2025.9.1

浴衣を着てお散歩をする朝 haru.×伊藤仁美【前編】

PROJECT

月曜、朝のさかだち

 haru.

『月曜、朝のさかだち』シーズン2、第12回目のゲストは着物家の伊藤仁美さんをお迎えしています。この日の朝活は、伊藤さんの私物の浴衣を着付けてもらい、古書店のATELIER*①とカフェyoshida coffee sangubashi*②を巡るお散歩をしました。
haru.さんは淡い紫と水色のグラデーションが素敵な近江ちぢみの浴衣に、ストライプの帯、天然石の付いた帯留を身に纏い、始めは「背筋が伸びる」と少し緊張気味。 伊藤さんはベンガラ*③で染められた鮮やかな水色と淡いグレーのような色がグラデーションとなった浴衣に、100%天然素材で作られた芭蕉布の帯をあっという間に身に纏い、猛暑日だということを忘れるくらい、爽やかで涼しげな装いを披露してくださいました。

浴衣姿で二人は、セレクト古書店ATELIERに向かい、それぞれ気になる本を購入。「手触りのある本が好きなんです」と話す伊藤さんは、いくつもの本を手に取り、見て、触って、今の自分が惹かれる一冊を選んでいました。本の詳細は記事の前・後編でお話しいただいているので、楽しみにしていてくださいね。 本を購入した二人は、ATELIERの近くにあるカフェyoshida coffee sangubashiに行き、カフェラテと赤紫蘇ソーダをテイクアウト。浴衣を着るのはお祭りのようなイベント時だけを想像するかもしれませんが、日常に浴衣を取り入れる心地の良さを体験したharu.さん。

「始めは緊張したんですけど、すぐにいつも通りの自分でいることに気づきました。選ぶ本や飲み物も変わるのかなと思ったけど、自然といつもと同じようなものを頼んでいました」と、浴衣を着て過ごすことがとても自然だったと感じたharu.さんでした。

朝活を終えた二人は、浴衣を着たまま朝活を振り返り、伊藤さんの考える美しい着付け、今の活動に繋がる伊藤さんのルーツ、「着物家」として活動を始めるきっかけについてお話を伺いました。

本編へ進む前に、まずは視聴者さん、読者さんから集めた「ゲストに聞いてみたいこと」にお答えいただきました。今後も『月曜、朝のさかだち』に遊びに来てくれるゲストのみなさんに聞いてみたいことを募集しているので、ぜひORBIS ISのSNSをチェックしてみてくださいね!

伊藤仁美さんに聞きたいコト



Q.日常でも浴衣や着物を取り入れたいと思うのですが、どんな場面・場所から始めるのがいいですか?

A.実は寝巻きに最適なんです。特に頂き物などで短めのものを、温泉などで纏う浴衣のように寝巻きとして。通気性もよく、脱ぎ着しやすいです。

Q.着物と帯留の組み合わせなど、色と色を組み合わせるときはどんなことを意識すると素敵にまとまりますか?

A.着物の柄の中にある色から一色、小物に取り入れると調和します。無理に和装だからといって、たくさん色を使ったりする必要はありませんので、洋服の色彩感覚を忘れずにコーディネートすると、モダンにまとまります。

 

「今日の言葉」を探しに

haru._今朝は着付けをしていただいて、本屋さんに行くという体験をしてきました。今年は一度浴衣を着る機会があって、そのときにも伊藤さんに着付けをしていただいたんですけど、子どもの頃から浴衣を着て過ごすということがあまりなかったので、私としては超さかだちな朝でした。でも、伊藤さんからしたら普段から着物を着て日常生活を送られていると思うので、今日も日常でしたよね(笑)。

伊藤仁美(以下:伊藤)そうですね。今回のお話しをいただいたときに、私が勝手にharu.さんに浴衣を着ていただいて、一緒に本屋さんに行けたらいいなと思ったんです。なので趣味みたいな朝活ですね(笑)。

haru._本屋さんは、私たちのオフィスのあるビルの中に入っているATELIERさんという本屋さんに行ったんですけど、いかがでしたか?

伊藤_まず店内に入ったときの匂いがすごくよかったです。紙と印刷の匂い。それと、いろんな系統の本が置かれていてすごくよかったです。それに、普段本屋さんに行くときって、昼間や夕方とかが多いので、朝に本屋さんに行くと気になる本がちょっと違うなと思いました。

haru._どんな本が気になりましたか?

伊藤_今日1日を過ごすためのティップスを探しているんだなという感じがしました。1日の始まりに本屋さんに行くということは、自分自身がそういうものを求めているんだろうなと。

haru._私も普段、「こういうことが学びたいからこういう本を買おう」みたいな気持ちで本屋さんに行くことが多くて。でも、今日は浴衣も着ているし、気持ちが変わるのかなと思っていたんです。浴衣を着ていることで、背筋が伸びて、普段手に取らないような本を選ぶのかなと思ったんですけど、意外と普段の自分の地続きで、あまり変わらないなと思いました。自分が想像していた状態とちょっと違う感覚でしたね。

伊藤_今日は着物じゃなくて、浴衣だったというのもあると思うんです。浴衣って日常の延長線上にあるものだったんですよ。もともとは、蒸し風呂に入った後に水分を取るために羽織ったりするところから始まっていて。なので、緊張感なくリラックスしていただけたのかなと思います。

haru._本棚から本を取るときの動作も、浴衣を着ているから取りづらいとかもなく、すごく自然にできました。すごくおもしろい体験でした。伊藤さんはATELIERでどんな本を選んだんですか?

伊藤_『ムナーリの言葉』*④という本が気になりました。絵が美しい本や、手触りがいい本もいっぱい手に取ったんですけど、朝だったのもあって、今日の言葉になるようなものに惹かれました。特に気になったページを読んでもいいですか?

「心の赴くままに」 心の赴くままにナイチンゲールは歌い、木には花が咲く。小鳥はせせらぎの音を真似たりせず、木は雲の真似をしているわけでもない。でも、人はその芸術表現において、何かを真似ずにはいられないのだろうか。 心の赴くままにナイチンゲールは歌い、木には花が咲く。人は、音や色や形や動きの調和を発明する。

という1ページがすごく気になりました。というのも、そのままで美しいということをすごく受け取ったんです。自分が何か悩んだときって、自分らしさをすごく探しちゃって、誰かのことを真似してしまったり、今流行っている物や誰かが良いと言っているものに目を向けがちじゃないですか。でも、実はその自分らしさって、自分がすでに持っていて、そのままで美しいんだということを言っているような気がしたんですよね。それがとても気になって、この本を選びました。

haru._色や形というワードも出てきたと思うんですけど、浴衣や着物の柄にも通ずる話ですよね。なんだか、季節の移ろいを想像して今聞いていました。

伊藤_そうですね。東も西も、古いとか新しいとか、全てを超えた美しさを感じました。

haru._『心の赴くままに』というタイトルもいいですね。

伊藤_これを今日のテーマにしたいなと。

haru._素敵ですね。1日のテーマを決めて過ごすのってすごくいいなと思いました。

伊藤_朝気になることは、1日大事にしたいなと思っているんです。あまり考えずに、ふっと入ってくる言葉や、ふと気になる色とか。そういうものに目を向けて、敏感になっていたいなと思っています。

haru._今日私に着せてくださった浴衣も、すごく色が美しいんです。紫と淡いブルーのグラデーションなんですけど、なぜこの浴衣を選んでくださったんですか?

伊藤_私のなかでharu.さんって、すごく静謐のなかに凛とした強さがある印象なんです。夜の海みたいな、ちょっとゾッとするようなイメージで。私にとってゾッとするというのはポジティブな意味で、美しさがある方だなと思っていて。この浴衣は、そんな夜明け前の海みたいなイメージが私のなかではあったので、haru.さんにぴったりだなと。

haru._初めてそういう印象を伝えてもらいました。20代の頃は明るいイメージを持たれることが多くて、実際に会うと「思ったよりも暗いね」と言われることが多かったんです(笑)。

伊藤_私は暗いとは言ってないですけどね(笑)。

haru._もしかしたら、メディアで見る私のイメージと、実際に会ったときのイメージの差が結構大きいのかもしれないなとちょっと思っていたんです。

伊藤_すごく、この浴衣の色とharu.さんの内面が響き合っています。

その人にしかない美しさを表現する

haru._さっき、今年は伊藤さんに着付けてもらうのが今日を合わせて2回目と言ったんですけど、1回目は『鈴三』*⑤の撮影のときに浴衣を着付けていただいたんですよね。私も含めて4名のクリエイターの方々にモデルをお願いして、この番組に前回ゲストで来てくださったNORIさんにも参加いただきました。それぞれ体型やバックグラウンドも違うし、普段モデルをしているわけではないバラバラの4人だったんですけど、それぞれの特徴やパーソナリティを伊藤さんが瞬時に汲み取って浴衣の着付けをされていたのがすごく印象に残っています。

伊藤_着物をお着付けするときに大事にしているのが「綺麗に着せない」ということなんです。というのも私が祇園で先生に習っていたときに、その先生の試験で「完璧に着せられた!」と思ったら、その先生から「ものすごく綺麗だけど、全然おもしろくない着付けですね」と言われたんですよ。そのときにすごくびっくりして、「なんでですか?」と聞いたら、「その人の特徴をよく見ましたか?」と言われたんです。 左右対称にシワひとつなく着せることが美しい着付けではなく、その人をよく見て、その人にしかない美しさを表現することが素晴らしい着付けだということを教えていただいたんです。そこからはずっとそれを意識していて、お会いしたときの呼吸や、その人が持たれている雰囲気、所作などを見ながら形作っていくということをすごく意識しています。

haru._私は普段洋服を着ていますけど、その姿の状態から、着物を着たときの身体の動きとかも想像されるんですか?

伊藤_実は洋服を着ているときも、和服を着ているときもほぼ変わらないんですよ。お着物をお着せしますとなると、すごく姿勢を正して緊張される方がいらっしゃるけど、着たあとってそのまま普段のご自身に戻られるから、緊張されたまま形を作っても、いつも通りの所作をされると着崩れたりするんです。それに一番はご自身が心地よくなかったりするので、「そのままでいてくださいね」と着付けをするときにはお願いします。なので、なるべく緊張されないようにお話ししたりして、身体に着物を沿わせていくということを意識しています。

haru._だから本屋さんに行ったときもなんの違和感もなかったんですね。

伊藤_それがすごく大事だと思っています。着ていることを忘れてもらうということをいつも目標にしています。

haru._実は今も収録しながら浴衣を着ているんですけど、全然緊張感はないです。

伊藤_お着せしたときよりも胸元がふわっとしてきているんですけど、それも美しいなと思うんですよね。

haru._前に着付けしてくださったときも、私のときは「襟元を開けてもいいかもね」とおっしゃっていて、そういう着崩しもしていいんだと驚きました。すごく型があって、それ通りに着なくてはいけないものだと思い込んでいたので、そういうことをしていいんだと発見でした。

伊藤_そこがおもしろさなんですよね。洋服でもボタンを開けたり、襟を立てたりというのもできるんですけど、お着物は形が決まっていて、一枚の布を立体の身体に巻きつけていく作業なんですよね。人それぞれ骨格も違いますし、個性も違うので、その人に合わせて角度を変えたり、直線と曲線をどう表現するかで、その人の美しさを表現していくという。

haru._帯の柄や素材でもイメージ変わりますもんね。

伊藤_変わりますね。マットな感じや艶っぽいものもあります。なので、着物を着るときにすごく大事にしているのは、その生地とコミュニケーションをすることなんです。特に、朝少しイライラしていて、でも綺麗に着なきゃいけないときとかって、全然綺麗に着れないんです。それは一方的なコミュニケーションになっているから。落ち着いて、その生地の特性や、生地の声を聞き、コミュニケーションをしながら呼吸を合わせて着ていくと、ものすごく着心地のいい美しい着付けになるんです。

haru._伊藤さんから「呼吸」というワードが何度も出てきますが、すごく大事なことなんですね。

伊藤_私自身京都最古の禅寺に生まれたんですけど、その禅寺で大事な修行の一つとされているのが坐禅なんです。坐禅で特に大事とされているのが、「調身・調息・調心」という考え。これは、まず身体を整えることで、呼吸が整っていき、最後は心が整うという意味なんですけど、この坐禅の考えと着物を着ることはすごく通ずるものがあるなと思っています。着物を纏い身体の形を整えていくと、呼吸も静かになり整っていく。そして最後に心が整うということをすごく意識しているんです。着物はマインドフルネスの要素があると思っているので、呼吸を物凄く大事にしているんです。

haru._確かに、呼吸がめちゃくちゃに上がったまま着物を着ることってないですよね(笑)。

伊藤_そうなんですよ(笑)。着物は洋服とは異なり形がひとつなので、纏う過程で自分の呼吸を知るというか、その日の心と身体のバランスが着こなしとかに出るんですよね。なので、できるだけ落ち着いて、自分と向き合いながら、呼吸を整えるということをよくしています。

haru._今日も私に合わせて浴衣を選んでくださったと思うんですけど、自分が着るときに、行き先や会う人を想像して選んだりすることもあるんですか?

伊藤_「着物は言葉にならない思いを纏うラブレター」だと思っているんです。というのも、紋様っていろんな意味があって。身近にあるものだと格子縞のような連続した紋様っていうのは、子孫繁栄や、健康を祈る意味合いが古来から込められているんです。そういう思いを伝えたい人と会うときに、そうした紋様が入った着物を纏って行くということができるんです。他にも、その人が好きな色やお花が描かれたものを纏って行くことで喜んでいただける。 あとは、着物って自分だけが引き立つというより、調和の中にあるものという考えが根底にあると思うんです。お洋服を着るときに他の方がどんなお洋服を着てくるかを意識したり、共有することってあまりないと思うんですけど、着物を着るときには皆さんを引き立てながら、全てが調和することを意識して「どういう格のものを着ていきましょう?」といったコミュニケーションがあるのもおもしろいところだなと思います。

haru._確かに、洋服だとあまり想像できないかもしれないです。

伊藤_なので、満開の桜を見に行くときは満開の桜の着物は少し避けて纏う。自然物の美しさには勝てないので、例えば少し控えて満開の桜の背景にある青空や桜の葉になったり、少し季節が先の植物を纏ったり。そうすることで、お写真に写ったときも美しい。

haru._自分と自然を調和させていくんですね。

伊藤_はい。着物を選ぶときって、すごくクリエイティブな脳を使うんです。その場を想像して、そこに立ったときの自分自身、一緒にいる方、その場の空気感みたいなものを全部考えて作っていくんですよ。

haru._さっき、お相手が好きなお花や色を選んだりするとおっしゃっていましたけど、相手が全く想像できない場に行くときは、どういう選び方をするんですか?

伊藤_それはもう直感みたいなものがすごく大事だと思っています。前々から準備をしていても、いざ当日朝を迎えて、窓を開けてその日の湿度や風、音を聞くと、「あれ、違うな」と思うこともあるんです。でも、それもすごく大事。何もない場所や、何も決まりがない場所では、ご自身が本当に纏いたいものを選ぶことがいいと思っています。私自身一番大事にしていることは、選択するときの「心地良さ」なんです。
誰かの正解や、今流行りのものではなく、自分が心地いいと思うこと。特にその日心地いいと思うものを纏ったり、食べたり、音を聞いたり、場所に行ったり。そういうこともすごく大事だと思うので、「心地良さ」を軸に直感で選ぶということもおすすめです。

調べただけで分かった気にならない。 体験することで得られる感覚を信じて

haru._「着物家」という肩書きを伊藤さんと出会って初めて耳にしたのですが、普段はどんなお仕事をされているんですか?

伊藤_私は『纏う会』という会を主宰しています。この会は、感性を開いて自分のなかにある美しさに改めて気づいてもらうために、着付け教室ではなく、着物を纏っていただくという独特な会なんです。
他にも、メディアでの連載では自分自身の妊娠出産など様々な日常でも着物を纏う体験を通して、着物の美がもたらす豊かさについて寄稿させて頂いてます。グローバルなラグジュアリーブランドや企業への講演会や研修、更に広告などの着付けスタイリング、他には普段非公開の場所など京都の特別な場所をアテンドする京都着物文化案内をさせていただいています。あとは、オリジナルブランド『ensowabi』*⑥を主宰しています。

haru._伊藤さんの連載を楽しく読ませていただきました。いろんな方との対談もされていますよね。

伊藤_そうですね。対談連載では日本の美、特に美装*⑦をテーマに連載をさせていただいています。いろんなジャンルの方との対談を通して浮かび上がってくる美についてお話しさせていただいています。

haru._伊藤さんは京都の禅寺に生まれたとのことですが、着物に親しむきっかけもそこにルーツがあるということなんですか?

伊藤_いろんな職業を経験したんですけどなかなかしっくりこなかったんですが、ある時自分が生まれ育った場所に、どこにもない美しさが実はあったということに気づいたんです。それがまさに禅の美しさ、引き算の美しさだったんです。それまでは、自分らしさを追い求めて足し算するようにいろんなところに探しに行っていたんですけど、実はそれは自分のルーツのなかにあったんだなということに気づいて。普段から見てきた、苔や白砂、衣や食の美しさなど、そういうものが自分のなかにあることに気づき、禅の美しさを伝えるお仕事をしたいと思うようになりました。
ただ、最初は何からしていいのか分からなかったんです。でも、タンスを開けたらおばあちゃんの着物がたくさんあって、見たことないような美しい紋様や色が広がっていて。「これを私も着れるようになりたい」と思ったことをきっかけに今の活動を始めました。なので、今のお仕事をしている根源には自分自身がお寺に生まれたということがあるなと思います。

haru._すぐ近くにあったんですね。

伊藤_遠くまで探しに行ったんですけど、実はものすごく近くにあったんですよね。

haru._普段から見ている光景が美しく見えたのは、外に出たからだったんですか?

伊藤_まさにそうですね。流行を追いかけて、流行りのお洋服を着たりしてみたんですけど、結局自分らしさみたいなところから遠ざかっていき、コンプレックスのようなものが浮き彫りになってしまったんです。そうしたときに、生まれ育った場所で見た衣や着物って流行は関係なく、自分がいいと思うものを選んでいいんだと思い出したんですよね。
それにお坊さんって、1日のうちに何回も着替えるんです。朝起きたときに作業するための作務衣を着て、外に出かけるときはまた別の衣を着て、お経を読むときは袈裟を着る。衣は色は同じでも素材感は変わるんです。赴く場所や自分自身の役割によって着るものを変えるということが、私はずっとおもしろいなと思っていたんです。そういう部分は、着るもので心を整えたり、心の準備をするという今の仕事にリンクしているのかなと思っています。

haru._確かに心の準備ですね。洋服よりも着物を着る時間の方がかかると思うんですけど、その時間に、今から行く場所のことや会う人のことを思い浮かべますよね。私は時間に追われて、いつも着る服も同じでいいと思ってしまい、ジーンズにTシャツという組み合わせが決まってしまっているんです。でも、そうすると行き当たりばったりになってしまいがちなんですよね。なので、どうやって心の準備をする時間を作るのかということは、私の今の課題です。

伊藤_着るもので1日のテンションって変わりませんか?

haru._変わります(笑)。

伊藤_そうですよね。なので、一手間かける時間を自分へのギフトみたいな感じで取ることがすごく大事だなと思います。

haru._私は下着ブランドをやっているんですけど、そのブランドがまさにそういうコンセプトなんです。朝シャワーを浴びた後に自分の好きな下着を選ぶ時間が、後々もっと大きな選択をするときに励みとなって、背中を押してくれるんじゃないかという考えがあってやっています。下着なので外には見せないものなんですけど、それでもいろんな色やモチーフを使うようにしていて。自分の心の変化に素直になって色を纏うということをコンセプトにしているので、伊藤さんがお話しされていた色や柄についての思いにすごく共感します。

伊藤_素晴らしいですね。やっぱり肌に一番近いものってこだわりたいし、そこをおざなりにしちゃうと、外を重ねても心地よくなかったりもしますもんね。

haru._一人前の着物家になるために、どんな修行をされるんですか?

伊藤_着物家って自分がつけた肩書きなので、一人前というものの基準はないのですが…。 でも、自分自身の一生をかけて、当たり前に着物を着ていた時代の人々がどんなことを考えていたのか、どんなものを美しいと感じていたのか、そんな声が聞きたいと思っています。なのでこの仕事は一生修行だなと思っているんですけど、お仕事をするうえで大切にしていることは、実際に触れるということですね。調べただけで分かったつもりにならず、職人さんの技にしても、実際に場に出向いて見るとか、生地を触るとか、自分の足を運んで体験するということを心がけています。

haru._それはお師匠さんがおっしゃっていた、「その人をしっかり見る」ということにも繋がってくるのかなと思いました。

伊藤_そうですね。実際にその場に行くことでしか味わえないことってあると思うんです。特に今の時代だからこそ、手触り感や匂いなどをすごく大事にしてお伝えしていきたいなと思っています。

haru._その大切さを言葉で説明するのって難しいですよね。特に今の若い人たちはSNSやデジタルデバイスがあることが当たり前のなかで過ごしてきているので、実際に自分の足で赴いてみることがこれだけ素敵なことなんだということを伝えるのが難しいなと感じています。

伊藤_それは本当に課題ですね。でも、暑い夏に畳に寝転がったときの畳の匂いとかってすごく覚えていて、そのときに広がっていた何気ない家族の光景が忘れられない暖かさとなって何か迷ったときにそっと力になってくれたりする。そういう、味わったものや触れたものって記憶に鮮明に残るから、そういった豊かさを伝えられるといいなと思っています。

haru._確かにそうですね。私も夕方に代々木公園の横を通ったときに濡れた芝生の匂いがすると、すごく子供時代のことを思い出します。普段は目の前のことしか見えなくて、必死になっているんですけど、そのときだけはタイムワープするというか、時間は今だけではなくて、もっと長くて自分はそのなかの一つの点に存在しているんだということを思い出させてくれる瞬間があるんです。そういう時間が本当に大切だなということを思います。

伊藤_今自分が抱えていることや起こっていることだけを見るのではなく、俯瞰して長い時間軸で見るということは本当に大事だと思いますし、そういうのって、記憶が助けてくれたりすることもありますよね。

haru._着物家として人生の指針になっていることってありますか?

伊藤_「柳緑花紅(りゅうりょくかこう)」という禅語が好きなんですけど、これは柳は緑だから美しく、花は紅色だから美しいという言葉なんですけど、みんなそれぞれそのままが美しいということなんです。今日ATELIERで買った『ムナーリの言葉』にも通ずるんですけど、着物って本当にいろんな柄、色、織、染めなどがあって。そしてそれを纏う人もいろんな体型や個性の人がいる。それって、美しさは一つではないということだと思うんです。 「もっと綺麗に着た方がいいよ」とか「こういう着方をした方がいいよ」という意見もあるかもしれないですけど、それぞれの哲学や生き方が出てる着姿、着こなしこそが美しいと思っています。その考えの一番根底の部分にいつも自分のそばに置いている言葉でもあるし、これからもずっと大事にしたいなと思っている言葉です。

haru._伊藤さんにお会いするといつも、今ある状態を受け入れて、ドンと構えた雰囲気でそこに立たれている印象で、きっとその哲学を体現していらっしゃるんだなと思います。

伊藤_若い頃は特にですけど、正解をいつも探していたんです。でも、そんなものなかなか見つからなくて。お寺に生まれたのだから、何か特別な人間じゃなきゃいけないと思っていたし、何者かにならなきゃいけないとずっと思っていたんです。京都にいると「あそこのお嬢さんですよね」と言われることも多かったんですよね。 でも、東京に出てきて思ったのは、何者にもなれないし、ならなくてもいいということ。そんなことよりも、自分が好きなことをやり続ける。それが誰かのためになったらそれは嬉しいことだし、素晴らしいことですよね。何者かになることって、そんなに必要じゃなかったなと気づき、そのままを受け入れることに目を向けたいなと思わせてくれたのが着物だったんです。

対談は後編に続きます。後編では着物を通じて自分探しをしてきた過去、伝統を現代にアップデートするということ、着物文化とサステナビリティの繋がり、伊藤さんが大事にする人生哲学などについてお話しいただきました。
そちらも是非楽しみにしていてくださいね。
それでは今週も、いってらっしゃい。

*①ATELIER
東京・初台に事務所を構える通販専門の古書店。 デザイン・写真・美術関連を中心とした古書の販売/買取を行っている。 東京都渋谷区代々木4-28-8 代々木村田マンション503号室

*②yoshida coffee sangubashi
バリスタ界のレジェンド、吉田佳照さんが2022年9月に参宮橋にオープンしたカフェ。 東京都渋谷区代々木4-21-12

*③ベンガラ染め
土から採れる酸化鉄を主成分とする顔料「ベンガラ」を使って布を染める方法。媒染剤や火を使わず、水で揉み込むだけで染められるため、環境に優しく、手軽に楽しめる染色方法として知られている。

*④『ムナーリの言葉』
イタリアの美術家・デザイナーのブルーノ・ムナーリが85歳のときに自身の膨大な著作の中から後世に残したい言葉を編んだ珠玉の短文集。(平凡社出版)

*⑤『鈴三』
日本の有松鳴海絞りを現代的に再解釈するライフスタイルブランド『suzusan』のCEOの村瀬弘行さん主宰する和装ライン。

*⑥『ensowabi』
ゲストの伊藤仁美さんが 主宰する和の美意識を源流に、着物の美しさを追求する和装肌着ブランドensowabi【肌衣】

*⑦美装
美しい装いのこと

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Profile

伊藤仁美

着物家。京都の禅寺である両足院に生まれ、日本古来の美しさに囲まれて育つ。長年肌で感じてきた稀有な美を、着物を通して未来へ繋ぐため20年に渡り各界の著名人への指導やメディア連載、広告撮影などに携わる。 オリジナルブランド「ensowabi」を展開しながら主宰する「纏う会」では、感性をひらく唯一無二の着付けの世界を展開。 その源流はうまれ育った禅寺の教えにある。 企業研修や講演、国内外のブランドとのコラボレーションも多数、着物の新たな可能性を追求し続けている。 「ensowabi」HP:https://shop.ensoofficial.jp

photography: miya(HUG) / text: kotetsu nakazato

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vol.53
2023.10.23

アートとベルリンを巡る朝 haru.×Nao Kawamura 【前編】

vol.54
2023.10.02

いつもとちがう場所に自分を連れていってみる miya

vol.55
2023.09.18

キックボクシングをする朝 haru.× 阿部裕介

vol.56
2023.09.04

美味しく食べた記憶が習慣を生んだなら miya

vol.57
2023.08.21

おにぎりを握る朝 haru.× 横澤琴葉

vol.58
2023.07.19

はじめての『月曜、朝のさかだち』を振り返る miya

vol.59
2023.06.26

自分の「ほぐしかた」、知ってる? haru. ×Kaho Iwaya