自分らしい“伝え方”があるとすれば? 長嶋りかこ×山瀬まゆみ
ことなるわたしたち
母親に至っていくプロセスを通して、社会に向けた眼差しを著書『色と形のずっと手前で』に綴ったデザイナーの長嶋りかこさん。連載「ことなるわたしたち」の今回は、昨年母になったファシリテーターの山瀬まゆみと、母親とキャリア、子育てと仕事との時間のバランスなどを語り合う。 対談の主となるテーマは、「母になること」であるものの、ふたりのやりとりから浮き彫りになったのは、子育ての過程で湧き出てる感情をどう外に出すのか、社会に伝えるのかーーという副題だ。 前編では、「なぜ、デザイナーである長嶋さんは本を出すことに至ったのか」から伺っていく。
性差によってできなくなってしまったことから見えてきたもの
山瀬まゆみ(以下、山瀬)_昨年出された本の内容に非常に共感しました。今1歳半になる娘がいるので、エピソードの端々で身に覚えのある事象がたくさん出てきました。なぜ出版されることにしたんですか?
長嶋りかこ(以下、長嶋)_仕事をしている分には、女性だから、男性だから、みたいなことはあまり意識してこなかったんですよ。むしろ、そんなに性の差ってないんじゃないかって思っていたんです。でも、自分が妊娠し始めてから、体の変化に伴って、物理的にできなくなってくることが増えてきて。その時に、性別によってできる、できないみたいなことがあるんだってことがだんだん分かってきたんです。 “女性だから”っていうことが身体的なものだけでなく、社会的役割としてこれまで仕組みが作られてきてしまったものもある。それは例えば社会的弱者って呼ばれている人たちもそう、障害のある人とか、病気を患っている人とか、子どもとか高齢者とか、そういう人たちの動線と妊婦の導線が一緒だったりすることで、これまでの社会がどんなふうに作られてきたのかを垣間見た気がしたんです。自分がこれまで気づかなかった、見えてなかった社会の“ある部分”が見えてくるようになった。それで、グラフィックデザイナーとして今自分に起きてることを捉えるとどういう風に発信できるのかなって考えるようになって。このことについて社会学者や小説家が綴った本はもう既に世の中にあるけれど、自分の生業を活かしながら私が本を書くとしたら? という文脈を大切にして、出版することにしました。
山瀬 _“グラフィックデザイナーとして”、そこがすごく伝わる本だと思いました。言葉遣い、表現をすごくビジュアル化していて、グラフィックデザイナーとして絶対的な何かがあるのかなっていうのを感じました。
長嶋_その意識はありました。例えば、こういうテーマの本を社会学者の人が書いたらエビデンスがあったり、理解しやすい文章になっていたり、資料性の高いものだったりしますよね。でも、私はあくまで自分の心の機微とか私が社会に向けた眼差しを書いたんです。グラフィックデザイナーだからこその言葉選び、レイアウト、文字の配列から言葉以上のものが醸せるようにすること、できる限りそんなことを意識はしていました。自分の背景を生かしながら言葉を出して形にしないと、この本に必然性が生まれないと思って。グラフィックデザインっていう視点でもこの本を捉えていましたね。
山瀬_ 私はまさに今、子育てに奮闘中なので、まだまだ妊娠中や出産時の記憶も新鮮というか、読んでいてすごく気持ちよかったんです。子育てを終えた母親や、子どもがいない姉はこの本をどう思うのかなって思って、貸したりもしました。たくさんの女性にこの本を読んで欲しいって。それでみんながどういう気持ちを抱くのか、その感想をすごく知りたくなる本でした。
仕事と子育ての両立は、仕事の量を減らすこと。キャリアと母親になることへの揺らぎ
山瀬_ 産前産後、あまりお休みをとられてないですよね?どのようにして子育てと仕事のバランスをとっていったんですか?
長嶋_基本的には仕事を減らしていく方向で調整するしかなくて。以前のように受けていたら子育てが成り立たないので、子育ての時間を軸にして合間で仕事するみたいな感じでしたね。産後は1ヶ月くらいしか休んでなかったけれど、復帰しても乳児期は特に両立とは程遠い状態でした。
長嶋_だから仕事の仕方も随分変わっていきました。まずは自分が手を動かす量をかなり減らして、言葉だけで伝えられるアイデアを渡したり、スタッフが手を動かす際の指針になるような考え方を渡すっていうスタンスにしました。私はもともと最後まで自分でも手を動かしてきたので、スタッフの裁量は部分的で、チームでやるからこそできるような仕事の仕方に苦手意識があったんです。でも子どもを産んだことで、もうそうせざるを得なくなって。今となっては組織としてデザインを回してくこと、そのやり方を覚えられたことは、子育てがあってこその副産物と思っています。逆に山瀬さんはどうされているんですか?
山瀬_ やっぱり減らすしかないですし、他に選択肢はなかったですね。私も長嶋さんと同様、1ヶ月ぐらい休んでから復帰をしました。実際、産まれたら想像していたことと全然違うし、仕事の流れがゆっくりになってしまう状況を徐々に受け入れていったって感じです。産後の働き方はすごく変わりましたし、気持ちも変わりました。私もそれはなんかいい変化だなと思っていて。妊娠中は、バリバリ働いている男性をみると、自分が業界から引き剥がされてしまうんじゃないかと、いろんな不安はありましたけど、今はそこまでないですね。
子育ては自己犠牲を伴うもの?
長嶋_今一緒に仕事している建築家に、子育ての傾向と対策を組むのがめちゃめちゃうまい女性がいて。彼女は自分が向いていること、向いていないことをはっきり自覚しているんです。例えば、自分の子どもがいつ泣く、泣きやすいのかっていうのを分析して把握していたので、その時間にシッターを頼んでおくんですよ。赤ちゃんが泣いちゃう時を過ごすのは不得意とわかっているから、人に任せて、自分は打ち合わせやら作業やら、仕事の時間に回す。仕組み化するのがすごいうまくて。でも私はそういうのがめちゃめちゃ下手くそなんです。それこそ赤ちゃんが泣いてたら、向いてる向いてないに関わらず、私が行ってあげないと可哀想って思っちゃったり、私の“親スキル”が積み上がらないんじゃないかってどこかで不安に思ってしまう。仕事をする、子育てをする、という境界線がうまく作れない。割り切れないから、仕事もしたいし育児もしたいしどっちも心から好きだけど、どっちも大変でどっちにも罪悪感が残ってしまう。そんなアンビバレントな心境を右往左往するような感じでした。
山瀬_今はお子さんも大きくなってきて、手離れすることも多くなったと思うんですけど、改めて、著書でおっしゃっていた“子育ては自己犠牲なのか”という問いに対しては、どう思われてますか?
長嶋_少しずつ手が離れていくことで、自分の時間もまた少しずつ戻ってきていることは確かではあるし、子どものことは大好きだし、育児によって知らなかったことを知った部分が大いにあります。子育て以前の自分の眼差しには戻れない程得たものはありますし、そうやって子育ての機会によって自分に与えてもらった部分が大きいです。そうわかっていても、やっぱり犠牲にしてる部分があると感じることはあります。けどそれは社会の変化が必要な部分で、それで大いに変わることだと思います。子どもは何ひとつ悪くないし、子どもを取り巻く環境や社会が子どもを育むためのものに変化すると、こうして母親が罪悪感に苛まれたり、自己犠牲を感じずに済むんじゃないかと思います。
やっぱりこう、“諦める”って言葉が出てきちゃうんですよね。物理的にやらなきゃいけないことが子育てには明白にあって。それを誰がするのかという認識が、”みんなでする”という前提だったらこんな気持ちを抱く必要もないんだろうなと。みんな、は誰なんだと言ったら、それは父でも母でも血の繋がりがない人でも誰でもよいと思うのだけど、そんなおおらかな前提でもないから、“私だけが仕事や自分の時間を諦めるしかない感”が出てきてしまう。ただそんな風に社会の変革を待っていても苦しいので、私自身は今のこの状況を生かしてできる仕事や育児をしていますが。
子育てにおいての役割がもっとフレキシブルになればいい
山瀬_ 私のパートナーは会社員で、私はフリーランスなんです。なので、例えば、不測の事態で子どもを保育園からお迎えに行くという時は、融通の利く私の時間になりがちで。でも、融通を利かせなくてもいい時間も、私の時間は子育てに絶対的に割いている。あれ?って思っても、もうなんか、そこに関しては諦めている感覚に近いというか。
長嶋_わかります。私は息子が3歳になる頃にシングルになって物理的なマンパワーが足りなくなったので、めちゃめちゃ大変でした。ただ、物理的な大変さは仕組みで少しずつ解決していきました。自分がやらなくても良さそうな部分を手放すために家事手伝いの人を入れたり、仕事の時間を確保したくて事務作業を手放すために、バックオフィスのスタッフを入れたり。仕組みづくりをしていったんです。
育児する上では、むしろ1人の方が楽だなとは思える場面もあって。それは、家の中での方針がぶれないことでした。母親である私は息子に余白をあげて本人から出てくるものを待ちたいタイプで。父親は逆で余白を既存のモノやコトで埋めていきたいタイプ。それが育児方針の違いとなりすれ違いにもなっていったんですけど、シングルになったことで“ママはこう考えている”をよりシンプルに伝えることができる。ただ同時に育児には正解がないので、私が正解とは限らない。だから、“ママの考えとパパの考えは違うから、あなたはどう考えるかあなたが選んでね”と話しています。
山瀬_ 私のパートナーは、子どもに泣かれることを恐れているというか。自分の恐怖心を埋めるために、泣かせないよう大泣きする前にスマホを渡してしてなんとかしようとするんですよね。長嶋さんが言ってる、埋めている感覚にももしかしたら近いのかもしれません。でも私からしてみたらその場凌ぎにしかみえなくて。だって、そういうことをやっても子どもはすぐ飽きちゃうじゃないですか。なので、その都度、話し合ってはいるんです。
長嶋_都度話し合いがちゃんとできるなら、お互いのすり合わせができていいですよね。
山瀬_長嶋さんはシングルになって、生活スタイルはどう変わっていきましたか?
長嶋_最初は本当に大変だったんですが、息子が大きくなったこともあり、父親の家に月曜と金曜、息子が泊まりに行くようになったので、私自身にも時間が増えました。
山瀬_息子さんにはどうやって伝えたんですか?
長嶋_息子には、大きくなるにつれて少しずつ“パートナーとは何か”って話をするようになって。考え方が違ってもお互いを支え合ったり歩み寄ったりすることは可能だと思うのだけど、それができないとパートナーでいるのは難しくて、それは家族も同じ。パートナーという形も家族という形も、誰とどんな形を作りたいかっていう“意思”なんだよと話しています。だからいろんな形があって、パートナー同士で子どもを産む人もいれば、パートナーがいないけど子どもがいる人もいるし、血のつながりがない親子もいたり、いろんな形があるんだよ、と。それはきっと息子がいつか、普通って何?って思うときがあるだろうから。その時に一人で抱え込んでほしくないし、私と息子の関係を風通し良いものにしておきたいなと思って。私自身の考えや気持ちを話すようにしていますし、息子が自分の言葉で自分の気持ちを私に話せるようフォローしているつもりではあります。
親子の関係って、本当に今いろんな形があると思うんですよね。私は今の生活に慣れていろんな人の手を借りながら生活を回せるようになって、本当に居心地いいなって思うようになってきたんです。この状況を、ポジティブに自分が捉えられるようになった。この状況だからこそ出来るいい人間関係やいい仕事やいいことがある。そんな「快」の部分をたくさん見つけられるようになってきて。息子がいつか保守的で強固な一般論にぶち当たった時のために、息子には少しずつ、いろんな価値観やいろんな形を知っておいてもらいたいと思っているんです。
――後編に続く
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Profile
長嶋りかこ Rikako Nagashima
1980年生まれ。2014年にデザイン事務所〈village®〉を設立。ビジュアルアイデンティティデザイン、サイン計画、ブックデザインなど、視覚言語を基軸としながら活動し、対象のコンセプトや思想の仲介となって視覚情報へと翻訳する。これまでの主な仕事に「札幌国際芸術祭“都市と自然〟」 (2014)、「 東北ユースオーケストラ」(2016-)、「アニッシュカプーアの崩壊概論」(2017)、ポーラ美術館の新VI計画 (2020)、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館「エ レメントの軌跡」(2021)、「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 12122020」(2021)、ウェンデ. リン・ファン・オルデンボルフ「したたかにたゆたう」(2024)などのデザインを担当する。2018年に出産をし、育児とデザインの仕事の両立の困難さから見えてくる社会のへの眼差しを綴った初の著書『色と形のずっと手前で』を村畑出版より出版(2024)。書籍は〈village®〉のオンラインショップ、書店にて販売している。
山瀬まゆみ Mayumi Yamase
1986年東京都生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、高校卒業と同時に渡英。ロンドン芸術大学、チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ&デザインにてファインアート学科を専攻。現在は東京を拠点に活動する。抽象的なペインティングとソフトスカルプチャーを主に、相対するリアリティ (肉体)と目に見えないファンタジーや想像をコンセプトに制作する。これまでに、東京、ロンドン、シンガポールでの展示、またコム・デ・ギャルソンのアート制作、NIKEとコラボレーション靴を発表するなど、さまざまな企業との取り組みも行っている。