美しく、自然に、年を重ねていく 平 輝乃
ことなるわたしたち
連載「ことなるわたしたち」のモデレーターを務める山瀬まゆみさんの育児休暇にともないスタートした番外編「ことなるわたしの物語」。いまを生きるひとりの女性のリアルな暮らしを垣間見ることで、人生の選択肢を増やすきっかけを込めてお届けするシリーズの6人目に登場いただくのは、美容エディターの平 輝乃さん。
27歳で地元にある大阪の出版社に就職し、編集者としての人生をスタート。4年後の31歳に東京に拠点を移し、フリーランスとして働き始めた。現在58歳、ベテランと呼ばれる彼女の半生と、生き方、美に対しての向き合い方について伺った。
働き盛りだった30~40代。
この頃に培った知識や経験は財産
上京したての3年間はとにかくがむしゃらになって働いていたという平さん。目まぐるしい速さで進んでいく東京の美容業界のペースに疲れ、35歳の時に体と心がスタックしてしまったという。そこで決意したのは1年間の渡米。本人曰く、“自分にあげた1年間の夏休み”だったという。
「前提として、私は常に仕事で忙しくしている人生、というのが正解だとは思っていません。ただ、振り返ると、思いっきり仕事に集中して、自分が主役で活躍できていたのは30~40代の頃だったな、と。一生懸命やった分、知識も経験も、その全部が財産になっていった時代でした。ただ、上京してすぐの頃、3年間は本当に働き詰めだったんですよ。仕事の量をコントロールする術も知らず、関西から来たばかりだったこともあって、知り合いはいるけど、仕事以外の話ができる友だちもすぐにはできなくて。狭いビューティ業界の世界だけで生きている感じがして。同時に恋愛関係でもうまくいかないことがあって、本当にいっぱいいっぱいになってしまったんですね。日本からもう離れたい、そんな気持ちから、叔母が住むアメリカに1年間、渡米することにしました」
35歳。仕事からの逃避行
1年間、仕事を休んでも、貯金があるから大丈夫だろう。そんな気持ちで渡米に踏み切れたのは、35歳という若さゆえ、と振り返る。
「本当、収入もないのに、やたら遊んでいましたね(笑)。英語がペラペラになれたら良かったんですが、そこまでは喋れるようになりませんでした。でも、初めて日本ではない場所に住んでみて、こんなにも時はゆっくりと流れているんだ、ということを実感できたことは大きかったですね。職業柄、常に先のことばかりを考えて仕事を進めなければならない。今、起きていることに立ち止まって仕事をするということがなかったんですね。なので、目の前に起きていることだけに心を動かす生活は本当に楽しかったです」
しばらくはアメリカに滞在していようと思っていたものの、滞在時に起きた2001年9月11日のテロにより、帰国をすることに。仕事では1年間のブランクはあったものの、美容業界の1年はあっという間に過ぎるということもあり、難なく仕事は再開。元通りのサイクルに戻った。
40代へ。キャリアも安定してくると、余白を持ったスケジュールを心がけるように
「私は、雑誌だったら、1ヶ月に受けられる本数など、これ以上受けたら身動きが取れないという以上には受注をしないようにしていました。そうしておかないと、すごくやりたいお仕事の案件で声をかけられたとしても受けられなくなってしまう。それが嫌だったので、スケジュールには余白を作るように心がけていたんです。40代前半の頃、縁あって大型犬を飼うことになりまして、朝晩の散歩が私のルーティンとなりました。それもあって、犬を世話できないほどに仕事を受けることは避けようと、犬との生活が仕事とのバランスとの指標になっていたと思います。でも、周りが本当に忙しいから、みんなの都合を調整すると、結局打ち合わせが夜になったりして(笑)。そういうのは仕方がないと思うしかなく、できる限りですが、それでもプライベートの時間は意識的に作るようにしていました」
そして、50代に差し掛かると想像していなかった出来事が起こる。
50代ではじめて直面した仕事への不安と、
見つめ直した仕事相手との向き合い方
50歳になった時、仕事への向き合い方を改めたという平さん。
「仕事が減ってしまって、初めて不安に駆られました。美容のプロとして生き残っていくために、と考え直したのがこの歳でした」
自分は美容のどんなプロなのか、プロ意識とは? 向き合い始めた50代。元々、美容オタクから始まったキャリアではないだけに、自分のスタイルを見つめ直すことにしたという。
「まず、私とお仕事するメリットって何があるのだろう? と考えた結果、当たり前のことなのに今までできていなかったのが、相手の立場で考えるということでした。当時、自分から仕事をください、と営業をかけたこともなかったんです。むしろ、忙しいのは嫌なんですって周りに言っていたタイプでした。でも、考えてみたら、そんなことを言っている人と仕事をしたいと思う人はいないじゃないですか。仕事を振られて、嬉しいと思ってくれるような反応の方が相手も嬉しいですよね。でも、これは、嫌いな人や不快だと感じる人にも媚を売ろうという考え方ではないし、無理に一緒にいるようなことをするわけでもないです。そのストレスが一番、人を醜くすると思うので。会社の大きい小さいでもなく、相手の肩書きでもなく、誰に対してもフラットでなるべく平等に接していこうと思ったんです。そして、キャリアに傲らず、自分の企画がいかに読者にわかりやすく伝えられるか、その基本姿勢は崩さない。なるべく自分の感覚を麻痺させないよう立ち返るようにしました」
闇雲に価格の高いものだけには目を向けない。常に読者と同じ目線で商品を選んでいく、自分のスタイルを見つめ直し、フラットになる。そうして平さんは新たな50代のキャリアを築き上げていく。
ベテランと呼ばれ、歳を重ねてから思うこと
20代で編集者になり、30代は仕事に翻弄され、40代では充実した生活となり、50代にはキャリアを見つめ直した。これから60代を迎える平さん。編集者としての始まりは“美容”だけではなかったが、研磨していくように、彼女は美容と共に生きてきた。ある種、人生の一部とも言える“美と仕事”について、率直にどう捉えているのか。
「実は2年前から弓道を始めたんです。そこで気づいたのは、私はなんでも全力で頑張る。頑張ってきた。悪くいうと、力が入りすぎてしまう暑苦しいタイプ(笑)。弓道は折り目正しさが重んじられるので、“テキトー”が通じない。これまで、スピードや力技重視で生きてきたことに反省させられることばかりなんです。キャリアにも通ずる部分があって、若手とベテラン、“見せ場”とする立場が違うということは自分の中で明確にしています。今、私は“ベテラン”と呼ばれる立場で、強みは“経験”であり、弱みは“凄み”だと思っています。なので私が今、若い世代の編集者に力技のようなことをすれば“凄み”になってしまう。それは気をつけています。シンプルに、求められることに応えていきたいなって思うんです。相手にもメリットがないと、自分の母親みたいな年齢の人と仕事したいってそもそも思わないじゃないですか(笑)。
もちろん、若い人にはスピードと勢いが大事だと思っています。自分が30代、40代の時に、同世代と同世代の気持ちのまま、勢いで作ったページがすごく楽しかった思い出がある。若さの魅力は“勢い”でもあると思うので。でも私は当時のような働き方には戻れないし、もう一度やり直したいとも思わない。それは“美”に対しても同じ考えなんです。
美容を頑張ることは否定しませんが、それがストレスになるのは逆効果だと思うんです。美に囚われすぎて、逆にその姿勢がとてもアグリーな感じになってしまうのは違いますよね。私は人を元気づけたくてこの仕事をしているので、 “きれいじゃなきゃ”という強迫観念を植え付けるような記事は、作りたくないんです。ときにそれが誰かの“呪い”になってしまうこともあるので。たとえば美容医療を使って、アンチエイジングを繰り返しても、人生が同じように繰り返せるわけではないと私個人は思っています。むしろ私は清潔感さえあれば、見かけの時を戻さなくてもいいかなと思うんです。今の年齢を自覚して生きていきたい。そして普通のスピードで老いていきたい。だって一度は30代も、40代も経験しているから。私はそこにまた戻りたいとは思わないんです。そこは冷静に、年齢を重ねることを受け入れて、加齢を享受していきたいんですね」
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Profile
平 輝乃
美容エディター。1966年生まれ。短大卒業後、電機メーカーの貿易会社に就職。27歳で地元の出版社に就職。31歳で上京して以来、フリーランスとして現在に至る。美容の広告はもちろん、「MAQUIA」「VOCE」「SPUR」などを中心に雑誌でも活躍する。