仕事も、結婚も、出産も、まずは自分のためのものでありたい 川畑若菜

ことなるわたしたち

連載「ことなるわたしたち」のモデレーターを務める山瀬まゆみさんの育児休暇にともないスタートした番外編「ことなるわたしの物語」。いまを生きるひとりの女性のリアルな暮らしを垣間見ることで、人生の選択肢を増やすきっかけを込めてお届けするシリーズの8人目に登場いただくのは、関西を拠点にフリーランスPRとして活動する川畑若菜さん。
大学在学中にはじめたPR業務と広告代理店でのインターンをきっかけに、大学卒業後は、フリーランスの“PR”を生業とする道を選んだ川畑さん。現在は、在学中の編集アシスタントとインターンでの“人”とのつながりから、関西を拠点としたローカルマーケティングや企業のSNS運用、PRディレクション、イベントの企画運営など幅広い業務に携わっている。
今年29歳になる川畑さんに、20代に駆け抜けたこれまでのキャリアとプライベートを振り返ってもらった。
きっかけはダメもとで送った一通のDMだった。

今の職業に大きな影響を与えてくれたのは、師匠であり、現在も大切なビジネスパートナーである金セアルさん。10年前、大学在学中に読んでいた彼女の雑誌の連載をいつも楽しみにしていた川畑さんは、当時、ちょうど流行り始めていたInstagramでセアルさんのアカウントを見つけた。
「実際自分が読んでいる連載企画を作っている人が、急にiPhoneの中から出てきたって感じで(笑)。彼女のことが気になっていつも投稿をチェックしていたら、実はアシスタントさんがいて、その方が当時の私と同じ年齢で、現役の大学生であることに気づいたんです。PRという仕事があることすら当時は知らなかったので、そんな世界があるんだ!と驚き、この業界に興味を持ち始めました。それで、思い切ってそのアシスタントの方にインスタでDMをしてみました。本当に緊張しました。でも、具体的にどんなお仕事されているのか、知りたくて。それから連絡を取り合うようになり、その方がアシスタントを卒業するタイミングで、セアルさんからアシスタントとして声をかけていただけたんです」
「働くための入り口って、一つ(就活)しかないの?」という違和感。

大学生活後半に差し掛かる頃、一斉に就職活動を始めていく周囲の先輩方を見ていて、キャリアをつくっていくための入り口が、“就活”しかないことに疑問を持ったという川畑さん。ちょうどその頃、セアルさんから声をかけられた。あの時DMを送っていなければ、現在の川畑さんの仕事は違うものだったのかもしれない。 現在の川畑さんの仕事で大きな軸となるのは、デジタルを通じたコミュニケーションデザイン。ユーザーに情報を届けるための適切な写真や文章の広告制作をはじめ、企業とインフルエンサーを繋ぐコミュニケーターとして、PR活動を行っている。 常にアンテナを張りながら、SNSで自分の興味を持った人がいたらフォローをし、DMをすることもあれば、イベントで素敵な人を見つけたら、声をかけてつながってみることもある。その行動力が、仕事をつなげていく。
「今の仕事の魅力は、一つの場所で得た知識や経験が、枝分かれして他の仕事にもつなげていけるところです。そうやって人脈がどんどん広がっていって、出会えると思えなかった人たちとつながっていくのは、この仕事ならではの面白さだと思います」
フリーランスの醍醐味は、遊びにも仕事にも垣根がないこと。

いい意味でも、プライベートと仕事の境目はなく、プライベートでインプットをし、仕事でアウトプットをしていく。週末という感覚もない。大学を卒業して、アシスタントとして仕事を本格的に吸収し始めた頃は、その生活に慣れずにいた川畑さん。2~3年が経ち、ようやく慣れ始めた頃にコロナ禍となってしまう。
「当時は不安定で深刻な社会のムードでした。でも、そもそも個人事業主をしている時点で私は不安定なので、どんな社会でも置かれている立場はそこまで変わりはなく、怖がりすぎずに過ごせていた記憶があります。でも、コロナ前までは、まだ仕事に対して変化にも挑戦にも怯えてばかりでした。そんな時、『わたしらしく働く!/服部みれい著/マガジンハウス』という本を読んで、 “仕事は自分を知る旅”というフレーズに感銘を受けたんです。完璧にしなきゃ、上手く見せないと、などプレッシャーを感じて足踏みしてしまっていたのですが、“経験さえできれば十分だ”とハードルを下げることにしたら、自分の中の小さな変化にも目を向けることができて、働くことを楽しめるようになりました。その言葉が、いろんな可能性を広げられると気づかせてくれたんですね。仕事は、自己成長をさせてくれるものだって」

学生時代には出会えなかった、仕事を楽しんでいる人たちとのつながりを得て、川畑さんも仕事を生き甲斐にしていきたいという気持ちが芽生えていく。その気持ちに比例するように、フリーランスとしての仕事も軌道に乗ってきた。また、環境を変えるため一人暮らしを視野に入れた時、当時付き合っていたパートナーと一緒に住むことも含めて相談したが、二人が描く未来が違っていることに気づいた。
自分が成長するきっかけを誰かに求めるのも違うと思った。

「同棲が環境を変えられるチャンスだと思っていたんですが、パートナーがいないと自分の環境を変えられない、というのは違うな、と気づいたんです。そこから結婚への考え方も変わりました。社会に出る時もそうだったように、周りがやっていることを同じようにしないと幸せになれないだとか、一人前になれないだとか、“やっぱり、それは違うよな”と思ったんです。それ以来、自分の幸せは自分で決めていこうと思えたんです」
うまく進まなかったということが学びに。

20代半ばを過ぎて、周りの友人たちが結婚していき、結婚や出産の報告を受けることが多くなった。それゆえ、自分でも結婚すること、出産することに対して深く考えることが増えたという。
「結婚していく周囲を見て、羨むことがあった時期ももちろんありましたが、自分の気持ちを噛み砕いていくと、結婚が羨ましいのではなく次のステップへと進む『成長している姿』が羨ましいのだと気づいたんです。仕事においても、恋愛においても、私は成長したいんだと(笑)」

「今思えば、結婚というかたちを意識するようになったのは高校生の時だったかもしれません。同級生にひとり親の人が結構いたことに驚いたことがあって。その時、家族のかたちは色々あるし、 結婚は必ずしもうまくいって続いていくものではないということを感じたんです。大人になって、いろんな人たちと繋がることになり、事実婚をされている方の話を聞く機会も増えて。その方々の話を聞いていると、苗字のこと、子どもが生まれた時のことなど、自分たちの選択にどんなハードルが待ち受けているのかを下調べをして、二人で生きていくことに対しての計画をしっかり立てている印象がすごくありました。そこには、お互いの個々の生き方を大事にした上で選んでいる感じがしたので、私自身もいろんな結婚のかたちがある時代だからこそ、一つ一つの選択を自分たちで考え、選ぶプロセスを大事にしていきたいなと思ったんです。もちろん、相手あってのことですし、出産する適齢期のこともあります。高齢出産も可能性としてはあるかもしれないので、卵子凍結という選択も考えていないわけではないですが、経済的な事情もあるため、まだ行動には起こせていません」
「ただ、妊娠したい、と思った時に“できる体の状態”をつくっておきたいという気持ちはあるので、子宮内フローラの検査を受けたり、普段もなるべく健康的であるように気を遣って生活しています。まだ若いんだから、とも言われるかもしれないけど、何歳であっても自分の体を知ることに対して特別扱いをする必要はないし、今ってきっと、そういう時代じゃないと思うので。興味を持ったらその気持ちを大切に、自分のことを、自分で知っていくことは自分にしかできないことだと思うんです」

視野を広げて、まだ見ぬ自分を探していく期間。
「先日、とっても久しぶりに海外に行ってきたのですが、まだまだ知らない世界がたくさんあると、改めて気付かされました。この数年で、自分の中でたくさんの気づきや発見があったように、“自分もまだ出会っていない、知らない自分がいる”のだと最近よく考えるんです。だからこそ、仕事でもプライベートでも、もっと冒険していきたい。仕事も出産も結婚も、自分が見つけた答えを持って選んでいきたいんです。例えば、あえて一人になって何かを始めてみるとか、行ったことのない場所へ出向いてみるとか。自分を感じる時間を増やしていくことで、きっと自分の引き出しも増えていく。もっと視野を広げて、柔軟な心で、自分で見つけた道を進んでいきたいと思っています」

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Profile
川畑若菜
1995年生まれ。地元、関西を拠点にフリーランスPRとして活動。強みはローカルに根付いたPRディレクションやデジタルマーケティング。2020年にエシカルコンシェルジュ資格を取得し、環境や社会に配慮したプロダクトPRに積極的に携わる。現在は、より自然に寄り添う取り組みの一つとして、長野での活動をはじめるなど活動の幅を広げている。