不忍池でボートを漕ぐ朝 haru.×柴田聡子【後編】
月曜、朝のさかだち
『月曜、朝のさかだち』シーズン2、第10回目のゲストはシンガーソングライター・詩人の柴田聡子さんをお迎えしています。記事の前編では美大へ通った二人が感じた学生時代の葛藤、学生時代にやっておくべきこと、最新アルバム『Your Favorite Things』*①、バンドメンバーやチームを牽引する際の自身の役割など、たくさんのトピックについてお話しいただきました。

後編では詩人・エッセイストとしても活動されている柴田さんの言葉の捉え方、年齢を重ねることの変化と喜び、女性という属性から解放され、自分を取り戻すまでの道のりについてお話しいただきました。
本編へ進む前に、まずは視聴者さん、読者さんから集めた「ゲストに聞いてみたいこと」にお答えいただきました。今後も『月曜、朝のさかだち』に遊びに来てくれるゲストのみなさんに聞いてみたいことを募集しているので、ぜひORBIS ISのSNSをチェックしてみてくださいね!
柴田聡子さんに聞きたいコト
Q.最近、NOを言わずにやってみて良かった(挑戦してみて良かったこと)ことはなにかありますか?
A.ひとりでの海外旅行です。
Q.自分を再生させる音楽があれば教えてください
A.Earth,Wind&Fireの「September」です。

年上、年下問題と責任
haru._柴田さんは音楽だけでなく、詩を書くお仕事もされていますよね。2023年には柴田さんが文芸誌『文學界』に7年に渡り寄稿されたエッセイをまとめた書籍『きれぎれのダイアリー2017〜2023』*②が発表されました。2024年には2冊目となる詩集『ダイブ・イン・シアター』*③が出版されています。『ダイブ・イン・シアター』が発売されたときに、三軒茶屋の『twililight』という本屋さんで朗読もされていましたよね。柴田さんの音楽を聴いていると、たまになんと言っているかわからないけど、音と溶け合ってすごく心地の良い言葉の体験をするんです。かと思えば、すごく単語がスッと入ってきたりもする。最新アルバムの「Synergy」という曲で「一緒に会社立ち上げてオフィス構えようか」という歌詞にハッとしたりしました。でも、朗読となると、その言葉を発声するときに言葉の意味を考えちゃったりするのかなって気になりました。
柴田聡子(以下:柴田)確かにそうですね。歌うときは言葉にメロディーがついてくるので、「オフィス」という言葉でも途端にオフィスじゃない感じになるんですよね。なので、自分も「今“オフィス”を発した」という気持ちはすごく薄くなります。でも、朗読は朗読で、「自分は今何を言っているんだろう」と煙に巻かれていく感じはあります。言葉だけで建物が建っていく感じ。
haru._それは景色を描いていくみたいな感じですか?
柴田_いや、言葉だけでオフィスと型取られた建物が建っていくみたいな…。すいません、曖昧なことしか言えなくて。
haru._いやいや、想像しています。
柴田_人の朗読を聴いていても、そう感じたりします。その人がどう使いたいとか、そこにはどういう意味があるかとか関係なく、言葉だけが勝手に立ち上がってくる感じ。
haru._それって、普段お話しするときに使う言葉にも敏感になりますか?
柴田_そうですね。なるべくぴったりな言葉にしたいというか、ざっくりした言葉だと齟齬が生まれちゃうじゃないですか。それとイメージが変わりゆく可能性が高いものや、変わりつつあるなというものも気をつけています。
haru._時代によって意味が変わってきちゃう言葉とかですか?
柴田_そうです。特に違う世代の人と喋るときには気をつけていますね。自分が使ってることと意味が結構違うこともある。そこで齟齬が生まれるのが嫌なんですよね。
haru._それは年上と年下、どっちの方が気にしますか?
柴田_どちらも同じぐらい気にしていますね。年上と喋るときの方が甘えがあるかもしれません。「ちょっと包容力が大きくあってくれ」みたいに思っているのかも(笑)。
haru._私は年下の方と接する機会がまだあまりなくて。でも、昨日知り合いの年下の男性が、知り合いの編集者の方に「あえて“さん付け”ではなく、“ちゃん付け”で呼んでます」と話していて。それは距離感の問題で、敬いすぎると相手も気にすると思ってそうしているそうなんですけど、自分もそういうふうに気を遣わせる立場になってきてるんだなって思ったんです。こっちは勝手に親近感を抱いていても、年下側はいろいろ考えてるよなと思いました。
柴田_それは本当にそうですよね。年上っぽい人じゃない場合でも、やっぱり考えていますよね。そういう人たちに大変な思いをさせたくない気持ちでいっぱいです。
haru._20代のときには思わなかったんですけど、年齢を重ねていくうちに、年下の子たちが理不尽な目に遭わないようにしなくちゃいけないと、使命感じゃないですけど、そういう気持ちが湧いてきて…。不思議だなと思います。
柴田_不思議ですよね。記事の前編でも話しましたが、「私が全部謝るから!私がここでくたばっても大丈夫だから!」みたいな気持ちは不思議と出てきますよね。なんででしょうね。
haru._歳をとらないとわからないことってあるんだなって思いました。
柴田_本当に、自分がそんなふうに思うなんて思わなかったです。

年齢の変化と、言葉の捉え方の変化
haru._言葉の話から離れてしまってすみません。柴田さんの『きれぎれのダイアリー』は2017年から2023年に書かれたものだと思うんですけど、書き始められた2017年の頃の柴田さんの年齢と、今の私が同じ年齢なんです。それこそ20代の7年と30歳からの7年って全然違いそうだなと思っていて。どうでしたか?
柴田_そもそも10年ぐらい遅れているという自分の設定みたいなものがあって(笑)。大学に長くいちゃったせいもあると思うんですけど、30歳の時点でやっと成人したなぐらいの感覚なんです。なので、20歳のときで10歳ぐらいだったんですよね。10歳から20歳までの期間ってほとんど覚えていないじゃないですか。なので20代はそんな感じでただティーンエイジャーとして過ごしただけで、あまり覚えていないんです。でも、実際30歳になったときに、本当の20歳よりもいろんなことが一気に押し寄せてくるんですよ(笑)。身体の不調とか…。
haru._本の冒頭から柴田さんは具合悪そうでしたもんね。
柴田_そう。具合が悪くて、ハードめのヨガで叩き直したりしてきたんです。身体も思うような感じじゃなくなってきたというか。『きれぎれのダイアリー』を書き始めたぐらいで、一気に清算が始まった感じだったんです。仕事として文章を書くのもあのときがほぼ初めてで。何もしていなかったので、私に声をかけてくださった人は本当に奇跡的だったと思います。
haru._でも、音楽活動はもうされていましたよね?
柴田_していたんですけど、文章を書く活動はしてなかったです。
haru._お声がけしてくれた人はすごく優秀な方ですね。
柴田_「歌詞が書けるので大丈夫だと思って」みたいな感じだった気がするんですよね(笑)。そうやって毎月書くという仕事が始まったので、ぶつかり稽古をしながら30代の清算も同時にして。だから、自分の場合は20代と30代を一緒にやっている感じでした。
haru._珍しい(笑)。
柴田_なので結構戸惑ってました(笑)。
haru._でも、7年続くってすごいですよね。
柴田_本当ですよね。いつ終わるんだろうとビクビクしていました。『文學界』って本当におもしろい雑誌だし、すごい人たちがいっぱい書いていて。なので続けてくださった編集者の方たちには感謝しかないです。けど、最初の頃のものは恥ずかしくて読んでられないですね。最後2回くらいでやっと落ち着いてきたんですけど、気づいたときにはもう終わってたんです。
haru._エッセイの書き方や、自分のことについて書くということに対しての向き合い方は、7年で変化していきましたか?
柴田_変化しましたね。最初はやっぱり、ウケ狙いがすごすぎました。
haru._これは美大卒のクセなんですかね(笑)。
柴田_本当にそうかもしれないですね。あとは、自分たちの生きてきた時代が、おもしろくなければ価値がないみたいな感覚が残ってる最後の世代のような気がするんです。“おもしろ”に本当に価値が置かれていた。そんなこと考えなくてもいいのに、そういう病に犯されていて、「ウケたい」「おもしろいと言ってほしい」みたいなことだけを目指して書いていたんですけど、最後の2回ぐらいで、いらないなって気づいたんです。自分のことを真っ直ぐ書くということが、最初の頃はできなかったですね。
haru._自分のことを真っ直ぐ捉えるって難しいですよね。
柴田_難しいし、自分のことを書くことが恥ずかしいって思っていました。自分が小さいことにすら気づいていなかったということを告白していく作業みたいなところがあるので、それをおもしろいと思ってもらえるかわからなかったというのが大きいですかね。

haru._柴田さん的に、おもしろいと思ってもらいたかった頃のおもしろさの基準ってなんでしたか?
柴田_うまく言えないけど、一人ノリツッコミみたいなことかもしれないです。
haru._それが文章のなかで一人でできているみたいな?
柴田_そう。自虐かなとも思います。でも、自虐っていうものも、不特定多数の人に対してはなかなかできないなとも感じました。
haru._自虐がおもしろいみたいな風潮がお笑いの中でもありましたよね。けど、本当にそれをおもしろいと思っているか聞かれたら、みんな気まずいというか。自虐って聞いていて心地のいいおもしろさではないということにだんだん気づいた感じはありますよね。
柴田_そうですよね。だいぶ性格が捻くれている人しか、まじでおもしろいと思わないですよね。どれだけ変か、どれだけかわいそうな目に遭っているかとか、人を笑うことですもんね。
haru._自虐をすると、相手を困らせるなとちょっと思っています。
柴田_いらないですね。
haru._でも、私は柴田さんのPodcastを聴いていて、すごくいいなと思ったのが、ファンの方からお手紙が届くじゃないですか。それに対しての柴田さんのお礼が真っ直ぐなんですよね。「ありがとうございます!」っていうのを、ただただ真っ直ぐ伝えている。私がやっているもう一つのPodcastではリスナーの皆さんを謙遜撲滅委員会と呼んでいるんですけど、謙遜撲滅委員はこうあるべきだと思いました。記事の前編で、ミュージシャンが女帝になっていきがちという話をしましたけど、そうならずに、でもポップ性を保ちながらスターでいるには、こうすればいいんだっていうのを聴きながら思っています。
柴田_めちゃくちゃ嬉しいです。
haru._自虐とは真反対のことを感じていました。
柴田_でも、そうかもしれないですね。「いやいや、自分なんて…」って気持ちもあるんですけど、それもみんなもう分かっているだろうなと思うんです。たとえ自信満々な人であっても、そういう部分があることをみんな気づいているだろうから、私もPodcastでわざわざそれを言わなくてもいいかなと思ってますね。でも、お便りで「大好きです」って言われること、本当に恥ずかしいんですよね。haru.さんの番組にもお便り来ると思うんですけど、本当に情熱があって、すごくいいことを書いてくれてるじゃないですか。単純に感動で、「本当にありがとう!」みたいな気持ちしか出てこないんですよね。それを自分で読み上げているから、自慢みたいになってると思うんですけど(笑)。眉間にしわを寄せながら「ありがとう」と言っています。
haru._たぶん眉間にしわを寄せて言っているなって伝わってきます(笑)。話がまた外れてしまいましたが、音楽への向き合い方が変化していくのと同じように、文章を書くことに対する向き合い方も変わってきているんですね。
柴田_そうですね。これまでは、自分が何かに分類されることがすごく嫌だったんです。自分の音楽に対して「こういうものだ」と断定されてしまうのが怖くて、曖昧にしていたところもあるんです。言葉を書くときもそういうところがあったので、最近は腹決めて書こうっていう気持ちがあります。
haru._じゃあこれからも執筆は続けていかれるんですね。
柴田_エッセイは今のところ、自分でやっているテキストサイトでしか書いていないんですけど、書くことって自分にとってもいいことなので、やっていきたいですね。
haru._書くことが生きがいという感覚ともまたちょっと違いそうですね。
柴田_確かに。今のところ、やってると調子がいいなって感じのものです。

人を、自分自身を属性ではなく、 人間として見られるようになるまで
haru._最近、この番組にゲストで来てくれる方々の年齢が私と近い方も多くて、歳を重ねることのリアリティを聞いているんですけど、30代って結構大きなライフイベントが訪れる方も多いじゃないですか。身体や見た目も変わって、無理できなくなることもあると思うんですけど、歳を重ねてよかったと思うことはありますか?
柴田_よかったことだらけです。これまで話してきたことに通ずると思うんですけど、なんでもどうでもよくなってくるというか。いらないものが外れていく。
haru._それは自分で頑張って外しているというよりかは、自然とそうなっていきましたか?
柴田_自然となっていきましたね。なんでこれにこだわっていたんだろうということが多くて、自意識が薄れたんだなと思います。
haru._さっき、柴田さんは周りよりもマイナス10歳の感覚があるとおっしゃっていましたよね。その感覚はどうやって生まれたんですか?
柴田_いろんな体験はしているんですけどね。音楽活動をしていると、不思議な出来事に出会い続けたりするんです。なので精神的な話なのかな。30歳になっても、まだ両親に少し反抗しているような若い精神を持った人間だったんですよね。でも、今はもう追いついちゃった感じがあります。ライフイベントと呼ばれる、結婚や出産は経ていなくてもどんどん鎧が外れて軽くなって、それが大人になったという印象があるのかも。
haru._周りがそういう体験をするようになると、自分のことも考えたりすると思うんですけど、そういうことはありましたか?
柴田_数年前まではすごくありました。自分は結婚するのかなとか、子どもを産むのかなとか。でも、子どもがほしいと思ったことはあまりなくて。一度結婚しようかなと思ったときに、「この人とだったら」と思ったことはあるんですけど、自分が子どもを産んで、その子どもを自分の子どもとするということがずっと不思議な感覚なんですよね。別に自分が産んだ子どもじゃなくてもいいんじゃないかみたいにも思っていて。そんなことも感じつつ結婚してみようと思ったときに、大失敗して結婚できなかったんです。そこですごく軽くなれたんですよ。「一回やってみようとしたけど、こんなに無理めならもういいや!」と思って。そこから本当に最高ですね。
haru._トライしたということがあったから、きっと吹っ切れたのもありそうですよね。
柴田_それ以来、恋愛についてもすごく軽くなれました。自分は男性を好きになる恋愛をしてきましたけど、男性と付き合っているときに、自分が女であることをより強く意識していて。ちょっとしおらしくなったり、支えるみたいなことをしようとしていたんです。そこに対しての快感も持ちつつ、自分がズーンっと沈んでいくのをずっと感じていて。自分が女であることを強く意識するような恋愛はもうしなくていいかと思って生き始めてから、人間関係もよくなった気がします。それは恋愛だけでなく、友達関係含め、人間関係全てがよくなって、自分はやっぱそういう方があっていて、気持ちがいいということに気づきましたね。
haru._スターとされる女性ミュージシャンたちって、すごく女性性を強く表現することが多いじゃないですか。ビヨンセもリアーナもそうだと思うんですけど、セクシーさを出すことが女性のスターでいるうえで大事な要素になっているなと。でも、柴田さんはロングヘアをバッサリ切ってショートにされていたり、セクシーな衣装も着ないじゃないですか。だけどビヨンセのことすごく好きですよね?そういうアイコンたちって、柴田さんにとってはロールモデルではないと思うんですけど、どういうふうに映っているのかすごく気になります。難しい質問なんですけど、どうしても表に立つときに、自分の性を意識せざるを得ない瞬間ってすごくある気がしていて。そういう見た目の記号的なものを外していくことに私はすごく憧れがあるんですけど、柴田さんはそれを自然にされているイメージがあるんです。
柴田_リアーナはバルバドス出身で、ビヨンセはアメリカ出身ですよね。たぶん、その土地土地でどうしてもそれを主張しないと認めてもらえない土壌である可能性が一個大きな違いだと思っています。そういう背景があるからこそ、彼女たちは女性性的なものを表現することもあるんじゃないかとも思います。私もそれをしたいというふうには思わないんですけど、彼女たちが、何か理由づけをしないでもその表現をやっているんじゃないかということにめっちゃ希望を感じています。「女性性を出すことは、女性をエンパワーメントしたいからである」という理由もあるのかもしれないですけど、それよりも自分の身体を誇っていたり、「素敵だと思っているから見せていきたい」みたいな、理由がないままに自分の誇るものを出していける状態っていうのはすごく憧れますし、そうであってほしいなと思っています。
私は自分が女性であることについて高校生ぐらいまで違和感を抱き続けてきたんです。修学旅行に行って、重そうな荷物を男子が持ってくれたときに違和感を抱いたり。バスケやっていたのもあって、ずっとショートカットだったんですけど、音楽活動をするようになって、一回ぐらい髪を伸ばす人生もいいかもと思って伸ばし始めたんです。長年髪を切らなかった理由の一つとしては、当時付き合っていた男性や、周囲の男性から「髪が長い方がいいよね」と言われたことも影響しているのかも。
高校生時代までは自分が女性であることに違和感を覚えていたので、恋愛めいたこともほぼないまま過ごし、大学に入っていきなり恋愛を始めていろいろ試していたんです。自分は女であるとどういうことが嬉しくて、どんなことを言われるのか。いろいろ試したり、話を採集するなかで、髪が長くて、ボディコンシャスではないような服装をするような女性像が好まれるのかなと思ったりもしました。そんな感じで髪を切らなかったり、服装も自分が好きなものを選んでいるというよりかは、これでいいかぐらいの感じで着ていて。でも、数年前に「もう切るか!」と思って切り始めたら止まらなくなり、今ここまで来ているんですけど、最高ですね!「私が帰ってきた!」みたいな感じです。別に女性として居る必要も特にないんだなと思ったら、だんだんと恋愛とか欲望みたいなものも、自意識とともに薄れていきました。やっと戻ってこれた感覚があって、いいですね!
haru._その感じも含めて私には柴田さんが本当に魅力的に映っているんです。私もビヨンセやリアーナとか、海外のスターたちが大好きなんですけど、自分に近い存在だと感じられる人がメディアには全然出てこなかったんですよね。私もずっと女性として見られることが苦手だったんです。本当に柴田さんと同じで、大学に入った瞬間、よーいどんで恋愛めいたことが急に始まったんです(笑)。なので柴田さんの話にすごく共感したし、柴田さんは私と一番近くて、憧れの存在だって今感じています…。
柴田_そんな嬉しい言葉を…!でも、恋愛も結構楽しんだし、傷ついたし、傷つけたし、女性として扱われることに嬉しさがあったことも本当だったんですけど、究極どうでもいいんだなっていう気持ちです。去年公開されたビヨンセの『Renaissance: A Film by Beyoncé』*④は観ましたか?
haru._観ました。
柴田_ツアーのセットも女性的なモチーフが用いられていたり、アルバム『Renaissance』自体、女性についてビヨンセが考えていることが曲になっていたりもしたと思うんです。だから、ビヨンセが女性なんだって見るには十分なモチーフがたくさん散りばめられていたんですけど、最終的にあの映画を観て思ったのが、ビヨンセが一個の生物として動いて、生命力が爆発しているということなんです。うちらと一緒というか、ただの生物としての細胞が活動しているんだなということを一番印象深く受け取れたのがすごく嬉しかったんです。「人間・ビヨンセ」をすごく感じたし、女性的なものを扱いながらも、人は人間として認識してもらえる可能性がある。だから、なんでもいいんだなって思えました。
haru._本当にそうですね。相手をどう見つめてしまうかとかって、受け取り手の問題でもありますからね。
柴田_そうかも。私もそういう気持ちがあったから、人を人間として見たいと思って、そういうことを思ったのかもしれない。
それでは今週も、行ってらっしゃい。

2024年2月28日に発売された柴田聡子さんの7枚目のアルバム。
*②『きれぎれのダイアリー2017〜2023』
シンガーソングライター&詩人・柴田聡子が文芸誌「文學界」に足かけ7年にわたり、徒然なるままに書き綴った、音楽と生活と文学のこと。時にきらきら、時にゆらゆら、過ぎゆく日々。文藝春秋出版。
*③『ダイブ・イン・シアター』
〈わたし〉の深層に潜り込んでいく、声から遠く離れて綴られた言葉たち。初の全篇書き下ろし詩集。青土社出版。
*④『Renaissance: A Film by Beyoncé』
ビヨンセが脚本、監督、製作した 2023 年のアメリカのドキュメンタリー コンサート映画。
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Profile
柴田聡子
シンガー・ソングライター/詩人。北海道札幌市出身。武蔵野美術大学卒業、東京藝術大学大学院修了。
2010 年、大学時代の恩師の一言をきっかけに活動を始める。
2012 年、三沢洋紀プロデュース多重録音による 1st アルバム『しばたさとこ島』でデビュー。以来、 演劇の祭典、フェスティバル/トーキョー 13 では 1 時間に及ぶ独白のような作品『たのもしいむすめ』 を発表するなど、歌うことを中心に活動の幅を広げ、現在までに 8 枚のアルバムを発表。
2016 年、第一詩集『さばーく』を上梓。同年、第 5 回エルスール財団新人賞 < 現代詩部門 > を受賞。エッ セイや詩、絵本の物語など、寄稿も多数。2023 年、足掛け 7 年にわたる文芸誌『文學界』での連載を まとめたエッセイ集『きれぎれのダイアリー』を上梓。詩人・文筆家としても注目を集めている。
2024 年、アルバム『Your Favorite Things』、アナザーバージョンとなる『My Favorite Things』を リリース。詩人としては「しずおか連詩の会」に参加、第二詩集「ダイブ・イン・シアター」を上梓。
2025 年 1 月、テレ東系 ドラマ 25「風のふく島」エンディングテーマ曲『Passing』をリリース。アル バム『Your Favorite Things』が CD ショップ大賞 2025<赤>大賞受賞。
客演や曲提供なども多数で、その創作はとどまるところを知らない。
Official YouTube Channel:
@satokoshibata5927
TikTok:
@satoko.shibata