「雑誌の図書館」で歴史をたどる朝 haru.×後藤哲也【前編】
月曜、朝のさかだち
第9回の『月曜、朝のさかだち』では、グラフィックデザインの実践と研究をされている後藤哲也さんをゲストにお迎えし、日本で初めての「雑誌の図書館」こと『大宅壮一文庫』にお邪魔し、雑誌探索を行いました。これまでに発行されてきたさまざまな雑誌を見ながら、雑誌やグラフィック、流行などの歴史を辿り、いろんな発見を得た2人。そんな2人は後藤さんの書籍で取り上げていた韓国のデザインについてや、グラフィックデザインとの出会いについてお話いただきました。
雑誌の図書館で感じた表現の歴史
haru._『月曜、朝のさかだち』本日のゲストは、グラフィックデザインの実践と研究をされている後藤哲也さんにお越しいただきました。普段は大阪を拠点にされているんですよね?
後藤哲也(以下:後藤)_大阪でデザインと研究をしたり、大学で教えるということをしています。
haru._幅広い活動をされていますね。今までこの番組は私ともともと交流のある方が来てくださることが多かったんですけど、今回は私たちが一方的にオファーさせていただいて後藤さんに来ていただけることになりました。そのきっかけになったのが、2022年に後藤さんが発表された『K-GRAPHIC INDEX 韓国グラフィックカルチャーの現在』*①という本なんです。私がもともとK-POPが中学生ぐらいから好きで、そこからK-POPのグラフィックデザインも好きになって、アルバムとかも買っていたんですけど、周りのクリエイターにもそういう人が多くて、この本が刊行されたときに私たちの間で話題になったんですよ。そこから後藤さんのことを知りました。
後藤_ありがとうございます。
haru._最近では21_21 DESIGN SIGHTで行われてた企画展『もじ イメージ Graphic 展』*②でディレクターも務められていたので、それで知っている方もいらっしゃると思います。今日私たちは、いつものようなアクティブな活動ではなく、『大宅壮一文庫』*③という日本で初めて設立された雑誌の図書館に行ってきました。ここは後藤さんに提案していただいたのですが、なぜ朝活にここを選んでくれたんですか?
後藤_これまでの朝活を見させてもらったときに、運動系が多い印象だったので、初めは皇居の周りを歩くとかも考えたんです。普段大阪に住んでいるので、東京の行ったことない場所に行きたいなって思っていて。その1つとして大宅壮一文庫もよく東京のライターが調べ物をするときにここに行くというのを聞いていて、行ってみたかったんです。あと、自分自身が雑誌カルチャーで育ってきたこともあるし、『K-GRAPHIC INDEX 韓国グラフィックカルチャーの現在』も雑誌で連載していたものを急遽まとめたという経緯もあって、雑誌に関係してるし見に行きたいなと思って提案しました。
haru._いかがでしたか?
後藤_思ったよりもこじんまりしてましたね。でも、奥に行くと地下があって、めちゃくちゃ蔵書がありました。大宅壮一さんの本棚をそのまま活かして使われていたのがかなり面白かったです。
haru._全く同じこと思ってました(笑)。すごかったですよね。毎月雑誌が増えていくそうで、管理が大変っておっしゃっていましたね。
後藤_自分が雑誌に書いた記事があるのかなと思って検索したんですけど、いわゆる週刊誌や大衆誌みたいなものが多くて。専門誌があるのか聞くと、世を記録する雑誌が多いとのことで、その辺を知れたのも面白かったですね。
haru._私も今まで取材していただいた媒体をパソコンで検索できて、『anan』とかマガジンハウスの雑誌とか、そういった大きな雑誌の記事が多かったですね。
後藤_創刊号や準備号みたいなものもあって面白かったですね。
haru._準備号面白かったですね。まだタイトルが決まりきっていなくて、表紙のデザインに◯や?が書いてあって、雑誌名募集中みたいになってました。
後藤_多分あれでスポンサーを募ったりしていたんでしょうね。
haru._とにかく蔵書の量が半端ないんですけど、その中でも後藤さんは『宝島』*④という雑誌のアーカイブをご覧になりたいとのことでしたが、なんでですか?
後藤_特に深い意味はないんですけど、昔の雑誌で、しかも時代によって変遷があって、バンドブームのときはバンド中心で、それ以前はもっとサブカルチャーを特集しているんですよね。今のアニメとかを指すサブカルチャーではないサブカルチャーを『宝島』の前身である『WonderLand』とか『ビックリハウス』が中心となって発信していたのを聞いていたので、その辺を見れたらいいなと思っていました。自分が当時読んでいたであろう号を出してもらって読んでみるとやっぱり感慨深いし、こんな情報量たっぷりなんだってびっくりしましたね。
haru._懐かしいっていう感じなんですか?
後藤_そうですね。年齢の問題なのか、90年代ぐらいまでのものは懐かしく感じるんですけど、2000年代のものはつい最近の感じがしました。もう20年ぐらい前のものなんですけど、そんなに昔の感じがしなくて面白いというか、変な気持ちでしたね。
haru._広告が面白いっておっしゃってましたよね。
後藤_今だと広告って1ページに1つとかですけど、昔の雑誌は広告がいっぱい入っていたので、1ページ内に細切れになっていたり、連載の小さなスペースにも入っていたり、そこに載っているものは今では売っていなかったりするんですよね。前に大学の学生に2000年代くらいの『STUDIO VOICE』を見せたら、一発目にタバコの広告があって、学生たちは衝撃を受けていましたね。それと近い感覚を僕も持っていて、1970年代の雑誌を見るとレコード針の広告とか、結構ギリギリだなっていう広告があったりして面白かったです。
haru._今だったらアウトだろうなみたいなものも結構たくさん見せてもらって、身体の扱いとかもすごく違うなって思いました。ヌードを題材にしたテキストやグラフィック、写真もすごく多くて、今でもそういう特集があったりするけど、見せ方の幅が広かったです。
後藤_やっぱり雑誌は広告含めて残っているのが面白いなと思っているので、それが見れたのはよかったですね。昨日東京にきて、『中平卓馬*⑤ 火―氾濫』展を見にいったんです。基本的には雑誌に掲載された中平卓馬の連載記事とかの印刷物をベースにした展示だったんですけど、記事広告になっているもののクオリティが高くて驚きました。僕自身が今、新しいことよりも昔のことに興味があるっていうのもあるんでしょうけど。
haru._私は学生時代にインディペンデント誌を作り始めたんですけど、広告を入れることをずっと避けてきたんです。広告を入れることがすごくダサいと思っていたんですけど、今日いろんな雑誌のアーカイブを見たら、広告の見せ方もすごくユニークで、少しだけ考え方が変わりました。
後藤_現時点の点で考えると、広告はやっぱりないほうが、自分が作っているものに純粋さが保てるって思うんですけど、後のことを考えると、やっぱりあると面白い。デザイン雑誌を見ていても、今だと全然いらないものが載っていたりして面白いんです。今のデザイナーが必須で持っていないようなものが、当時は必須だったりする。載っているものが全然違うっていうのは面白いです。
haru._「最新です!」って載っていたヘッドフォンみたいなものも、今の私たちには使い方すらわからなかったりする(笑)。
後藤_僕が見たのだと、すごくでかいビデオカメラをハンディーカメラみたいな感じで持ってるけど、めちゃくちゃでかいなって思いました(笑)。当時はこれでも小さかったんだろうなって。
haru._でもやっぱり、雑誌だからこういう形で残っているんだなっていうのは本当に思いました。私たちもこうやってPodcastをしたり、いろんな媒体やSNSで表現しているけど、高校時代に『ELLE girl』で書いてたブログも、『ELLE girl』がブログをやめることになったときに、全部消えてしまったんです。やっぱり紙って特別だなって思います。
後藤_1990年代から2000年代の情報って結構ごっそり抜けてそうな感じがしますよね。プラットフォームがなくなったらもうなくなりますしね。
haru._なくなりましたね。当時はInstagramも流行り始めた時期で、まだクラスのみんながやってるわけではない頃。
後藤_そういう意味では、雑誌はやっぱり残るっていうのをつくづく思いますね。周辺情報も含めて、残るのが面白いですよね。
グラフィックデザインとの出会い
haru._そうですね。だから雑誌を作ることを続けたいなって思いました。後藤さんも含めて、グラフィックデザイナーの方たちって、雑誌や音楽、いろんなカルチャーから影響を受けている方が多いのかなって思っているんですけど、後藤さんがデザイナーになったきっかけを教えてください。
後藤_僕はそもそも、デザインの教育を受けていなくて。大学まではイギリスの音楽が好きだったので、将来はイギリスに住みたいなって思っていました。それ以外は特に何も考えていなくて、大学も語学の学校に行ったんです。だけど、音楽に付随して、好きなミュージシャンがアートスクール出身だったり、アルバムのCDジャケットが面白いとかで、デザインを見てたりしていました。デザイン雑誌も、自分がやるわけではないけど、雑誌の1つとして結構買っていたんです。そんな感じで過ごしていて、大学卒業時にイギリスにいざ行こうと思ったときに、せっかく英語を学べる大学に通ったのに、またイギリスで語学の学校に通うってなったら親に怒られそうだなと思って、デザインや映像を勉強するていで行こうと思いついたんです。一年で修了できる専門学校みたいな所に行ったら、初歩的なことを学ぶ授業の一貫でデザインの授業があって、デザインを学び始めました。当時は、同級生やロンドンに住んでる日本人に「お前が作ってるのめちゃくちゃ好きだよ」みたいなことを言われて舞い上がっていたんです(笑)。今考えれば大したことなかったと思うんですけど、みんな褒めるカルチャーだし、それまであんまり褒められてこなかったのもあって、「褒めてもらえるってことは、できるんじゃないかな」と思っていました。当時は90年代半ばとかだったので、業界がアナログからデジタルに切り替わったぐらいだったんです。だからMacとかでIllustratorが使えればとりあえず仕事ができるみたいな時代だったんで、なんとなくぬるっと入ったっていう感じですね。だから今やっている、教えたり、展示をしたりするのは、申し訳ない気持ちもちょっとあります。もちろん自分では勉強してますけど、学校で勉強っていう意味ではしてないので。
haru._イギリスで褒められる体験がなかったら、もしかしたらデザイナーになっていなかったかもしれないですね。
後藤_そう。その時、デッサンの授業もあって、一発目のデッサンではめちゃくちゃ褒められて、「自分には能力があるのかな」と思ったら、実は先生が違う風に解釈していたみたいで。2回目の授業からは全然ウケなくて、こっちは無理だって思いましたね。本当は映像をやりたかったんですけど、学校の機材がショボすぎて、これじゃ映像の仕事はできないなって思って、やらないでおこうって思いました。
haru._ミュージックビデオとか作れたら音楽にも近くなりますもんね。
後藤_もともと福岡出身で、大学で大阪に行って、イギリスに住みたいってずっと憧れてたんですけど、東京に住みたいって思ったことが一回もなかったんです。初めて東京に行ったのも、たぶん25、6歳だと思います。興味がなかったわけじゃないんですけど、行くっていう感じでは全然なくて。謎にイギリスに住むっていう目的があったので、イギリスを選びました。ロンドンで仕事ができればいいけど、たぶん大阪か福岡に帰るんだろうなって思っていたんです。当時は映像だと東京じゃないと無理かなって思って諦めて、仕事を選ばなければどこでもできると思ったグラフィックをやろうと決めた感じでした。
haru._関西はグラフィックデザインが盛んなんですか?
後藤_歴史を見ると、もともと関西には百貨店文化があったり、もっと昔を辿ると、関東大震災のときに一時的に大阪が日本で一番人口が多かった時があるんですよね。そのときの経済繁栄が戦後にもギリギリ残っていたみたいで、日本のグラフィックデザイン界の最初のレジェンドたち*⑥ って、関西の人が多いんです。田中一光さんとか、横尾忠則さんとか。もともと文化としてはあると思うんですけど、それはやっぱり経済状況もあると思います。今同様のカルチャーが関西にあるかっていうと、地方都市の大きい版くらいの感じかなと思いますね。
haru._でもこの間、ルクア大阪にトークイベントで行ったときに、すごく賑わってたんですよ。東京でもPARCOとかだと人は多いですけど、ルクア大阪もすごく人が多くて、みんなおしゃれを楽しんでる感じがすごくあったので、スタッフさんに聞いてみたんです。そしたら全国の百貨店のなかで売り上げが上位らしくて、すごく栄えてるイメージがあります。
後藤_面白い見方ですね(笑)。僕らが若い頃って、今のルクア大阪があるエリアってあまり若者が遊びに行く場所じゃなかったんです。再開発もあったし、今の若い子の多くはたぶんアクセスがいい方が良いんだろうなって思います。今でもそういう子はいると思うんですけど、僕らの時代は人が知らない裏にあるお店とかを好きな人が多かったんです。今はそういうのよりも、京都や神戸、大阪の子たちは、JR大阪駅に行ったら大体全部のメジャーブランドが揃っているから、一周して帰るみたいになっているんだろうなって思います。それが栄えてる理由の1つかもしれないです。よっぽど誰も持っていないものを探すとかじゃなければ、そこで全部揃うので。
haru._私もその日、ルクア大阪に行って、そのまま東京に戻ってきちゃいました。
後藤_それができる感じですよね。
「自分たちが興味を持っているものを紹介したい」
haru._後藤さんは主に東アジアのデザインを研究されていると思うのですが、アジアに着目したのはなんでだったんですか?
後藤_もともと興味があったわけではなかったんですけど、日本タイポグラフィ協会*⑦という、文字のデザインに関する協会の広報誌の編集を、奥村昭夫さんというグリコのロゴを作った関西のデザイナーの方を中心に大阪でやろうという話が出たんです。そのときに若い世代を集めた編集チームを作ることになり、2011年から2年間参加することになったんです。協会自体も高齢化しているのもあって、若い世代に会員になってもらおうっていう先生の意向もあったんだと思うんですけど。それで協会に入ったときに、僕らはデザインはできるけどライターのプロでもないし、どうしようかってなっていたんです。それまでの冊子は、同好会が絵葉書を作ってるみたいな感じで、僕たちはそれの高度バージョンを作るとかはしたくなくて。どうせならまだ紹介されていない、自分たちが興味を持てるものを紹介した方がいいよねとなり、アジアのデザインに着目しました。当時はアジアのデザインが今みたいに雑誌で紹介されることもなかったし、『アイデア』*⑧っていう雑誌で韓国特集が2004年にあったのと、中国のブックデザイン特集があったくらいで、それ以外はほとんどなかったんです。
その当時僕は会社に勤めていて、印刷の立ち会いとかでマレーシアに行ったり、シンガポールの会社とやりとりしたり出張することが多くて。シンガポールは特に面白くて、1人知り合いができると、街が狭いので、どんどん知り合いが増えていくんですよ。その人たちの話を聞くと、「こういうデザイン会社で働いている」とか「こういう雑誌をやってる」とかっていう人たちが集まってくる状況を見ていたので、協会の広報誌でもシンガポールを掘り下げるのがいいんじゃないかみたいな話をしていました。その前に一発どこか行ってみようってなったときに、一番近い韓国にしようかとなったんです。当時は韓国のデザイナーを誰も知らなかったので、リサーチし始めたのがきっかけですね。2011年当時は、日本で『冬のソナタ』のブームが終わって、少しずつみんなが今まで食べてこなかったような韓国料理を食べ始めた頃だったかなと思います。韓国映画が面白いみたいなのは少しずつ出てきたように思いますが。
haru._K-POPもちょっと落ち着いて、少女時代が頂点みたいな感じだった気がします。
後藤_そうですね。当時30代ぐらいの僕らからすると、旅行で行ったことあるけど、K-POPカルチャーはあまり通らない感じだったので、正直韓国カルチャーはあまり知らなかったですね。そこからいざ韓国に行くってなって、奥村さんの知ってる韓国のデザイナーや、僕らがリサーチして見つけた若い世代のデザイナーとか、3日間でめちゃくちゃ人に会いました。そのときはソウルのデカさを知らなかったので、めちゃくちゃに取材を入れてしまって(笑)。会っていくなかでめちゃくちゃ面白いんだなって衝撃を受けたんですけど、どこかに反日感情とかあるのかなって思っている自分もいて。取材を終えて日本に帰ってきた翌日ぐらいに東日本大震災が起こって、僕は大阪にいたんですけど、取材をした韓国の人たちから「大阪だから違うと思うけど大丈夫か?心配になってメールした」っていうメッセージがたくさんきたんです。当たり前のことですけど、普通に人間として熱めのコミュニケーションをするんだなって思いました。一般的に聞くような日本への感情と違うものがあることに、それで気づいたんですよ。だから最初は取材へ行くときに、歴史問題とか出たら、どうやって対処するかとかをめちゃくちゃ打ち合わせしていきましたけど、実際はそういった話は一切出なかったです。
haru._私も最近、韓国のクリエイティブチームとお仕事をしたりすることが多いんですけど、本当にみなさん歓迎してくれるし、暖かいですよね。
後藤_それは音楽系ですか?
haru._そうですね。もともと『YGエンターテインメント』*⑨にいて、今独立されてファッションや音楽のクリエイティブをやってる人たちと関わっているんですけど、かれらが日本に来るたびに「会いましょう」って言ってくれます。気持ちとかもすごく伝えてくれるので、日本のチームとやるときよりも、何を考えてるかわかるんです。
後藤_僕も韓国にいる様子をInstagramにあげたりすると、「お前来てるのか!?」みたいな感じで連絡が来ます(笑)。今回はあまり予定を入れないで、2人ぐらいと会うくらいにしておこうと思っても、結局全部埋まっちゃうみたいな(笑)。自分が仲間に入れてもらってる感じが楽しくていいですよね。
haru._「なんで連絡しなかったの!?」って来ますよね(笑)。スピード感も日本と本当に違ってて。
後藤_よく言うパリパリ文化みたいな。
haru._パリパリ文化って本当なんだなって思いました。
後藤_めちゃくちゃ速いですよね。日本のインターネットの遅さに怒ってました(笑)。
haru._私たちは撮影を一緒にしたんですけど、日本だと撮影データって大体1、2週間後くらいに送られてくるんですけど、それって割と普通な方なのに、韓国のチームは「今日もらえますか?」って感じで(笑)。私たちも初めて一緒にやったときはびっくりしちゃったけど、「ハードディスクごとくれたらいいから」って感じで、本当にカルチャーが違うなと思ってびっくりしました。
後藤_ある意味ではかなりせっかちで、それが常態化するとしんどいかもしれないですよね。たまにだからいいですけど(笑)。
haru._でもあっちではそれが普通ですからね。すごく早いし、それが強みだと認識しているし、むしろそうしないとこの業界ではやっていけないよっておっしゃってる方もいましたね。
後藤_その裏側にはたぶん、競争社会があるから、どんどん早くしないといけないっていうのもあるんでしょうね。
haru._とはいえ、結構協力体制もあるなと思っていて。このプロジェクトにはきっとあの人の方がいいからって外の人に声をかけたりしている姿もありました。
後藤_東アジアに限らず、アジアはやっぱり紹介カルチャーが強いなって思いますよね。だからこそ『K-GRAPHIC INDEX 韓国グラフィックカルチャーの現在』も作れたなと。元からそういうつもりだったわけではないですが、スルギ&ミン*⑩とナ・キム*⑪っていうデザイナーがかなり業界のゲームチェンジャー的な人たちで、僕がたまたまかれらと仲良かったのもあって、かれらが出てくれるのであれば協力するっていう人も多かったのかなと思います。ただ韓国デザインを全部紹介しますみたいな本だったら載りたくないなっていうのもあったと思うので。
書籍に込めた遊び心溢れるフック
haru._先ほど紹介した『K-GRAPHIC INDEX 韓国グラフィックカルチャーの現在』では、デザイナーへのインタビューや作品解説がされていますよね。
後藤_グラフィックデザインスタジオの紹介がほぼ中心っていう感じですね。
haru._すごく面白いなって思ったのが、掲載されている作品は既にInstagramやホームページで公開されているものなんですけど、プラスアルファでこの本のためにカセットテープのオリジナルデザインも掲載されていますよね。それを見るのがすごく楽しかったです。
後藤_若い世代のデザイナーのほとんどはカセットテープの世代じゃないから、作ったことがないと言っていて。韓国のデザイナーは日本よりも意識的に作品をInstagram等に載せているなと思うんですけど、作品って出た時点で古い情報になってしまいがちだから、新しいビジュアルを見つけるためにInstagramを活用することが主流になっていると思うんです。既に発表されている作品たちだけを本に掲載するのは、まずいなと思い、ここでしか見れない作品を載せようと思い、お願いすることにしました。音楽カルチャーも混ぜたいなっていう思いもあって、パク・ダハムっていう日本のクラブカルチャーとも繋がりの強いDJと知り合いだったので、彼にミックステープを作ってほしいとお願いし、そのカバーになるデザインをスルギ&ミンとナ・キム以外のみんなに作ってもらったんです。みんながみんなK-POPを聴いているわけじゃなく、本の後半にデザイナーからの感想を載せたページがあるんですけど、そこでも「こういうのを聴いていると気が狂うから、K-POPを聴くのは異常なテンションを出したいときだけ」みたいな人もいて面白かったですね。
haru._私も中学生の頃からK-POPはずっと好きなんですけど、イヤホンで聴いたりはあまりしないですね(笑)。ライブで楽しむために予習するっていう感じが多いです(笑)。
後藤_本自体は『アイデア』に連載していたものをまとめたんですけど、その際に編集者の人とやっぱりフックとなるものが欲しいから、韓国ドラマや映画、K-POPのデザイナーも入れようという話になって、僕が知っていたK-POPのデザインをしている人や『SMエンターテインメント』*⑫ の人、『プロパガンダ』*⑬という映画やドラマのビジュアルデザインをしている人たちにも取材をしました。
haru._私もクリエイティブが好きなので、Instagramで描くアーティストやデザイナーをフォローして見ていたんですけど、こうやってまとまって系譜とかが分かるとすごく面白かったです。
後藤_とはいえ、韓国のデザイン業界にもいろんな層があって、これはあくまでも僕が見て面白いなと思った人たちを集めたもので、もっと広告をやっている人もいます。
haru.さんと後藤さんの対談は後編に続きます。後編では、音楽産業の変遷やインディペンデントデザインスタジオの活動、2人が本や雑誌を作る理由、後藤さんの今後の活動についてたっぷりとお話を伺いました。そちらもぜひ楽しみにしていてくださいね。
それでは今週も行ってらっしゃい。
後藤哲也さんに聞きたいコト
視聴者さん、読者さんから集めた「ゲストに聞いてみたいこと」にお答えいただきました。今後も『月曜、朝のさかだち』に遊びに来てくれるゲストのみなさんに聞いてみたいことを募集しているので、ぜひORBIS ISのSNSをチェックしてみてくださいね!
Q.好きな言葉はなんですか?
A.特に座右の銘や好きな言葉はないのですが、嫌いな言葉はあります。「つまり」とか「要するに」という言葉は使わないようにしています。
Q.影響を受けたクリエイターを教えてください
A.作風などでなく、現在の活動に影響を与えたという意味では、奥村昭夫さん、浜田武士さん、Sulki & Minという人たちになるでしょうか。彼らとイベントやメディアづくりをご一緒させていただいたことが、今の活動につながっています。
Profile
後藤哲也
グラフィックデザイナー。近畿大学文芸学部文化デザイン学科 准教授、大阪芸術大学デザイン学科客員教授。Out Of Office代表。グラフィックデザインの研究と実践に取り組み、研究では主にアジア地域のグラフィックデザインをリサーチ。実践では主に文化生産にまつわるデザインと展覧会制作を行っている。主な書籍に『K-graphic index : 韓国グラフィックカルチャーの現在』(グラフィック社)、『YELLOW PAGES』(誠文堂新光社)などがある。