不忍池でボートを漕ぐ朝 haru.×柴田聡子【前編】
月曜、朝のさかだち
『月曜、朝のさかだち』シーズン2、第10回目のゲストはシンガーソングライター・詩人の柴田聡子さんをお迎えしています。この日の朝活は、上野恩賜公園内にある不忍池でボートを漕ぎました。「池に落ちるのが怖い」と話す柴田さん。始めはボートを漕ぐのに苦戦する二人でしたが、徐々に慣れていき、haru.さんが漕ぎ出すと猛スピードで池の端まで進んでいきました。進んでいくボートが風を切り、「気持ちいい」と楽しむ二人。ボート上でも「お金をいくら出されたらこの池に落ちれるか」というテーマで盛り上がり、あっという間に仲良くなっていました。

朝活を終えた二人は、いつもの収録場所ではなく、台東区谷中にある『HAGISO hanare』に移動し、美大へ通った二人が感じた学生時代の葛藤、学生時代にやっておくべきこと、最新アルバム『Your Favorite Things』*①、バンドメンバーやチームを牽引する際の自身の役割など、たくさんのトピックについてお話しいただきました。
本編へ進む前に、まずは視聴者さん、読者さんから集めた「ゲストに聞いてみたいこと」にお答えいただきました。今後も『月曜、朝のさかだち』に遊びに来てくれるゲストのみなさんに聞いてみたいことを募集しているので、ぜひORBIS ISのSNSをチェックしてみてくださいね!
柴田聡子さんに聞きたいコト
Q.柴田さんが今年の夏に聴いているヘビロテソングはなんですか?
A.Beyonceの「COZY」です。
Q.柴田さんが迷ったとき・悩んだときに思わず開いてしまう本はありますか?
A.白川静さんの「字通」です。
Q.ライブ会場が大きくなるにつれてライブに対しての気持ちに変化はありましたか?
A.会場の大小ではあまり変わらないけれども、年々こうしたいなと思うことは増えてはいます。

恐怖と楽しさが入り混じる朝活
haru._柴田さんのことはずっと前から存じ上げていたんですけど、昨年リリースされたアルバム『Your Favorite Things』があまりにもかっこよくて、一曲目からすごく衝撃が走ったんです。こんなにかっこいい音楽を作られている方だったんだと知り、そこで初めてしっかりと柴田さんの音楽を聞かせていただきました。もっと早くお呼びすればよかったと後悔もありました…。そこから柴田さんのことを知っていくうちに、どんどん気になる存在として私のなかに蓄積されていき、今回ついにお声がけさせていただきました。
柴田聡子(以下:柴田)ありがとうございます。
haru._今回の朝活は、不忍池でボートを漕いできました。久々の遠征だったんですけど、実は柴田さんと私が同じ大学出身という情報を耳にしたんです。私もそうですけど、東京藝術大学というと、上野のイメージをみんな持っているんじゃないかなと思い、上野探索みたいなことを柴田さんとしたいなと思い行ってきました。
柴田_怖かったけど、楽しかった…でも本当に漕げなかったですね。
haru._柴田さんが「こう見えて本当に怖がりなんです」とボート上で打ち明けてくれましたね。
柴田_そうなんですよ。ああいうアクティビティ的なものには勇気が本当に出なくて。人生規模で、「人生かける」とかはよく考えずに勇気が出るんですけど(笑)。ボートとかシュノーケリングとかは本当に怖いです。
haru._私たちがボートを漕ぎ始める前に、ボート乗り場のお兄さんが「立ったら横転しますよ」って何度か注意喚起をされたんですけど、途中で漕ぐ役目を交換しあったりしていたのですが、そのときに座る位置を変えないといけないから、それが一番怖かったですね。
柴田_とにかくバランスを崩さずに私とharu.さんの位置を変えないといけないのが怖すぎました(笑)。あとは「何万円もらったらここに飛び込めるか」という話もしましたね。
haru._私は100万円もらったら飛び込めるなと思ったんですけどね。
柴田_私は1億円でもまだ踏ん切りがつかないかもしれないです…(笑)。
haru._そこで柴田さんの恐怖心が本物なんだなと思いました(笑)。でも無事に落ちずに戻ってこれましたね。初めての共同作業でした。
柴田_本当ですね!いきなり一緒にボートを漕いでいただいてありがとうございます。

美大に通った二人が感じた当時の葛藤
haru._柴田さんは学生時代はどんな学生でしたか?
柴田_何も成し遂げられない学生でしたね(笑)。
haru._ご出身は札幌ですよね?そこから映像を学ぶために東京へ来たんですか?
柴田_そうです。札幌から出たかったというのも大きかったですね。
haru._でも、美大で映像を学ぶっていうのは、柴田さん自身が選択されているという印象を受けます。
柴田_そのときに私が持っていた映像に対する印象ってすごく解像度が低かったんです。ミュージックビデオが文化として花開いていた時期だったので、ミュージックビデオを作りたいなと思い武蔵野美術大学に入ったんですけど、しっかり映像の歴史から始まったんです。カメラ・オブスキュラ*②を作るみたいなところから始まったので、なんだかすごいところに来てしまったなと当時は思っていましたね。今思うといろんなことを知れてよかったなと思います。
haru._私は学部止まりなんですけど、柴田さんは武蔵野美術大学から、東京藝術大学の大学院に進学し、さらに深く映像の勉強をされたんですよね?
柴田_でも、大学院に行ったのは、「学部のときに何も成し遂げられなかったのに、それで社会に出てもな…」みたいなところもあったと思います。なら、もう少し長く制作を大学で続けられるのであれば、それがいいかなと思って進学したというところが正直なところでした。だから、あまり褒められた学生じゃないと思います。
haru._でも、美術大学で学んでそのまま社会に出ることってかなりハードルが高いことだなと感じています。私もそうだし、同級生を見ていても、社会でサバイブしていく方法を何一つ学ばないんですよね。
柴田_本当にそうですね。何かを教えてくれる場所ではないですよね。改めて思うと、大学ってそういうところなのかも知れないですけど。やっぱり社会に出てからいろいろ揉まれますよね。
haru._本当に自分で探求していかないと、何も得られない場所だと思います。柴田さんは大学時代に音楽活動の原点と言えるような出来事があったんですか?
柴田_大学1、2年生ぐらいの頃に、友人が歌うための曲を作り始めたのが曲作りの始まりです。なので最初は私は歌っていなかったんです。歌おうとか、歌いたいなっていう気持ちもそんなになかったんですけど、大学4年生のときのプレゼンで、本当に何をしたらいいか分からなくて歌ってみたらすごく評判が良かったんですよ。授業で褒められたことなんてあまりなかったんですけど、そのときだけいいリアクションがたくさんあって。後輩から「良かったです」って初めて声をかけられたり、教授から「バンドをやりましょう」って言われたり(笑)。
haru._それはどんな作品だったんですか?
柴田_オープンキャンパスでそれぞれが自分の研究内容を発表するかたちだったんですけど、私はビデオアーティストの中嶋興先生*③という方に相談したら「歌うか踊るかのどっちかだろ」と言われて、歌うことにしたんです。当時は、北朝鮮からミサイルが飛んでくるというニュースが頻繁にあって。ともに札幌から出てきた友達とご飯を食べているときに、ミサイルを発射したという速報が流れてきて、「実家帰る?」みたいな話をしていたんです。そのことをそのまま曲にして歌ってみたという感じでした。ギターを弾きながら歌っていたんですけど、途中で弦のチューニングを不安を煽るような形で下げたりとか、そういうパフォーマンス的なことを含めてやりました。
haru._曲の長さはどのくらいだったんですか?
柴田_曲自体は3、4分ぐらいかな。
haru._その長さでみんなにすごいインパクトを残したんですね。
柴田_冒頭5分ぐらいで、一応コンセプト説明として、なぜやることがないのかということをプレゼンしたんです(笑)。オープンキャンパスだったのでいろんな人がいて「すごく恥ずかしいな」「自分ってやべえやつだなと」と思いながらやったんですけど、案外恥をかくっていいことだなと思いました。
haru._早い気づき。美大にいると、作品を作って、みんなの前で発表して、教授からコメントをもらう講評が定期的に訪れるじゃないですか。私がいたのは先端技術表現学科というところで、技術はほとんどないけど、コンセプトだけは良くあるべきという考えが強かったんです。だけど、言葉にできないことを表現したいと思っているのに、言葉で説明しなきゃいけない場面がすごく多くて葛藤していたんですけど、柴田さんは自分の作品を言葉で説明することには慣れていますか?
柴田_私も大学生だった当時は、haru.さんと同じような気持ちでいました。なぜコンセプトを説明しなきゃいけないのかって思っていたので、ちょっとイラついてたと思います。「良いのはコンセプトだけじゃん!」と、作品自体の良し悪しについてもそれはそれでツッコまれたりしている場面に出会ったこともあったので、「どっちもないとダメなんだ」と思ったり、「なんで?」とも思ったりしていました。でも、確かに私の作品も、現代アートと呼ばれる分野に近いところはあったので、その文脈においては確かにコンセプトは重要な要素だなと今は思っていて。決して無駄なものでもないなと今は思えます。私が音楽をやっているのも、たぶん言葉にできない部分が多いからなんだろうなとは思うんですけど、それでもなお、言葉にしていこうという姿勢は、今は必要だなと思います。不可能だけどやるというか。でも、言葉を表現の手段にしている人たちって、きっとみんなそうだろうなって思います。言葉ってかなり不可能だなということを前提にするなら、やっても良いかなと思っていますね。
haru._この番組や、私のPodcastを聞いてくれている方は学生さんが多いので、すごくヒントになるんじゃないかな。
柴田_学生時代って本当に謎ですよね(笑)。
haru._振り返ると恥ずかしくて爆発しそうになりますよね(笑)。
柴田_思い出したくないようなことがいっぱいありますよね。

NOを言わずにやってみることで見える世界がある
haru._学生時代にやっといて良かったなということってありますか?
柴田_いっぱいありますけど…。大学に入ったときって、知らないことだらけで、理解できないことや、自分とは違う表現だなとか、課題っていっぱいあったんですけど、とりあえずNOは言わずに無理めでもやっとくということが、良くも悪くも今に効いているなと感じます。頑張りすぎて疲れちゃう面もあるけど、やってみるという勇気は獲得したかな。
haru._それは表現の方法に関してですか?
柴田_そうですね。ちょっと自分にはできないかもって思うときってあるじゃないですか。この表現はできないかもみたいな。でも、そのギリギリまではやってみるとか。
haru._やってみると、それをやってるプロフェッショナルへの尊敬の気持ちがすごく高まりますよね。
柴田_高まります。なぜやっているのかがよく理解できたりする。そこは案外、世界が広がりましたね。
haru._もしかしたら、“歌う”ということもその一つだったんですかね。
柴田_確かに。私は特段歌がうまくて、「歌ったらいいじゃん」などと言われてきた人生じゃなかったのに、いきなり歌を始めたのは、「私には無理かな」というところをとりあえず超えたおかげですね。
haru._すごいことだ。
柴田_本当に良くやりましたよね(笑)? でも、できなすぎたから別によかったのかもしれないですね。これがちょっとできるとか、スクールに通ってるとかだったら、もっとできる人を目の当たりにして、私には無理だと思っていたかもしれないけど、野良から行ったのでできたのかも。
haru._その感覚はすごくわかります。私の場合、マガジンを最初に作ったときはWordで作ってたんです。誰からも何も教わっていないっていうのが、大学時代はすごく強かったなと思います。今ではもうできないなって思います。
柴田_「教えてくれ」とか「学校いきたいな」って思いますよね。あれはある意味強くなりますよね。知らないから工夫するし。
haru._確かにそうかもしれませんね。
柴田_でも、無理はしないでくれ。私はパフォーマンスの授業で泥水を飲もうとしてましたから。
haru._なのに不忍池には落ちたくないんですね(笑)。
柴田_そうなんですよ。それが今の変化ですね。たぶん昔なら、1円も貰わずに落ちていたと思います。
haru._そっちの方がおもしろいんじゃないかみたいなことを全部していた気がする。
柴田_本当そうですね。それの功罪があります。なので、良くも悪くもです。
haru._実際に音楽で食べていこうと思ったのはいつ頃だったんですか?
柴田_その感覚が本当にないタイプだったんですよね。大学院を卒業して一度、四万十川で半年間だけ働いていたんです。でも、ファーストアルバムが出たので帰ってきてしまって、そのタイミングで東京での活動を一応始めたという感じにはなったんです。バイトもしてたんですけど、当時は家賃3万2千円の場所に住んでいたので、ライブが増えていくにつれて、「バイトしなくてもいけるんじゃないか?」ってすぐに思えたんです(笑)。今思えば、その家は強く「やめておけ」って言いたいんですけどね。
haru._東京で3万2千円ですか!?
柴田_横浜だったんですけど、その金額は当時も珍しかったですね。でも、若い頃は防犯のこととかを全然考えていなかったんです。それは田舎者の良さだったのかもしれない。そういう呑気さでやっていたので、特段覚悟とかもなく、ライブを何本かしたり、自分で作ったCD-Rを売ったりしていたら、なんだかんだ生活できるなっていうところから始まっちゃいました。
haru._じゃあ当時から音楽だけでいけると思っていたんですか?
柴田_それすら考えていなくて。というか、私は今もなんですけど、将来への展望がほぼない人間なんですよ。
haru._あまり思い描きたくないという感じですか?
柴田_できないとかでもなく、その部分が欠落しているという感じですね。ただ、暖かいところで死にたいなみたいなところはあるんですけど、それだけ。寒いって思いながら死ぬのは辛いなって。死ぬということだけが私の今の目標。まあ、何が起こるか分からないので。
haru._それはそう思います。自然災害もそうですしね。
柴田_そうなんですよ。だから、家があるっていいなとは思いますけど、家を買うとかは無理ですね。

“女帝になる以外の選択”でチームを牽引する方法
haru._柴田さんは昨年の2月に7枚目となるアルバム『Your Favorite Things』を発売されましたよね。そこから1年経ちましたが、改めて柴田さんにとってどんなアルバムなのか教えてほしいです。
柴田_このアルバムは、初めて共同プロデュースに岡田拓郎さん*④に入ってもらって、丸々一枚一緒に作ってもらった作品なんです。岡田さん自身の音楽という文化への愛情深さとか、今一緒にやってくれているバンドの皆さん、スタッフの皆さん、そして私自身の歯車がすごく合ったなという感じの一枚です。自分が音楽に向き合う状態の変化は常にあるとはいえ、全ての物事がしっかりと噛み合ったということをよく感じるアルバムでした。
haru._一年経って、一緒に作ったメンバーから改めてフィードバックをもらったりしましたか?
柴田_一年経つ前だったんですけど、ドラムの浜さんが「結構聴いてます」って言ってて。ミュージシャンあるあるかもしれないんですけど、自分の作品や、参加した作品ができた後って、そんなに繰り返し聴いたりすることがないんです。それは作ってる間にいっぱい聴くからなんですけど、それでもリリース後にも聴いてるっていうのを言ってくれたのはすごく嬉しかったですね。客観的に聴けるものになったということが嬉しい。
haru._私もチームを作って何かを作るときに、自分自身では「これは結構いいんじゃないか!」と自信を持っていても、チームのみんながどう感じていたかということをすごく気にしちゃうんです。なので、完成したときに、「これを作りました!」と積極的にあまり語れなくて。私がこんなに語っていても、チームのみんなは「こいつのわがままに付き合ってやったんだぜ」みたいなことを思っていたらどうしようって考えちゃうんです。柴田さんも、別のインタビューで「チームのことを気にしちゃって、簡単に最高とは思えない」とおっしゃっていましたよね。
柴田_わかります。やっぱり、「楽しんでもらえてるかな」というのが一番気になりますよね。その人にメリットがあってほしいというか。やっぱり、気持ちだけではなかなか物事がうまくいかないというか、いつか弾けちゃったりするじゃないですか。だから、気持ち的にも、金銭的にも、メリットはできるだけあってほしいと思いながらやっています。
haru._成功していくっていうパターンのなかに、“女帝になる以外の選択”があるのかなと考えていて。男性的なチームって、ボスがいて、そこにみんながついていくというチーム構成を結構見るんですけど、自分がいいチームを作っていくってなったときに、それ以外のあり方ってどうするんだろうって…。
柴田_めっちゃくちゃわかります!女帝のミュージシャンもやっぱりみんなクィーンみたいな感じになって、「率いるぞ!」みたいになっていくんです。
haru._ビヨンセとか。
柴田_レディー・ガガも、テイラー・スウィフトもみんなどちらかというと女帝ですよね。
haru._それはそれでかっこいいと思うんですけど、他のあり方ってないのかなと。でも、柴田さんを見ていると、自然と女帝とは違うパワーで人を率いているんだなっていうのが伝わってくるんです。
柴田_嬉しい。私は人生で人を率いたことがまじでなかったんです。小学生の頃からずっと普通の級員として過ごしてきたので。やっぱり、カリスマ性がありすぎる人って、女帝パターンになっていっちゃうのかな。みんながその人を女帝にしたくなるというか。haru.さんは率いてましたか?
haru._率いてないです(笑)。端っこになんとかいるっていう感じです。
柴田_じゃあ、同じ方面かもしれないです(笑)。
haru._でも、何かを作るとなったら、ちゃんとコンセプトを説明して、「あなたの役割はこれです」ということを、なぜあなたじゃなきゃダメなのかということと一緒に伝えたりすることが必要じゃないですか。それは慣れない作業で、いつも大変だなと思っているんですけど、柴田さんはアルバムを作るときのコミュニケーションで意識されていることはありますか?
柴田_コミュニケーション自体はみんなフラットで、みんなのアイデアがどんどん出てくるタイプの構成にはなってると思います。私は、アレンジに関してはふむふむと聞いていることが多いですね。なんとかみんなが安心して自由に喋れそうな雰囲気を作ることと、何かあったら私が全責任を取りますということだけを伝えています。私が一番年上だし、「何かあったら謝りに行くから任せといてくれ」といったように。年上ができる役割ってそれぐらいだなって思うんですよね。こうやってみんな素晴らしい音楽をやってきていて、年齢も関係なくそれぞれの技術や感性を磨き続けている人たちなので、どの時点でもみんな最高なんですよ。そのすごい人たちのなかで出来ることがあるとしたら、一応最年長として私が謝るから大丈夫みたいなことを思っています。
haru._頼もしいですね。
柴田_まあ、いざ謝るようなことはまだ起きてないので、やったことはないですけど(笑)。
haru._でも、それを言ってくれるだけでいいんじゃないですかね。
柴田_「この人が責任を取ってくれるから、自由にやろう」って思ってもらえるような人になりたいって思っています。
haru._アルバムだったら、リリースっていうゴールがあるから、みんなその状態でそこに向かえるんですね。
柴田_それも、「私が絶対に最後までやるので大丈夫!」ということだけを伝えてやっています。でも、同時に一番恥ずかしい大人をやっているのは私かもしれないです。
haru._でも、想像すると女帝とは真逆ですよね。謝ったり、恥ずかしい思いをしたりと。
柴田_自分のイメージとしては、職場の一番年上の人という感じですね。
haru._そういうチームのあり方っていいですね。私もそういうふうにやっていきたいです。

曖昧さで、未知なる場所へは行けない
haru._学生時代にとりあえずやってみることが大事というお話しがありましたが、新しいアルバムを作るにあたって、音楽教室の体験レッスンに行かれたそうですね。改めて音楽の基礎を学ぼうと思ったのはどうしてですか?
柴田_仕事をしていると特に感じるんですけど、他の音楽家の人たちと同じ言語を持っていないと、話すのが結構難しい場面があったりするんです。イメージだけで伝えていくことに3、4年前から限界を感じていて、伝わる言語みたいなものをずっと欲していたんです。バンドメンバーに伝えるときも、イメージだけで話すと、ままならなさみたいなものがあって、自分も耐えきれなくなっていて。「それで偶然いいものができたね」では、満足できるほどではなくなってきたのもあり、明確に伝えたいという思いで、みんながポップスのなかで使っている言語を学ぼうと思い、体験にいきました。でも、なかなかいい先生が見つからなくて体験で終わりましたね…。
haru._義務教育や大学だと、何かを教えてもらうときに、こちらが選ぶ側ではあまりないじゃないですか。でも、大人になってから何かを学びたいってなったら、自分で探しにいかないといけないですもんね。
柴田_そうなんですよね。子どものような気持ちで行くしかないのかな。一度その先生のやり方を自分に当てはめてから探し出すとかしかできないのかなと。
haru._でもそれで柴田さんの歌い方が一気に変わってしまっても…。
柴田_そうですね。オペラ的な歌唱とポップス的な歌唱だと使う筋肉も全然違う気がします。
haru._これまではイメージで伝えていたとおっしゃっていましたが、どういうふうに共有していたんですか?
柴田_古の頃は、絵とか写真を見せることも多かったですし、こんな感じの色味とか、この写真みたいにしたいとか、言われた方は大喜利ですよね。でも、ミュージシャンの中には私のように言語をしっかり持たずにやってきた人を理解する能力が高い人がたくさんいらっしゃるので、そういう方々とのやりとりに救われてきましたね。しかも、当時は断定して伝えられず、曖昧にばっかりしていました。それすらも可能性と思っていたような気がしますね。そこに夢を見ていたというか。でも、夢ってあまりないなって気づきました。断定をしていく方が、少なくとも自分が思い描いていたようなものが作れるし、そもそも曖昧にすることによって、自分が思いもよらない良き場所を見れるみたいなことはそんなにないかもなって思うようになりました。
haru._でもそれって、柴田さんのイメージが明確になったということでもあるんですか?
柴田_それはそうかもしれないです。型にはまりにいくことへの恐怖心もあったと思うんです。自分がどこかのジャンルに分類されることに気が進まなかったり、この曲をリファレンスにしたいと言うことは創造性に欠けているんじゃないかと思ったり。でも、そういうふうに思わなくなりました。
haru._職人っぽいですよね。
柴田_完コピしたとしても、オリジナリティって自然に滲み出ると思っていて、あえて出そうとするまでもなくあるという感じです。
haru._なんだか柴田さんの生き方のスタンスとすごく似ているなと思いました。どういうふうに死にたいというイメージしかないみたいな、潔さを感じます。
柴田_本当ですか。嬉しいです。
haru._私はジャケットを見てアルバムを聴くくらい、ミュージシャンのアルバムジャケットが好きで、私もジャケットを手がける機会をいただいているんです。『Your Favorite Things』のジャケットも超素敵だなと思いました。
柴田_いいですよね!
haru._むしろ、ジャケ入りみたいなとこが私はありました。あの写真が選ばれた理由を教えてほしいです。
柴田_あれは、坂脇慶さん*⑤というアルバム全体のアートワークを手掛けてくださっている方にお任せしていました。写真のセレクトも、スタイリングも任せたんですけど、服はスタイリストをつけたりするんじゃなくて、私服からやろうと提案してくださったんです。だから私の意思はあまりなく、全部お任せしました。っていうぐらい、なんの不安もなかったです。坂脇さんたちが作るものは、常に最高すぎて本当に最高って思うので、何が来ても最高だろうと(笑)。
haru._どっしり構えてる感じが滲み出てるんですよね。ここに舞台があって、そこに柴田さんが呼ばれて立って、ぱしゃっと撮影したみたいな。
柴田_確かにそれはそうで。今まではアルバムを作るたびに、自分がしっかりしなきゃいけないとどこかで思っていたんです。コンセプトを持って、意思を伝えていかなきゃいけないと思って、毎回それでナーバスになっていたんですけど、今回はナーバスになることが一切なかったです。
haru._でも、そういうのってやっぱり作品の佇まいとして出ますね。
柴田_本当にそうかも。「自然でいいので」って言われたときは、「自然でいいんだ」って思えました。
haru._風が吹いていて、ふと柴田さんと目が合うみたいな写真。かっこいいです。 羊文学*⑥の『our hope』というアルバムのジャケットを作ったときに、ボーカルの塩塚モエカさんが車から顔を出している写真を使ったんですけど、人から「柴田聡子の『後悔』じゃん」って言われて(笑)。久々にミュージックビデオを見返したら、「確かに」って思いました(笑)。
柴田_いやいや(笑)。違うでしょ(笑)。
haru._違うんですけど、どこかでインスパイアされて、それが出てきたのかなって思ったりしました。
柴田_インスパイアし合っていくの嬉しいですね。
haru._自分のなかでもなんか見たことあるなと思っていたんですけど、思い出せなくて。できた後に気づきました(笑)。
対談は後編へと続きます。後編では詩人・エッセイストとしても活動されている柴田さんの言葉の捉え方、年齢を重ねることの変化と喜び、女性という属性から解放され、自分を取り戻すまでの道のりについてお話しいただきました。そちらも是非楽しみにしていてくださいね。
それでは今週も、行ってらっしゃい。
2024年2月28日に発売された柴田聡子さんの7枚目のアルバム。
*②カメラ・オブスキュラ
ラテン語で「暗い部屋」を意味し、小さな穴から光を取り込み、外部の景色を反対向きに映し出す装置。写真術の原理の基盤となった、歴史的に重要な装置。
*③中嶋興
中嶋興(1941–2025)は、多摩美術大学デザイン科卒。1960年代の実験アニメーションに始まり、1971年に革新的なビデオアート集団「ビデオアース東京」を設立。SonyやJVCと共同で「Animaker」「Aniputer」を開発し、生命や時間をテーマに映像表現とアーカイブを追求した先駆者。
*④岡田拓郎
東京都福生市育ちのミュージシャン、ギタリスト、音楽プロデューサー。2012年にバンド「森は生きている」を結成し、2015年に解散後、2017年にソロデビュー。ROTH BART BARONや柴田聡子の作品に参加し、2025年には海外リリース作『The Near End, The Dark Night, The County Line』を発表 。
*⑤坂脇慶
東京を拠点に活動するアートディレクター・グラフィックデザイナー。1982年生まれ。雑誌『STUDIO VOICE』『PARTNERS』などのアートディレクションを手掛け、出版・映像・ウェブ・空間設計など多領域で協業。2023年、東麻布Caleで自身初の個展「Individuality of temporary moments」を開催。
*⑥羊文学
羊文学は、塩塚モエカ(Vo/Gt)、河西ゆりか(Ba/Cho)、フクダヒロア(Dr)による東京発のオルタナティブ・ロック・バンド。2017年に現体制で始動し、2020年メジャーデビュー。繊細かつ力強いサウンドで注目を集め、『our hope』はCDショップ大賞を受賞。FUJI ROCKや海外公演も成功させている。
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Profile
柴田聡子
シンガー・ソングライター/詩人。北海道札幌市出身。武蔵野美術大学卒業、東京藝術大学大学院修了。
2010 年、大学時代の恩師の一言をきっかけに活動を始める。
2012 年、三沢洋紀プロデュース多重録音による 1st アルバム『しばたさとこ島』でデビュー。以来、 演劇の祭典、フェスティバル/トーキョー 13 では 1 時間に及ぶ独白のような作品『たのもしいむすめ』 を発表するなど、歌うことを中心に活動の幅を広げ、現在までに 8 枚のアルバムを発表。
2016 年、第一詩集『さばーく』を上梓。同年、第 5 回エルスール財団新人賞 < 現代詩部門 > を受賞。エッ セイや詩、絵本の物語など、寄稿も多数。2023 年、足掛け 7 年にわたる文芸誌『文學界』での連載を まとめたエッセイ集『きれぎれのダイアリー』を上梓。詩人・文筆家としても注目を集めている。
2024 年、アルバム『Your Favorite Things』、アナザーバージョンとなる『My Favorite Things』を リリース。詩人としては「しずおか連詩の会」に参加、第二詩集「ダイブ・イン・シアター」を上梓。
2025 年 1 月、テレ東系 ドラマ 25「風のふく島」エンディングテーマ曲『Passing』をリリース。アル バム『Your Favorite Things』が CD ショップ大賞 2025<赤>大賞受賞。
客演や曲提供なども多数で、その創作はとどまるところを知らない。
Official YouTube Channel:
@satokoshibata5927
TikTok:
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