが30代の半ば。ある程度、仕事を続けていけるだろうという実感もでてきた頃で。新人賞を頂いて、つぎの『ヘヴン』という作品を書けたこと、そしてそのあとに夫に出会ったことが大きかったです。子どもは夫が望んでいて「わたしにそんなことができるのか」と不安でしたが、いろんなことが後押しになったんだと思います。今お話していて感じるのは、ぜんぶがほとんど偶然というか、自分で決めたことってほとんどないんだなってこと。よくAという選択とBという選択があったって考えがちだけど、結果はやっぱり比べられないですよね。歩める人生はひとつしかないから「それしかなかった」しかないんじゃないかな。
川上_まだ子どもには手はかかるけど、いま振り返って言えることは、やっぱり仕事をしながら子育てをするのは本当に大変だということ。とくに女性は周りが仕事と子育てに理解がないと、倍々でしんどくなりますよね。仮にどこかに属していて、雑誌編集者なんかだったら、自分の生活とか関係なしにばちばちにスケジュールが決まっているわけです。撮影、締切、納期。そんな時にも子どもにはイレギュラーなことが起こるんです。発熱したりね。当然、そこでママが呼ばれるんです。仕事を休まざるを得ないんですけど、現場は止められない。会社と家庭で、板挟みに合う。
そんなことを想像すると、生活を根底から変えてしまう出産には、なかなか踏み切れない。でもね、結局、どんなに備えても、思い通りにはならないもの。思った通りの人生設計なんてできないんです。なんだって、なるようにしかならない。その時の、なんの根拠もない直感で動くしかない時がたくさんありますから。だから、大切にしないといけないのは「今」なのかなって思うんです。今の自分の状態、今の気持ち。40代も後半になると、そんな風に思えるようになってきました。
__「今」を選択することは、すごく勇気がいることですよね。
「今の選択が私たちの思い出になるのだと思ったら絶対にやるべき」
川上_最近ね、息子から犬と一緒に暮らしたいと言われました。普通に考えたら、これから親の介護の不安もあるし、わたしや夫も老いていくし、病気にだってなるでしょう。ただでさえ時間がないのに、犬のお世話も大変です。冷静に考えたらリスクなんですよね。つまり「大人としての答え」は「いまは犬と暮らすのは難しいね、あなたが大人になったら暮らすのがいいね」ですよね。でも、それはどうなんだろうって思うんです。わたしたちが今を一緒に生きていることになるんでしょうか。家族がいて、そのなかで子どもが犬を抱っこして、小さな命を抱きしめたら、その子はその感触をきっと一生大事にしますよね。小さな生き物と一緒に暮らしたっていうことが彼に残る。それは、本当にかけがえのないものです。
だから、未来に囚われて、過度に恐れる必要はないのかも。こわいけどね。人はみんないずれいなくなるわけで、人生なんてどんなに念入りに準備しても、まとまらないものだから。それはみんなおなじ。明日なにがあるか、誰にも本当にわからないから。今を大切に生きるしかないの。
__これまでも、これからも年齢を重ねていくことに不安はなかったんですか? 若い頃に執着するという感覚や年老いていく恐怖などはないのでしょうか?
「SNSで見かけるずっと元気で若々しい状態はフィクション。老いることは誰しもが体感する自然な姿で、恐れることは何もない」
川上_わたしは年を取るってことに、あんまり関心がなかったのかもしれません。人が老いていくのは、どうしようもなく自然なことですからね。”死”に対しては、子どもの頃から、どういうことなのかなって捉えてきたところはあるけど、それもしょせん頭の中の観念的な話でした。養老孟司先生の本を若い頃から愛読しているんですが、養老先生は、一人称の死、二人称の死、三人称の死と分けられていますね。一人称とは自分の死で、その意味で死は存在しません。眠っていたことに気づくのは起きたからですよね。起きなかったら眠っていたことにも気づけません。だから、その意味で死は気づくことができないので、自分の死は存在しないんです。あるのは他人の死ですね。これは生きていく上で大変な問題だと思いますけれど。
養老孟司著『死の壁』(新潮新書)
死にまつわるさまざまなテーマを通じて現代人の「死の問題」と向き合う一冊。死の一人称、二人称、三人称について綴られ、一人称は自分の死。二人称は親しい人の死。三人称は他人の死。
わたしたちはもともと弱々しい赤ん坊で、ちょっと動き回れる時間のある人がたまたま多くて、でももちろんそうじゃない方もたくさんいます。多くは歳を重ねてまた弱くなっていく。基本的にはすべて自然なことですよね。
わたしたちは、たとえば東京に住んでいると、なかなかそういうことに気づけない。人がだんだん年老いたり、病を得たりするのを目の当たりにすることもあんまりなくて、ずっとみんな元気なままで平均寿命まで楽しく生きていると思ってる。でも、そのリアルな内訳がどうなっているかは想像しないし、できない。インスタグラムを見ていても、みんな若々しくて、弱々しい姿はあんまり出てこないもんね。でも、誰がなにを抱えているのかはわかりません。生きていくことは素晴らしいけれど、かならずしんどさとセットなんです。だから、ネットであれ対面であれ、人には優しくあれたらいいと思います。
今日も綺麗にメイクしてもらって気持ちが明るくなるって状態も、また自然なこと。自分を手入れするのは気持ちがいいですよね。みんな老いていくから。みんな同じ。だからそんな恐れないでいいよって思うんです。
__川上さんは自分が60歳になった時、何をされていると思いますか?
「生きることが始まったから前に進むしかない」
川上_生きているかどうかもわからないので、想像はできません。昔は何歳になってもばりばり書いているぞ、なんて思っていたけど、呑気でしたねえ(笑)。病気も災害も事故もなんだって起こりうるし、現にいま、その渦中にいらっしゃる方が、本当にもう、たくさんいるんです。でもね、それもわたしが40代後半になっていろんな経験をしたから、感じることかもしれません。若い方には若い方のリアリティがあって、それを謳歌するのは人生の最高の喜びで、とても大切なことです。東京で、こうやって上を目指す人たちに囲まれた環境の中で揉まれていると、焦りもあるだろうし、奮い立ちもしますよね。刺激もすごいしね。頑張りどきというのはあるから、憂いすぎず、楽しみながら、ぜひ頑張ってほしい。でも、頑張るためには、ちゃんとリラックスしてゆるめるのが大事です。失敗もたくさんして、睡眠をたくさんとって「今」を味わって、毎日を過ごしてほしいな、と思っています。
Profile
川上未映子 Mieko Kawakami [Right]
大阪府生まれ。2008年『乳と卵』で芥川龍之介賞、09年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞、10年『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞および紫式部文学賞、13年、詩集『水瓶』で高見順賞、同年『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞、16年『あこがれ』で渡辺淳一文学賞、19年『夏物語』で毎日出版文化賞を受賞。他の著書に『春のこわいもの』など。『夏物語』は40カ国以上で刊行が進み、『ヘヴン』の英訳は22年ブッカー国際賞の最終候補に選出された。23年2月『すべて真夜中の恋人たち』が「全米批評家協会賞」最終候補にノミネート。近著に『黄色い家』がある。
山瀬まゆみ Mayumi Yamase [Left]
1986年東京都生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、高校卒業と同時に渡英。ロンドン芸術大学、チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ&デザインにてファインアート学科を専攻。現在は東京を拠点に活動する。抽象的なペインティングとソフトスカルプチャーを主に、相対するリアリティ (肉体)と目に見えないファンタジーや想像をコンセプトに制作する。これまでに、東京、ロンドン、シンガポールでの展示、またコム・デ・ギャルソンのアート制作、NIKEとコラボレーション靴を発表するなど、さまざまな企業との取り組みも行っている。
Mieko Kawakami Costume: 赤トップス 50,600円 / 赤パンツ 75,900円(nadia) 靴 124,300円(Santonl/3rd culture) 問い合わせ先:3rd culture 渋谷区恵比寿2丁目28-5 03-5448-9138
Photo Mai Kise / Stylist Saori Iguchi (Mieko Kawakami)/ Hair&Make up Mieko Yoshioka / Text Chie Arakawa / Edit Ryo Muramatsu